37.「日本語吹き替え版」ですべては台無し

 「日本語吹き替え版」の質の悪さについては以前にも取り上げているが、役者でもない者が外国のそれも一級の役者の台詞の吹き替えなどできるわけがないのである。声質が合わないことも然ることながら、多くは何を言っているのか聞き取れないというレベルで、声だけ聴いていると三文芝居、学芸会並みである。これでは映画に出演している役者の演技、作品も台無しで、これはもう映画芸術に対する冒涜といってもよいであろう。「アニメ」レベルの映画以外はすべて原語でやるべきで、字幕スーパーの方がまだ被害が少ない。視聴する者も「日本語吹き替え版」でただ意味内容が伝わればいいなどと思っていると感性自体にとんでもない脱落、欠損領域が生じ,それがすべてに広がっていく。一音,一声、イントネーション、アーティキュレーションのすべてはその俳優の役柄の世界観から湧出してきたものである。だから、怒り方も笑い方も喜び方も違う、もちろん「話し方」も異質な、劣位の別物になってしまうのである。これではますますホンモノもニセモノも区別がつかなくなるのは当然であろう。日本語吹き替えなどは「アニメ」だけにすべきである。

                                                                                                                                             2014 5/25

 因みに、わかり易い最近の例でいえば、アメリカでヒットしたテレビドラマ(ブラックコメディ)「ブレイキングバッド」の主役ブライアン・クランストンは俳優・声優・演出家である。もちろん彼ばかりではないが、それを「層の厚さの違い」などということで片が付くと思っていること自体が安易で怠惰なのである。要するに、それは根本的な手間のかかる肝心なことを常に疎かにしてきた結果の集積でしかないのである。

 

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