30.立ち遅れてもゆっくり進む

 たとえ立ち遅れたとしても、まわりから良き反応を得られなくともゆっくり進む方が賢明であろう。少なくとも群れを成して崖っぷちから落ちることは避けられる。いつまでも右を向けと言われれば右を向き、左を向けと言われれば左を向くではただ動かされているだけである。そんなことをしていては今の自分のほんとうの「痛み」が見えてこない。「痛み」とは生きることと不即不離、時によっては「生きている証」ともなる。それが自分自身の頭で考えることを余儀なくさせるのである。その「痛み」を忘れるためにいつの間にか生きる速度を上げてしまう、または上げられてしまう、そしてその「痛み」は消えたかのような錯覚に陥るが、それが実はド壺にはめられていることなのである。自分で速度をコントロールしているつもりで実はコントロールされているということになる。そして、ド壺にはまったものは身動き付かぬまま崖っぷちに立たされることにもなる。それは怖ろしく容易で身近なことなのである。

                                                                                                                                                            2013 10/19

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