58.戦争が廊下の奥で衣替え

 9月19日は決して忘れてはならない日となった。今更言うまでもなく、「積極的平和主義」などとは要するにどう言いつくろっても積極的戦争主義ということに他ならない。これはすべての「凶事」の始まりであると同時に新たな局面に対する各自の姿勢が否応なく問われるということでもある。2015年9月19日、最悪の歴史的汚点を残してしまったことを忘れることはできないが、万が一その「元凶」を忘れるようなことがあれば、そして再び同じことを繰り返せば、その時こそ最も危険な「『人間』社会」の衰退が待ち構えている。これは何も予言的内容でも何でもない。漁師が出漁前に空を見て判断するのにも似て具体的で、現実的なことである。今後は空を観るだけではなくさらにあらゆる観察が必要になってくるだろう。そしてその都度的確に反応していかないと即生命にかかわる問題に発展する。この現状から少しでも身を引けば待ち構えているのは最悪の状態の拡大再生産だけである。事態は千変万化の「戦い方」を要求しているのであろう。どちらにしても同じ時代を生きる者として違憲法案でもある安保法案の何ともしだらな成立過程を見ているとこのまま引き下がるわけにはいかなくなる。こんなことを許していて泰然自若ともっともらしことを言っていられるのは戦争の「衣替え」を手伝う「怪しげなる人々」だけであろう。

                                                                                                                                                                                2015 9/20

※「積極的平和主義」の「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」のない状態を意味するコンセプトでヨハン・ガルトゥング博士が提唱したものであるが、それをまた例の調子で最近流行りのコピーアンドペーストさながらに盗用し、多用、悪用しているのである。恥を知る者ならとてもできることではないが、そんなものは爪の垢ほどもない。ガルトゥング博士の本来のコンセプトを歪めてしまった無知では済まされぬ無礼者の確認の意味で念のため補足した。

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