先日、パリは今、至る所、どの通りも悲しみ満ちて、空虚である、という便りがあった。
このウェブサイトのトップページを飾っている写真を見るたびに数年前のパリの隅々がよみがえる。ヴォージュ広場の前の椅子に腰かけてどのくらいの時間を過ごしたのであろうか。もうそのような時間は存在しないようだ。テロが起きたのもそこからわずかの距離である。
こうした状況の中では感情論はさらに状況を悪化させるだけである。オランドはベルサイユ宮殿に上下両院の全議員を招集して「IS打倒宣言」をしたそうだが、空爆強化で一体何が解決できるのかと思われる。単なる国民の溜飲を下げるためにのみ行われるパフォーマンスなら何とも無責任で安易な方法というしかあるまい。それもアメリカと同調して行われるのであるから最悪の状態に突き進んでいる。ブッシュが「テロとの戦い」を標榜して以後、テロは減少するどころか2001年の時点で346件だったテロは2014年には32727件と激増している(米国務省「国別テロ報告書」)ということである。そして、オバマ政権が空爆を開始して1年余り、米軍主導の空爆回数は8000回以上、それで何が変わったのか、悪化する一方ではないのか。要するに空爆などという方法ではテロなどは抑えることができないと同時にそれによって必然的に難民も増え続けるということである。こんなことをして喜んでいるのは所謂「死の商人」たちだけであろう。人類の英知などどこ吹く風の所業ばかりでは「最低の知的生命体」とは同時に「絶滅危惧種」であったということが立証されるだけである。
さらに、フランスでは「オンナ版ヒットラーを彷彿とさせる」といわれるマリーヌ・ルペン率いる「国民戦線」というネオファシズムまでも台頭してきている。この傾向は何もフランスだけに限らず、イギリス、イタリア、ドイツ、オランダ、スウェーデン、デンマーク、などにも及んでいる。
近似した現象は日本にも見られるが、現状では責任も碌に取れない「最高責任者」がわざわざ自ら「火種」をまいておいて風向き加減で火勢が増せば、それ見たことか「水」では間に合わぬ「火薬」を使えという段取りになっているとしか思われない。後は「突っ走れる」機をうかがっているだけであろう。すなわち、何のことはない陳腐な俗にいう「マッチポンプ」である。このことについては以前にも書いたことなのでこれ以上はやめる。
しかし、オランドの「戦争だ、戦争だ」には改めて驚いた。ここで冷静さを欠けば相手の思う壺であろう。相手は死ぬこと自体に「意義」を見出し、死ぬことを何とも思っていない、ある意味では追い詰められて「人間」の境涯にいることができなくなった者たちでもある。どのような最新鋭の武器をもってしても所詮は「死ぬつもりはない」「傭兵」が対峙できる相手ではない。だから地上戦を避けているとも言えるが、そのような者たちを大量に「作って」おいて、また無責任な空爆で「増殖」させているのでは泥沼化しざるを得まい。それにしても一年余りで8000回の空爆とは恐れ入った。単純計算しても一日20回、毎日約1時間ごとに空爆していることになる。「狂人」になり得ぬ非戦闘員なら逃げだしたくなるのは当たり前、難民が出るのも当然といえば当然のことである。
どちらにしても、感情論に棹さしても何の解決にもならないことだけは確かである。
2015 11/18
世界を狂乱の渦に巻き込むという「狂人」の罠にまんまとはまってしまった。地の底まで続く「狂気」のスパイラル。もう戻ることはできまい。
2015 11/24
※1回の空爆が1億円だそうである。
※12月13日、極右政党「国民戦線」の躍進を阻止したオランド大統領の政治的手腕はやはり「政治屋」ではなく「政治家」と言い得るものであろう。