「ある日、その時」 (25) 2012年11月23日ー

<掲載>

337. 武器商人たちと, そして・・・ 338. 愚かしい試論、三島由紀夫と安倍晋三 339. 介護職の実態 340. 北朝鮮のミサイル騒ぎは出来過ぎたシナリオ 341.世論調査の実態 342.もはや何をか言わんやである。343.今回の衆議院選挙は憲法違反で無効 344.狐につままれたような最高裁栽判官国民審査 345. 全原発で地下構造の調査!?

                                              (転載・複製厳禁)



345.全原発で地下構造の調査!?


 今頃になって全原発で地下構造の調査とは何から何までただあきれるばかりである。以前にも書いたが周知のとおり日本は地震大国でもある。小さな地震大国が原発大国を目指すことは国土そのものの壊滅と世界の人体実験場と化す危険を併せ持つことになる。そのことについてはアメリカ、フランスの原発の位置、国土面積、地震発生率、原発事故に対する姿勢・対処などを検証しても明らかなことである。実質的に原発事故に対しては「お手上げ状態」で後始末もできない上に、どこで地震が起きても不思議ではないのが日本である。「美しい国」はいつでも「死地」と化すのである。「地下構造」などは容易に知り得るだろうが地下のエネルギーの流動、変動などをどのように察知するのか。「地下構造」を知ったからといって地震に対する実効的な対応策にはならないのは現在までの経緯そのものが如実に物語っている。況や「地下構造」、予想される災害規模などを知っていても「手抜き」が発覚している現状では何を言ってもその信用に値するものとはなり得ないだろう。またその責任の所在も明確にならないようになっているからさらに質が悪い。美味しい汁だけ吸いつくし後は野となれ山となれという資本主義構造の最悪パターンを地で行く恥も外聞もない行為はもういい加減避けなければ将来に残すのは日本人の愚かさだけということに成りかねない。

 世界に通用する自国の類まれな技を捨てさせ、「景気対策」という実態なき無策に「国民」を翻弄する者達、その姿の影さえも感知し得ぬとしたらそれは単なる衆愚であろう。

                                                2012 12/28


344.狐につままれたような最高裁裁判官国民審査


 ほとんどの国民にとって、事前に配られた「最高裁国民審査公報」だけをを読んで審査の根拠をつかむことはできないのが実情であろう。さらに日本の最高裁裁判官は内閣が決め、米国のような国会(上院)の同意を必要としない仕組みになっているので公聴会などが開かれることもなく、裁判官自身の実態が見えにくくなっているのである。言ってみれば実質的な隠ぺい構造である。この隠ぺい構造に関しては日本ほど巧みな多種多様な小技を持っている国はないと思っているが、この最高裁裁判官国民審査も同様である。結局のところ審査判断の根拠となる事に関しては、「民は之に「由(よ)らしむべし、之を知らしむべからず」なのである。その挙句「わからない」といって投票用紙を白紙で出せばそれがそのまま信任票となるのである。「分からなければそのまま入れて下さい」と「誘導」する選管スタッフもいるという。これでは戦後、国民審査で罷免された裁判官はいないというのも頷ける。

※国民の取るべき具体的姿勢、考え方については、ジャーナリスト・江川詔子氏のサイト「最高裁裁判官の国民審査をどうする?」(2012年12月14日)を参照されたい。

                                                                2012 12/21


Les élections  législatives sont contraire à la Constitution.

343. 今回の衆議院選挙は憲法違反で無効


 最高裁が「違憲状態」とした一票の格差を生む選挙方式が廃止され、新たな選挙制度改革法が衆議院解散の11月16日に成立した。「しかし、今までの区割りを見直す時間もなく、衆院選は違憲状態のまま行われ、最大格差も2.43倍に拡大した。」 これは明らかに憲法違反で、憲法違反のままなされた選挙が無効であるのは当然である。新たな選挙制度改革法成立の前に旧選挙方式で有利に衆院選を済ませておきたかった候補者も多かったであろう。11月16日を衆議院解散としたのも、いかに「政治的」駆け引きが切迫したものであったかを物語るものでもある。できれば新選挙法制度改革法成立の前に衆院選を片付けておきたかったのであろうが、それもできないまま新選挙制度改革法が成立しているにも拘わらず「区割りを見直す時間がない」などということを口実に最高裁が「違憲状態」とした選挙方式で強引に選挙戦に入り、選挙そのものを既成事実化しようとした。その結果、「違憲」とされた選挙方式で選ばれた議員が法律を作り、国を動かすことになるのである。憲法違反を事もなげに行う民主主義国家が一体どこに存在するのか、言語道断であろう。これでは言葉通りの「無法者国家」で、こんなことは到底を許されることではない。今回の衆議院選挙は無効であるというのが正当な見解である。

                    

※12月17日、二つの弁護士グループ(代理人・升永英俊弁護士)が選挙無効を求めて一斉提訴                                                    

                                                        2012 12/18

                                                         12/19 追加

                                         


342. もはや何をか言わんやである


 こういう事態は予想はされていたが投票率、各党の得票数を見ると改めて絶句しざるを得ない。これが「大衆」というものの実態であるとは何度も思い知らされてはいたが、この危機的重要な転換期にこの結果である。日本の「大衆」の特異性ということがまた浮かび上がってくる。それは,それ自体が論理的検証対象にはなりにくいDNAレベルに埋め込まれたといってもいいもので、常に何者かが何とかしてくれるという主体性、論理的思考の欠如である。

 どちらにしても、これで消費税増税は確定なのである。これは国民が消費税増税を確定させたということでもある。そして、原発再稼働、米製「自主」憲法制定、TPP等々。今頃は官僚、財界などの面々が祝杯を上げていることであろう。 国民はまんまと彼らの手中に収まったのである。

 もはや何をか言わんやである。

                                                  2012 12/17


341.世論調査の実態


 実際に世論調査を受けた知人の報告など基にその実態について具体的に述べることにする。その知人は朝日新聞の世論調査を受けたが、「読売」、「毎日」なども大同小異であろう。

 その知人のところに何度か朝日新聞の世論調査の電話がかかってきてその度に忙しということで断ったが、あまりしつこいので4回目には質問に応じたらしい。総じて調査姿勢の横柄さは否めないものがあり、質問の内容も矮小化した選択肢ばかりでどちらを選ぶかという問題ではないようなものが多かったそうだ。やはりその流れは誘導尋問に近く、その結果で推定できる範囲には限界があるというより都合のいい方向に結論付けることはいくらでも可能であるということである。当然、そこから割り出されたまことしやかな数値の蓋然性はかなり怪しいものとなる。「調査」終了時、電話口で担当者は「この結果は〇月〇日の朝日新聞に載ります」と言ったそうだ。事程左様にこの国の世論調査は海外では非公式レベルのものが公式レベルとして平然と行われているのである。そもそも詳細な世論調査にはかなりの費用がかかり頻繁に行えるものではないのである。専門の調査機関に依頼するのが本来の世論調査で新聞社が行うものではない。特に日本のようにとてもジャーナリズムとは言えない政府広報紙のようなところが世論調査したところでその信憑性はほとんどあるまい。頻繁に行う世論調査がおざなり調査となることは避けられず、またそれはどのようにも手加減できる世論調査と見るべきなのである。

 知人のところに世論調査の電話がかかってきたのは平日の9:30、14:00、19:30、20:30の計4回である。

                                                  2012 12/12


340. 北朝鮮のミサイル騒ぎは出来過ぎたシナリオ


 北朝鮮がほんとうに「その気」になってミサイル発射を考えているのならほんとうに愚かな国と言わざるをえない。それこそ米国の思うつぼであるからである。これは、米国にとっては結果的に不本意なものになってしまった日本の「平和憲法」を「自主憲法」の制定という名の下に米国に都合のいい内容に変えさせる絶好の機会でもある。安倍晋三の動きに合わせたような北朝鮮のミサイル騒ぎ、そのすべての流れがあまりに出来過ぎているのである。北朝鮮と米国との間に「ある取引」が成立しているようにさえ思える。実際にそうであっても何の不思議もない、それが政治戦略というものである。そこで一番割に合わないことになるのが99%の日本の国民自身であるということは敢えて言う必要もあるまい。安倍晋三、石原慎太郎、ノダ何某などはいかなることをどのように言ってみても国民の側にはいないということを再確認しておく必要がある。彼らには国民のことなど徹頭徹尾眼中にない。このような者達が治める国は衰退の一途をたどるだけというのが古今東西変わることがない必然的流れでもある。

                                                    2012 12 /8


339.介護職の実態


 「なぜ介護職を選んだか?」という質問で、ある若者は「他に採用してくれるところがなかったから」と素直な答えをしていた。そして、ベテランの介護福祉士でも「できればこんな仕事は絶対にしたくない。」とも言っていた。中には「思う所」があり介護の仕事選んでやっている者もいたが実際にはほとんど長続きはしない。それでも続いている者とはどこかでその仕事が「性に合っている」者か、能力的にも容貌においても他の仕事では通用しないだろうと思われる者が多い。中高年の介護従事者も身内の介護などの延長でこの仕事に就いてしまったというごく自然な流れを持つ者いるが、やはり他に仕事がなくなってしまったという者も多いのがその実情である。

 総じて、技術面は別にして若い介護職員の精神的、知的レベルは低い。それでも素直な誠実なものがあればある程度いい仕事もできるだろうが、実際には中学、あるいは高校卒業した程度で要領だけは叩き込まれ精神的には未成熟なままあるポジションに就くようになると、観察力もなく普通の対応もできないまま運動部のノリで新人ヘルパーを叩くようになる。それもようやく仕事に就いた他に行き場所がなくなったような中高年に向かってはより一層強くなる傾向がある。安い賃金でクライアントのクレームは受け、上からは理不尽に叩かれるではいい仕事はできまい。この現象は介護と言うより高齢者の適当な時間つぶしと言った方が適切なデイサービスなどの施設に顕著に現れているようだ。

※デイサービスとはコンセプトが不明瞭な実態の見えにくい和製造語であるが、要するに託児所ならぬ託老所である。

 現在、介護は民間に丸投げ状態のまま、福祉削減は巧妙に進んでいる。そのような状況で事業所同士の競争も激しくなり、クライアントは増える一方で介護職は慢性人手不足のまま益々仕事内容は粗くなっていくだろう。実際に彼らには高齢者を思いやっている時間などはないのである。だから形ばかりの、安手の演技ばかりが先行する。特に若くして介護職に就いた多くの者は高齢者に対する敬愛の情などは全くなくなるであろう。これは「職業病」などといって簡単に片付けられるものではなく、やはりその人間にとってはひとつの悲劇なのである。

                                                 2012 12/3

 <追記>介護職にまつわる美辞麗句には枚挙に暇がないが、現状はただ痛々しいだけである。余程自分自身に「核」となるものを持っていないと知らず知らずの内に肉体のみならず精神障害を引き起こすのは避けられないだろう。ある意味では、これも脆弱な社会機構を持つ国の犠牲者とも言える。


338. 愚かしい試論、三島由紀夫と安倍晋三


 これも敢えて取り上げる程の本でもなさそうなので軽く流す程度にしておく。「約束の日」小川榮太郎著のタブロイド判新聞の広告に載っている本文P197ーP198の抜粋部分だけでその全貌が見える。

 著者は、昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入した時の三島由紀夫のバルコニーでの演説を抜粋して、三島由紀夫と安倍晋三を並べるのが無茶な比較であることはいうまでもないとしながらも「安倍が、首相として挑戦した「『戦後レジーム』の『濁流』はかって、三島由紀夫が自衛隊のバルコニーでの演説中に強烈な無力感をもって対峙していた『ヤジ』の背後の、有無を言わせぬ圧倒的な力と同質のものだと思われるからだ。」という。そもそもこの二人の比較検証にどれだけの意味があるのかが問題になるが、意味があるとすれば現役の「政治家」である阿倍の人物的捏造、脚色であろうが、こうしたことはいつの時代にもあったことである。安倍が「戦後レジーム」の「濁流」に挑戦したとあるが、「戦後レジーム」とは「戦後民主主義」そのもので、その濁流とは「欺瞞性」といってもよいが、それでは安倍がいつ戦後民主主義の欺瞞性にどのような方向で「挑戦」したのか。後期の三島にはギリシャ的肉体謳歌の解放された美意識がその核にあるが、それは当然、戦後の似非民主主義の欺瞞性と真っ向から対峙しざるを得なくなる。「演説中に強烈な無力感をもって対峙していた『ヤジ』の背後の云々、この時には三島の中に無力感など微塵もなかったはずである。そんなことはすでに想定内のことでそれより彼の中では「美の完結」に向かって収斂することにすべての神経が注ぎ込まれていたと言った方が適切であろう。それは彼の描いた美的世界と現実世界との見事な融合の瞬間でもある。彼が切腹の際、腹を真一文字切り裂き、さらに腹上方に慣例どおりの寸法に切っていることからもそれは窺い知ることができる。後になって安倍が何にどう「挑戦」したかについてなどは何とでも言えることである。三島由紀夫と、いざとなれば「お腹が痛い」などと言って逃げ出す安倍晋三とではどこをどう取っても比較にはなるまい。むしろ、浮ついた形骸化した言葉に酔う、義のない者を嫌った三島とは対極にいるのが安倍である。さらに言えば、三島が対峙した「ヤジ」の背後に存在したとされる「圧倒的な力」と安倍そのものは同質である。

 これは憲法改正(9条)に漕ぎ着けるための布石でもあろう。自主憲法の制定とは聞こえはいいが、それは米国のかねてからの要請でもあり、米国によって押し付けられ、今度は米国の都合で改正されようとしているというのがその実情であろう。憲法9条の「手直し」は日本が米国の思うがままになることでもあり、これが一旦崩されたら世界に誇れる、人類が誇れる米国にとっては不本意な日本の平和憲法の消滅ということ同時に民主主義国家の崩壊にもつながりかねない。そして、当然のごとく徴兵制度、国防軍、核兵器、海外出兵等々が済し崩し的に起こってくるだろう。これは「自主憲法」の名の下に実質的にアメリカ合衆国日本州になることでもある。隷属国家になることなど三島にとっては看過できることではない。戦後日本は「米国によってレイプされた女」のように誇りも何もかなぐり捨てて逞しくも拝金主義のタコ女郎のように生きてきた。たとえエコノミックアニマルと蔑まれようとものともせずただ邁進し経済大国にまでのし上がった。当然それによって失われてしまったものも数知れない。それは三島の「美意識」からすればとても許せる状況ではなく、いずれ彼が何らかの形で「切り込まざる」を得なくなる「濁流」ともいえる対象であることはわかるが、そのような状況の中でむしろ「ヤジ」の背後にあるものと同質化して存在し得た安倍の立ち位置から一体どのように何に対して「挑戦」したのかは不明というより、その必然性が見い出せない。著者のいう安倍の「挑戦」と三島の対峙したものが同質だという見解は全く見当はずれで、似ても似つかぬ程異質である。

 この本が紀伊国屋書店第1位だそうだ。信じ難い。文芸評論家も質が落ちたと言うべきか、もともとその程度ものなのかどちらにしてもさしたる興味もない。

  これは安倍の関係団体、事務所などが宣伝のために大量に買い取り支持者に無料配布するしかない程度の本である。

                                                     2012 12/1


 337.  武器商人たちと、 そして・・・


 周知のように、武器商人は個人営業もあるが最大の武器供給者は国連安保理の常任理事国である米英露仏中である。戦争で儲けている者達とは、言ってみれば戦争がなければ商売が成り立たない者達で、ある時は戦争の火種を見つけては煽り、またある時は戦争の火種を自らを蒔いて武器の在庫整理をし、あるいは最新鋭の武器を提供しながら巨万の富を蓄積する。

 2012年4月17日、前東京都知事・石原慎太郎が東京都による尖閣の買い上げについて「最初」に開陳したのはアメリカのヘリテージ財団のシンポジュウムにおいてであるとベンジャミン・フルフォードも指摘している。これは石原がいかにアメリカの新保守主義系シンクタンクと密接な関係にあったかを示すものである。ヘリテージ財団は表向きは慈善活動を行う団体となっているが、実は保守派の情報ブローカーが立ち上げたネオコン系のシンクタンクで、「今やアメリカの政治に欠かせない存在」となっている。ネオコンすなわち新保守主義とは「小さな国家」、「市場重視」、「規制緩和」、「民営化」と聞き覚えのある言葉がいくつも出てくるが、「自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さない考え方、政策」を持つものでもある。一見きれいな言葉が並んではいるが、ここにも武器商人たちが暗躍する隙間が遍在する。日本においては、アメリカからの武器買付を正当化させるためには中国、北朝鮮の脅威をさらに煽ることが必要不可欠なことでもある。そこで石原は以前使って無視されたカビの生えたような「尖閣の買い上げ」というカードを取り出し中国を刺激してアメリカの役にも立たない「最新鋭」の武器を日本に買わせる口実に使うというブローカー的役割を果たした。石原はさぞネオコン系の者達には感謝されたことであろう。この男が今度は核保有などと言い出しているのである。その先は推して知るべしであろう。アメリカのポチがその気になってその内アメリカとも中国とも敵対し自滅の道を歩むことだけは避けなければならない。今までもアメリカの都合でいつの間にか作り上げられてしまった「怪物」はアメリカ自身の手によって潰されてきている。もっともこの老人にはポチを脱する気持ちなどはもうとうなく、時間もない。ただし、何を託すつもりかその後継者だけはいる。

 この間の情勢を見ていると、日本と中国間に局部的な猿芝居のような戦闘をおこさせ、アメリカのテコ入れでもあるかのような北朝鮮の在庫ポンコツミサイルの整理処分で日本を威嚇し、それに乗じてアメリカは日本に武器を供給する機会を得る一方で中国国内では日本を出し抜いて着実に市場を広げるというのがその落ちであろうと思われる。どちらにしてもアメリカに損はない。そのようなアメリカの意向に沿えるのが石原なのである。そこで確かなことは、そのすべてのしわ寄せは日本の99%の国民自身であるということである。石原慎太郎は1%の日本人であって、99%の日本人ではないことも明確なことである。彼の頭には99%の国民のことなどは微塵もなく、いかに国民に孤媚(こび)、ありもしない「義」をぶち上げ、自らが利するかである。

 

                                                2012  11/23

アーカイブ
TOP