現実的には、「演出家」などという職業は「人たらし」、幇間のごとくにならないとなかなか「商売」としは成り立ち得ないところもあるようだが、そこまでして「演出家」を成り立たせるつもりは全くない。一方では主たる生計は他で確保し、受ける受けないは別にして自分の世界観を思いのままに打ち出す「演出家」もいる。それはそれで一部の少数派に共感を持たれればその存在証明は成り立つのであるが、「持続」は経済的にも困難であろう。「持続」自体がすべての正当化には成り得ぬのはもちろん、質の保証にもならないが、たとえ経済的にも「持続」が可能であったにしてもその内容、製作の質が常に問われていない限り「持続」自体にさほどの意味はない。何十年続けているという劇団、事務所はよくあるが、それだけではやはり評価対象にもならない。むしろ、それによって弊害が生まれていることの方が多いのも実情である。
もし、「演出家」が幇間のごとくならざるを得ないのであれば、いつでも私は「演出家」など側溝に投げ捨てる。
「演出」が幇間の如く成る 場合場合を思いながら しばらく休む といったところか。いつわりの人ほど「歌」は巧みな世であれば尚のこと。
2015 11/15
因みに、言わずもがなのことを敢えて一般の方のために言えば、テレビ局などで「演出」、「演出家」と称されているものは、否応なく「世界観の提示」を求められる本来の「演出」などとは程遠く、単なる「効果」の域を出るものではないということである。さらに言えば「まとめ役」を任された幇間の「効果担当係」と言い得るようなものである。