38.カンヌ映画祭のゴダール

 「言語よ、さらば」(原題)で映画監督ジャン・リュック・ゴダールは今年のカンヌ映画祭で審査委員賞を受賞した。ヌーヴェルヴァーグの騎手も83歳であるが、矍鑠(かくしゃく)としているというより,内に嚇灼(かくしゃく)としたものを秘めているといった感じで、さりげなく醸し出す雰囲気はやはりパリジャンである。そして何より「若い」、さすがである。私は4月20日の「東京人?」というブログでゴダールのことを思い出して書き加えたが、現在もなお現役であるとは思わなかった。「言語よ、さらば」というゴダールの最新作も観てみたいが日本で上演されることはまずないだろう。カンヌ映画祭の海外の受賞作品などは、パルムドール受賞作品でさえ日本で上演されることはほとんどないといっていい。事ほど左様に映画芸術に限らず、日本では世界の胎動する「息吹」を感じ取ること自体が困難なのである。限りなく続く大小様々な「新たな波」の動きを閉ざしているのでは「酸欠状態」のまま矮小化する退行の道しかあるまい。これではやはり日本の文化レベルの低下は免れない。実際、その好例については枚挙に暇がない。

※カンヌ映画祭の日本の映画監督としては、作品(「狂った1頁」、「十字路」、「地獄門」等々)は敢えていうまでもなく、身近に具体的に感じることができる人として衣笠貞之助氏がいる。最期に彼の姿を見たのは銀座のとある劇場で女優・演出家に手を取られながら杖を持って階段を下りてくる姿であった。何の気負いもなく、洒脱な風情であった。とてもあれだけの桁外れのエネルギーで突っ走ってきた監督・俳優とは思えなかった。昨今の事情では彼のスケールを測れるスケールそのものがない。

 

※追記1.

 日本の女流監督の「これが私の最高傑作です。」には恐れ入谷の鬼子母神。映画に限らず自分の作品を自らが最高傑作という「作り手」を今まで知らなかったからである。これでは今後これ以上のものは作り得ないと言っているようなもので、「引退宣言」とも取れる。まだ作品そのものを観ていないのにとやかく言えた義理ではないが、監督のスタンスが透けて見えるようで興ざめであった。監督、演出などはスタンスで成り立っているといっても過言ではないので尚更である。日本では成り立ちようがない(「内容」、「問題性」の深浅、「視点」の明確さが問題となる)このような場で活躍する監督、俳優に期待するものが大きいのでより厳しくはなるが、内容そのものに真摯に向き合うことより賞の獲得、営業戦略ばかりが前面に出てきては多くが引いてしまうのは否めない。大いなる勘違い、残念なことである。カンヌ、ヴェネチア、ベルリン、どの映画祭も世界の鼓動を感じ取る「トニック」には充分なり得るものであるが、常に「誰かに解説してもらたい願望」で終始しているような日本での取り上げ方では「トニック」どころか毒にも薬にもならない。

 

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