177.2025年 下手な木乃伊を見るような

 未だに、民主主義は頭数だと本気で思っている御仁がいることに驚かされるが、それ自体が民主主義の熟成度を現わしている。民主主義は少数派に対して寛容でなければならないと、小中学校レベルで何度も教えられたはずであるが、それはいつの時代も正しさは少数によって始まったという厳然たる事実に対して謙虚になり、それを教訓化する必要があるということでもある。「人間の考えた他のすべての制度をのぞけば、民主主義は最悪の制度だ」と逆説的に言ったチャーチルは、正しさが常に少数によって起こされたことを熟知していたとも言えるだろう。しかしながら、日本の民主主義の現状は、より具体的には、政治状況は多数暴力(tyranny of the majority)が当然のごとくの様相を呈している。「多くの支持者」を得ていることをもって、その集団が絶対正義であると錯覚することで、少数派を排除、抑圧する。それは、実質的に自らの発展、展開を閉ざすことになることさえ気付かない。実際、ここ2、30年推移をみても、衰退こそしているものの、発展の兆しは皆無である。現状を直視しない美辞麗句、希望的言辞はすべて虚言である。木乃伊取りが木乃伊になるのも含めて、これ以上、亡者の成れの果てを見るのは吐き気を催すだけである。

 具体的なこととして、選挙制度の改革も絶対に必要で緊急のことでもある。このままでは、ますます反民主主義的愚者の多数暴力がまかり通り、蔓延る。

 やるべきことはいくらでもあるのである。

                    2025 1/4

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