<掲載内容>
801.妖怪の末裔 802.官僚のレトリック 803.「藪の中」?それもまた幻想 804.露悪趣味、偽悪の果て 805.監視するは我にあり 806.「Yahoo」、「Google」は危険なサイトなのか?807.「法の支配」の意味もわからぬ者が行政の長とは!808.「右だ左だ」などとはもはや愚者の繰り言 809.フェイクニュースに立ち向かうには 810.「天才政治家ヒトラー」???811.投資の神様が言う日本の衰退
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811.投資の神様が言う日本の衰退
ジム・ロジャースはイエール大学、オックスフォード大学で歴史学を学び、その後、ジョージ・ソロスと設立したファンドで10年で投資収益4200%という実績を挙げたことや、リーマン・ショック、トランプ当選を的中させたことでも有名。その彼が「私がもし10歳の日本人なら、ただちに日本を去るだろう」、「日本が50年後か100年後には消えてしまうのは心から残念でならない」と断定的に言っていることにさほどの驚きもないのは私ばかりではあるまい。その他にも、「2050年には日本は犯罪大国になる」、また「アベノミクスが成功することはない。安倍政権の政策は日本も日本の子どもたちの将来も滅茶苦茶にするものだ。いつかきっと『安倍が日本をダメにした』と振り返る日が来るだろう」など、これらの明言もすべて然もありなんというところなのである。
以上は古賀茂明氏のジム・ロジャースの言説の抜粋から引用し、私なりの見解を述べただけであるが、特にジム・ロジャースが言ったことについては誰が取り上げても同一であろう。ただ取り上げる側によってはそのまま載せるかどうかは定かではない。
さらに言えば、彼は投資家としても、歴史学を学んだ素地もあり、具体的な状況分析は的確なものがあろうと思われる。しかし、日本を去ってどこへ行く?すでに犯罪大国であるアメリカに行くのか?やがて消えるであろう日本を去って一体どこに行くというのか?どの地にも「楽園」などはないことは少し「考えれば」わかること。将来にしろ、余生にしろ、自分だけはと思うこと自体がすでに誤った選択に導かれることになる。ただ、あらゆる面で衰退の一途を辿ることは避けられないところにいるよりは、自らのためにも、さらに「真に求めるもの」があればなおのこと海外に出るべきであろう。
この「泥船」、何をどのようにリセットしても、 その意味はまったくない。泥船は泥船、やがて沈むことが一義である。早く沈むことを願いつつ書き綴っている。
2019 4/4
810.「天才政治家ヒトラー」???
20世紀の二人の天才として、ヒトラーとウィトゲンシュタインを挙げ語っている佐藤何某とかいう者がいたが、その内容も首を傾げたくなるようなものである。一つ一つを取り上げたら切りがないが、「天才政治家ヒトラー」というだけなら、またどこかのもの好きが売らんかなで取り上げているのであろうと思うくらいであったが、誕生年が同一であることなどでウィトゲンシュタインを取り上げていることも歯牙にかけざるを得なくなった一因である。そもそもウィトゲンシュタインの何をどのように読み「天才哲学者」としたのか?また、ヒトラーを「天才政治家」と「言ってはいけないこと」を敢えて言っている以上、現状の世界情勢からしてもそれは大いに問題となるところでもあり、また同時並列的にウィトゲンシュタインを出すところもたとえ同時代という共通項はあったにせよ、取ってつけたような作為を感じる。両者は全く相容れぬ似ても似つかぬ者である。天才という言葉で括るにしても、もしヒトラーが「天才」というのなら、ウィトゲンシュタインは決して「天才」」ではない。一方は窮鼠が一途に突き進まざるを得なかった「狂気」の道を提起し、他方は深く自己に沈潜しざるを得なかったその結果に過ぎない。経営コンサルタントでもあるこの売文業者の、一人悦に入った三文通俗小説並みの見解は、ただ単に売らんかなという姿勢だけが鼻につく。奇をてらった平凡な内容というより、むしろ有害無益なこの程度のものが結構多いが、何が面白いのか不可解である。この経営コンサルタントも要するに「天才政治家ヒトラー」にあやかりたいだけなのであろう。しかし、それは後は野となれ山となれと思っている一群の亡者の群れの一員である証でもある。
2019 3/27
809.フェイクニュースに立ち向かうには
M.ガブリエルに言わせれば、「調査報道がありますが、いまそれは危険です。」ほんとうのジャーナリズムを追求しようとすれば命を落とすことになるということは以前から言われていたことでもあるが、「いわゆる自由世界では、物事を深く掘り下げていくと、職を失う」のである。さらに「本当に批判的な知識人や真のジャーナリストは命がけでやらないといけませんが、命を失っても誰も気付きません。」ということである。その通りであろう。だから、誰もやりたがらないのである。実際、ジャーナリストなどといってもそのほとんどは安全地帯で政府広報のコピーライターのようなことをしているのが関の山である。ということは、ほとんどフェイクニュースだとみていれば余計な災難を少しは回避できる可能性もあるということである。「大本営発表」などが事実とほとんど乖離していたことは改めて言うことでもあるまい。すべてがその調子だということである。実際に、経済の根本的な根拠となるものさえ改ざんされていたのである。後は推して知るべし。我々としては、まずすべてを検証対象としてみることであろう。特に大手新聞、情報各誌、それを鵜呑みにして唯々諾々としていたら何をされるかわからないということである。インターネット上のプロパガンダ、デマなどは論外。
2019 3/21
808.「右だ左だ」などとはもはや愚者の繰り言
「ー情弱(情報弱者)を騙すためのフェイクニュースを垂れ流しているヤツが、嘘に嘘を積み重ねている。国会もメディアもすでにバカに乗っ取られた。右も左も関係ない。戦局はわれわれ日本人とバカとの戦いに入っている。」とは適菜収であるが、私がこのサイトで言ってきたこととも通底するところがあり共感をもっている。
甘言,巧言、悪口雑言過ぎれば謝罪、身体極まりゃ土下座に、泣きと何でもござれ、言葉に詰まれば抒情抒情の演歌節、寄り添うと見せてやることは足を踏みつけ我知らず、フェイクまみれのわが身もどこ吹く風で、都合が悪けりゃフェイクフェイクと所かまわず騒ぎ立てる。
彼らにとって政治も宗教も最終ビジネスに過ぎないのであるが、実はビジネスにもなっていないのである。
2019 3/10
807.「法の支配」の意味もわからぬ者が行政の長とは!
今更驚くことでもないが、ひどすぎる。「法の支配」と「人の支配」の違いすら明確に判別できずによくも国の根本法を米国の顔色をうかがいながら弄べるものである。何の正義も持ち合わせていない者が商談を進めるように歴史が必然的にもたらした国の根本法をいじくり回す。すべてにおいて無知であり、無恥であるからこそなせる業である。何度も言っているが、絶対に、このような者に憲法を一字たりとも変えさせてはならないということである。このような改憲に正義はない。平和ボケしたタカ派の論調に酔っている場合ではないのである。
2019 3/7
806.「Yahoo」、「Google」は危険なサイトなのか?
ある日、ヤフー検索、グーグル検索をしていると、突然、「このサイトは安全ではありません」と出てきて、さらに「だれかが利用者を騙そうとしているか、サーバーに送信されたデータを盗み取ろうとしている可能性があります。このサイトをすぐに閉じてください。」と説明している。要するに、セキュリティ証明書云々でヤフーにもグーグルにもつながらないのである。これはヤフーにとってもグーグルにとっても営業妨害であろう。安全性について、このような文言を発するだけの「資格」を持った機関とは一体どこなのか?「騙そうとしています」と言って相手を騙すことなどよくあることでもある。それは警察官、税務署員、銀行員を装った詐欺とさしたる違いはない。徹底的な調査を望む。
2019 2/25
後日、いろいろ問い合わせてみたが具体的な解決策は見つかっていない。高度なことができるようになるということは、ごく普通に行われていたことが犠牲になる。果たして、その「高度な技術」は必要なのか、それはまた「悪しき技術」にも通じてくるということは否定はできまい。どこの問い合わせ先も遠回しにそれを臭わせている。現に、現在まで明快な解決法は皆無である。
2/28
※それにしても、PCもすぐに使える状態で売るのが当たり前であろう。いくら高性能化してもこれではやがて売れなくなるのは目に見えている。
805.監視するは我にあり
監視社会とは、監視する者が「神の目」を持とうとする、言ってみればすべてを支配しようとする企みを具現化する社会でもある。そのような社会にあって、神の目を持とうと意志する者をも監視し得るのは、「監視するは我にあり」ということを明確に思惟できる者である。どちらにしても監視の手を止めれば、どのような美辞に修飾されていようと、その実態は監視されるだけの奴婢となることでしかない。そこにあるのは人間の境涯にある者とは思えぬ人間の形骸である。ヘラヘラしている内にすべてを抜き取られることのないようにすべきであろう。
2019 2/5
804.露悪趣味、偽悪の果て
あたかもそれが本心、実態であるかのように、露悪趣味、偽悪は繰り返されてきたが、それは決して本当のことでもなく、実態でも、もちろん真相でもない。敢えて言えば、本当らしく見せかけた末端肥大症的妄想である。だから、吐き気がしてくるのである。しかし、ズレているとは、終わっているのも知らず得意げに今が盛りとばかりにやり続けていることである。自分のこと、自分の素顔などというのも自分ではわかっているつもりでも、ほんとうにわかっている者はまれであるというのが実情である。
その社会を動かす中心部分が不鮮明で腐臭を放ち、視界ゼロに近い状態ではそれに呼応する下部構造がズレ続けるのも当然である。しかし、ズレにも軌道修正できる限界がある。
2019 1/23
803.「藪の中」?それもまた幻想
以前、ある出来事について「これもまた藪の中なのか」などと、したり顔で締めくくっていた御仁がいたのでかなり否定的に取り上げたことがあったっが、今でも同様に思っている。「藪の中」、それもまた「幻想」であるということである。要は、本当の事実を見つけ出すために、事実と事実、現実の系統的解釈をすることによって「藪の中」などという幻想は乗り越えられるのである。「藪の中」という「幻想」に酔っている内は、絶えず垂れ流されている嘘、フェイクニュースなどを疑い始めることさえできないであろう。それこそ「知恵を持つことに勇気を持て!」ということに尽きる。これ以上、いかさま評論家、ジャーナリスト、山師のような作家、タレント、御用学者に好きなようにやられっぱなしでは話にならない。知性よ、目覚めよ!反撃の烽火を上げよ、人間を人間たらしめるために!というところであろう。
2019 1/7
802.官僚のレトリック
元経産省幹部が指摘する通り、例えば「解体的出直し」という文言、「解体」というフレーズは官僚の詐術のテクニックで力点は「出直し」に方にあるという。すなわち、そのままやり続けるということである。この手のパターンには際限がないというのが現状であろう。その上、保身しか頭にない政権担当者が加われば、後はどうなるか言わずと知れたこと。さらにそこに「政治的知識のない者は不用意に発言すべきではない」などという御用の筋の庭に住む魑魅魍魎たちが現れて合唱でもされた日には看過できる事態ではなくなる。
2018 12/27
801.妖怪の末裔
「昭和の妖怪」と言えば、言わずと知れたA級戦犯の岸信介のことである。「妖怪」と言われたことについてはやはりそれなりの理由があるのである。私には、彼の言動から彼の舌先は三つに割れているのではないかとさえ思えてならない。己が利するためなら、いかなる手段も使う。その使い方も半端ではない。その手法は「権力」に魅入られた亡者に共通のことなのかもしれぬが、「日本人離れ」している。「明治以降、最悪の政権」と言われてもいる現政権もこの「妖怪」の血筋であってみれば、それなりに納得もできるが、しかし、それは放置すれば国民の首がどれだけ飛ぶかかわからない危険な政権であるということを意味する。「ぼーっと」している内に身動きもつかなくなり、気付いた時には首は飛んでいることにもなりかねない。そのことを肝に銘じるべきであろう。「もう遅すぎる」という見方もあるが、遅速は問題にしても仕方はあるまい。歴史の動きなども、常に遅過ぎるか早過ぎるかである。平成を「絞め」くくるのが「妖怪」の末裔である。同時に「妖怪」の末裔も「絞め」くくらないと新たな展望は開かれまい。
2018 12/23