<掲載内容>
480.継ぎ接ぎだらけのアドバルーン 481.地球に興味を持つエイリアンなど皆無 482.ヒト型がん細胞 483.驚いたことに484.「平均所得」?485.今更「勉強会」?486.ユーロ紙幣の味気無さ 487.有名無実なもの488.赤字分は0という計算 489.吹き替え版は最悪 490.たった一人の中に
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490.たった一人の中に
フランスからの便りで、数年前私と話したことを鮮明に今でも覚えているという人がいるということを改めて知って何とも言えないものを感じた。私がこうして生きて為してきたことが地球の裏側のたった一人の人間の記憶の片隅に今も鮮明に残っているということが曰く言い難き感慨なのであろう。その話の内容も単なるお喋りというよりは語り合えたと思えるような人であるから尚更である。
たった一人のそれも頭脳明晰なる人物の中に、鮮明な記憶として自分が存在していたことを思うとそれだけで充分な気もする。
2015 7/19
489.吹き替え版は最悪
どの吹き替え版も程度の差こそあれ最悪である。聞き取りにくい一本調子な日本語と声の「悪さ」、口先だけの声の「在り様」。根本的に考え直すべである。声質だけが取り柄ならアニメだけの領域でやってほしいものである。折角の外国映画が台無しなのである。声の「在り様」とは演技と一体である。何をやっても嘘っぽい物まね役者の演技を観ているようで映画の楽しみを激減させる。だから、吹き替え版だとすぐにスイッチを切ってしまうのである。感覚器官がニセモノに慣らされたくないということもある。
世間一般では、声優とは俳優をあきらめた者たちがやるものだと思っているようだが、それではすべてが悪循環を繰り返すだけである。要するに声優に対して半ば同情的でその程度のものであろうと批判の対象外なのである。これは前にも言ったが、諸外国の一級の役者の吹き替えを「アニメの乗り」でやられたらどうなるかということである。実際はそういうことが平然と行われているのである。これでは真贋の区別もつくまい。
2015 7/23
488.赤字分は0という計算
税金の話である。赤字を出してもどのくらいのマイナスかは問題にならず、すべて0という計算で、それを埋め合わせるために新たな給与所得を得ても僅かに増額した所得から保険料などもすぐに変更されて2倍から3倍近くも上がってくるらしい。これでは低所得者はいつまで経っても、どのように働こうが身動きつかず、年金頼りの高齢者であれば年金は目減りし、行き詰まってしまうのは目に見えている。
毎日を姑息に生きて自分だけはと思っていた者たちも、やがて明日は我が身ということが現実となる。「寝ている」内に、「黙っている」内に笑っている内に事は着々と進み、「目が覚めた」時には棺桶の中ということにもなり兼ねないのが実情のようである。それ程に危機に瀕しているということでもある。
明るい話は妙に嘘っぽく、暗い話は切りがない。空も構図の取りようもない雲ばかりである。
もはや悲観も楽観もない、ただ変革すべきものがあるようにあるというだけである。
2015 7/22
487.有名無実なもの
有名無実なものがほんとうに多いというより実のところ有名無実なものばかりではないかとさえ思っている。芥川賞、直木賞なども御多分に洩れず凋落の具合が甚だしい一例であろう。一事が万事でこの種の事例には枚挙に暇がないので今更とも思うが、時と事の次第では何度でも取り上げざるを得なくなる。それは生きることと不可分に関わってくるからである。できれば興に乗って書き記したいものである。
蓋し、「作家」などというのも大なり小なり作り出されたものであることに変わりはない。その真贋の唯一の線引きは生きた時代とどれ程深く関わっていたかという極当たり前のことにしか行き着かない。その関わりが皮相的であればあるほどやがて「流れ去る」というだけのことである。本来、作家などはなろうと思ってなれるものでもなく、なるものでもない。敢えて言えば、作家と言い得る者はあらゆる事象について見尽くすことの覚悟ができた者だけなのである。その他は「売文業」、「売文家」のような類のものであろう。もっともそれに該当する名称は内外問わず事欠かない「三文文士」、ポットボイラー(potboiler)」、a hack writer,barbouilleur de papier,etc。因みにhackneyの略のhackとは二流の報道記者、政治家、金儲け第一の医者、弁護士も含まれる。
2015 7/16
486.ユーロ紙幣の味気無さ
やはり、フランスはフラン、スペインはペセタ、イタリアはリラ、ギリシャはドラクマであろう。以前スペインのホテルで円をユーロに変えている時にホテルの客に1万円札を是非私に替えさせてほしいと言われたことがあった。今つくづく見てもユーロ紙幣はほんとうに味気ないものである。フラン、ペセタ、リラ、ドラクマなどはそれぞれの国柄をよく表していて実に面白い。観光国でもある国がどんな理由があるにせよユーロに切り替えたこと自体がすでに誤りであると思わざるを得ない。このユーロ切り替えについてもこれまたもっともらしい分析をしている者もあるが意味不明箇所が多々ある。それでもベストアンサーに選ばれているというのだから選んでいる方の頭の具合も不安になってくる。ついほんとうにわかっている?と聞きたくなってしまうのである。いつまでも詐欺師、三百代言が跋扈するのも頷ける。特に鴨葱状態が恒常化している日本では尚のことである。
2015 7/12
485.今更「勉強会」?
「勉強会」?、いつまでやってれば気が済むのか?勉強好きなのか、能力のない者たちが多過ぎるのか。また例によってアリバイ作りなのか?しかし、本当に、最大限の皮肉を込めて「勉強好き」な人々である。充分に勉強もし、考え抜いた者が議論し、事に当たるというのなら分かりもするが、そうではないただ低レベルな内容に終始しているだけの「勉強会」、それも税金で「お勉強会」である。今そんなことしている暇があるのか、いい加減にしろと言いたくなるのも当然である。学生時代もろくに勉強せず、いかに成り上がるかについてだけは脳みそをフル回転させていたが、根幹領域に関わるものを考えることについては鍛えられていない軽佻浮薄の、ただ遊び惚けていた者がいい年して今頃になって「勉強会」というのが実情であろう。どちらにしても、こういう者たちはいくら「勉強」したところで変わりようはない。集ったところでそれこそ互いの劣情の確認が関の山であろう。こんな人間達がどうやって「平和を守れる」というのか。身の程知らずである。もういい加減このような人間たちを選ぶのをやめ一掃してみてはどうか。その最期の時期に来ている。
2015 7/9
484.「平均所得」?
厚労省調査の「平均所得」にはいつも呆れている。大体500万から600万の間を行き来しているが、実際のところ大方が250万から400万の間といったところであろう。月収15万の者などは200万にも満たない。それもそのはずで10人の内一人でも1000万以上の者がいれば「平均値」はすぐに跳ね上がるのである。「平均所得」の「平均」には一般的な、多くの量、数の中間的な値などという意味合いはまったくない。10人の内一人でも一億を超える者があれば平均所得は1000万以上ということになる。このような数値を出されればいくらオメデタイ庶民でもその数値の虚構指数に愕然とするであろう。この数値のトリックには平均所得がたとえ1000万と上がっても、大方の所得は変わらず、生活が楽になったという実感はまるでなく、むしろ苦しくなっているということもあり得るのである。何のためにこんな無意味な数値をもっともらしく「割り出している」のかとも思う。「民の竈が賑わってるか」どうかなど一目瞭然であろう。無意味なことに現をぬかし現状を喪失しているのでは行く先は見えている。
「民」の虚栄心とプライドをうまく刺激しながら、誰も実感できない平均所得1000万円以上を実現したいのであろう。実際に利するのは「自分たち」だけである。
2015 7/4
483.驚いたことに
敢えて書いておく必要もないと思われたので削除した。「驚いたことに」だけで充分である。
2015 7/1
482.ヒト型がん細胞
いよいよ「ヒト型がん細胞」としか言いようがなくなってきた。それは、賽の河原でも賽の目に現を抜かす者たち、棺桶に両足突っ込んでも権謀術数をほしいままにすることしか頭にない者たちのことである。まともに話をするだけ無駄であろう。もはや切り取るしかないが、まず彼らに耳を貸さないことである。三枚舌、四枚舌で決してほんとうのことを言うことはない。一挙手一投足が嘘、吐く息が嘘なのである。耳を貸したが最期、「ヒト型がん細胞」は巧みに入り込んで来るということである。鷹揚に構えていたら全身にがん細胞が転移していたということにもなりかねない。敢えて言うまでもなく、彼らの弁明、甘言はすべて嘘である。取り入るためなら何とでも言うであろうし、何でもするであろう。それは常軌をはるかに逸しているが、常軌を逸すること自体が手段と同時に目的でさえあるようである。「人間」の境涯から外れざるを得ない者たち、「修羅」、「餓鬼」などと言うより、やはり不細工な「ヒト型がん細胞」そのものと言った方がより適切であろう。もし、これを大げさと思うならすでに彼らの手の内であろう。やがて、「身体」の変異を思い知ることになる。ここでいう「身体」とは、心身と周辺事情という程の意味である。
「ヒト型がん細胞」をピカソが描いたらどうなるか、やはり奇妙奇天烈、奇怪千万な自らの毒性で自分自身もやられている不気味な妖怪となるのではないか。実際、彼らの言動、姿形をよくよく見れば人間離れした妖怪そのものである。それとも人間即妖怪と見るべきなのか。言わずもがなではあるが、そのような妖怪には「人間的良心」など微塵もないということを知っておくべきであろう。
2015 6/26
481.地球に興味を持つエイリアンなど皆無
そもそも宇宙で最低の知的生命体と呼ばれている「人間」の住む地球に、遥か彼方から容易に地球に接近できるほどの能力を持つエイリアンが地球を「侵略」するなどは考えるだけでも蒙昧過ぎる。人間の愚かな楽しみ娯楽の領域の話ではあるが、どの作りも、エイリアンの具象物も単に人間の恐怖心を刺激するものをたよりに作りだされた程度のお粗末なものである。人類は未だに過去の生物、恐竜たちなどが残してくれたものをたよりに、また一方では後始末もできないエネルギーをたよりに大言壮語をしてはばからない何とも愚かしい生き物なのである。そんなものにエイリアンがわざわざ目を向けるかという話でもある。そんな愚かしさを本当の意味で乗り越えてはじめて先も考えられもするが、それ以前の自画自賛などはどのようなことを言ってみても自滅への道にしか繋がらない。それについての例外など歴史上にも思い当たるところがない。
2015 6/25
480.継ぎ接ぎだらけのアドバルーン
戦争法案である「安保法案」の合憲「派」の「御用」ともつかない「学者」の支離滅裂な論議もしかりであるが、実のところ「すべて」がこの調子でまかり通り現在に至っているといってよい。それは何も政治のみならず、「すべて」の集約なのである。これだけ高を括られた国民も珍しいく、その内に「世界文化遺産」、「ギネスブック」に登録されるのではないかとさえ思われる。それほど意識レベルが「珍奇」なのである。その様を少し離れた所から見れば継ぎ接ぎだらけのアドバルーンである。ガス漏れの音さえするが「ノイズ」のせいで気付いている者も限られているように思われる。本来ならその警鐘を出すべきところが出さないのであるからどうなるかはわかったものではない。実際に火の粉が降りかかっても、「それは花火の火の粉ですから、ご心配なく」とでも言いくるめるのであろうか。今、実質的に「独裁国家」に擬えられても仕方あるまい。むしろ「狂裁国家」ではないかと思っている。要するに、めちゃくちゃなのである。その継ぎ接ぎだらけのアドバルーンも高所から徐々に居住域に下降して来ている。ガス漏れが気になるところである。
当初より継ぎ接ぎだらけのアドバルーンを色とりどりの模様に見せかける。これもAbe syndromeのひとつの特徴的な現れである。
Abe syndrome 〉 psychopathy
2015 6/24