164.想像力の貧困がもたらす「有事」

「桐一葉落ちて天下の秋を知る」、今や「天下の秋」を知ることには事欠かない。それどころか、秋も存在せず、すぐに冬である。事程左様に、恐ろしい程の速さで衰退の一途である。「桐一葉日当たりながら」で突然寸断され、大地に亀裂が入るといった「風情」である。とても「落ちにけり」の下七句までは持つまいと思われる。

 想像力とは単なる夢想、空想の類とは一線を画することはいうまでもないこと。それは徹底した論理的思考を基盤として、実体的把握が困難なものに対する限りない接近を可能にする「力」でもある。したがって、想像力が貧困になればなるほど、その問題の「本体」の予測どころか、現在の様相すら見えないことになる。見えないにもかかわらず、見えたつもりになって周りに振り回された挙句、自己喪失、そのことすら気付かず、やがて行方不明となった自分に再会した時は、判別不能の自己の亡骸を見出すだけである。総じて「権力」と、想像力とは相容れない。むしろ、その機能を恐れるが故に抹殺しようとするか、機能不全にさせる。この生き生きとした想像力を一番怖がっているのが、「権力」なのである。繊細にして豊かな想像力が機能せず、枯渇、硬直し始めると、遅かれ早かれ「有事」を引き込み、誘発させることになる。同時に個人は故人となる。

          2023 9/5

アーカイブ
TOP