ダリの「イースターの眼」これが大阪万博のキャラクターに似ているというのでSNS上ではパクリではないかということでちょっと話題になっているようである。こういう形だけの「パクリ」は日本人が得意とするところであるが、それこそ似て非なるものの典型でもある。似ていると言われたダリの方からすれば、どこが?と言いたくもなる程、似ても似つかぬ、一つとして本質的な共通点はない。見れば、このキャラクターについての説明書きがあった。「細胞と水がひとつになったことで生まれた、ふしぎな生き物、その正体は不明。」とある。要するに、正体不明で、いわく言い難しといったところなのであろう。ただ、これでは奇を衒っただけの、一体何を発信したいのか、表現したいのか、根本のところが欠如しているのである。説明書きを添えなければ成立しないような作品は、その時点で作品の価値は消失している。もし、ダリの作品に「ヒント」を得たというのなら、ダリの恐ろしい感性の切れ味を知らなかったが故に、ダリの作品自体に復讐されたといってもよいだろう。本物と偽物との圧倒的な差である。前にも書いたが、私にはこのキャラクターが腸ねん転を起こしたバケモノにしか見えないのである。どこを取っても、プラスの展開要因はない。実際、万博の総体を見ても、このキャラクターの様相がすべてを象徴している。そういう意味では、意に反して「よくできた」キャラクターである。
2024 5/8
後日、この大阪万博の大屋根(リング)についても、様々な問題が出てきている。まず、そのデザインがイギリスの建築家ノーマン・フォスターがデザインしたアップル本社のパクリではないかということ。そして、日本の伝統工法の貫工法についても、世界的な建築家・山本理顕氏が「あんなの貫工法ではない」と指摘。「あのリング全体で、それが可能だと誰が思ったのか」と疑問を呈している。パクリ切れていないパクリと、完全なパクリと、伝統を装った似て非なる、似非伝統建築物。この贋物のオンパレード、どこか日本の実情とも重なる。