「ある日、その時」(63)5月14日ー

<掲載内容>

705.「トランプが何をするかわからない」?706.「子育てで何が重要か?」707.主計大尉に何がわかる?708.「強行採決」ー俺様詐欺ー 709.国連特別報告者の指摘 710.えげつない官邸である 711.北朝鮮のミサイルで「騒いで」どうする?712.主権者に忖度は必要なし

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712.主権者に忖度は必要なし


「御用コメンテーター」の量もさることながら、「笑えない」「お笑い芸人」が様々なジャンルに顔を出し、いっぱしのコメンテーター気取りである。思ったことを個人として言うことには何ら問題はないが、彼らの「主張」や「振る舞い」は飽くまでそれで飯を食っている「お笑い芸人」の立ち位置での物言いなのである。すなわち、「権力やスポンサーへのこびへつらい」から抜けきらぬままの「空気を読み」ながらの忖度渡世といってもいい。怖いものでそれがいつの間にか世の中一般の「規範」のようなものを形作ってしまっているのである。言ってみれば、彼らの存在そのものが権力の構造の補完として機能しているということである。「笑えない」「お笑い芸人」に何の意味がある。あるとすれば「御用」の提灯持ちくらいなものである。忖度の必要のない主権者になるにはそんな御用提灯は切って捨てるしかあるまい。もうすでに彼らの存在自体が目障りなのである。忖度に振り回されているより確固たる主権者に立ち返ることである。

                               2017 6/1


711.北朝鮮のミサイルで「騒いで」どうする?


 これは一体何に対する「援護射撃」かと思われるが、これで何がもっともらしく「粛々と」進むのかを見れば謎は解ける。改憲、防衛費の拡大を「認めさせる」には絶好の機会でもあり、事象でもあり、その下準備ともなる。実際、ここぞとばかりの騒ぎようであるが、騒いでどうするのか?国民の下意識に戦闘の正当性を沈殿させて戦でも始める気なのか?米から武器を買いあさって、日米韓合同でどうする?ミサイルの落下地点のすぐ先には若狭湾の原発がある。原発のあるのは若狭湾だけではない。狭い国土のそこかしこに原発はあり、地震大国でもあり、食料自給率はきわめて低い上に人口の減少は歯止めもきかず、それも少子高齢社会。こんな状態では「自衛」すら、おぼつくまい。いつ梯子を外されてもおかしくない「日米同盟」、「あの」安倍と「あの」トランプが「気持ちが通じ合った」仲ならなおさら剣呑であろう。何もないに等しいが、それ以上に質が悪いはずである。

 ここにきて特に安倍の舞台設定には余念のない渡辺組の読売などの騒ぎようは尋常ではない。他紙も五十歩百歩で、朝日の論調が左派などと言っているようではお里もオツムも知れるというもの。

 しかし、このところ「御用コメンテーター」の類がやたらとかまびすしいが、類は友を呼ぶで、やはり安倍寄りの人物のいかがわしさは半端ではない。「御用」は余程「おいしい」のであろう。しかつめらしい語り口で何を言い出すかと思えば、現実の皮相部分をあたかも本質論に見せかけての論点すり替えの御託ばかりである。

                           2017 5/29

                


710.えげつない官邸である


 どこまでもえげつない官邸である。何一つまともに答えることもなく。やばくなると陰でこそつきながら手あたり次第のえげつない攻撃に転ずる。提起された問題に対して、ひとつとしてまともに答えたことがない。ウソ、目くらまし、すり替え、隠ぺいは朝飯前で道学者気取りの物言い、提起された問題には答えようともしないで、問題をはぐらかす。黙って聞いていると、よくぬけぬけと言うなという内容ばかりである。それが事実であるかどうかなど彼らが勝手に決めることではない。「かん」だか「すが」だか知らぬが官房長官や安倍の言動、とても「日本人」であるとは思えないのである。要するに、「日本人」という範疇を外れて、恥を知らな過ぎるのである。「恥」は日本の重要な文化的要素でもある。その「恥」の領域が欠如しているのである。おそらく家系をさかのぼれば「日本人」ということも怪しいものであろう。DNAレベルの作りそのものが違う、「冷血」の度合い、色合いが違うのである。彼らだけではなく官邸周辺もすでに「日本人」以外の者たちに乗っ取られているのではないかとさえ思える時がある。経済最優先と言っている「経済動物」の割りには「反中」、「反韓」の姿勢に「妙に」こだわるのは「身内の骨肉の争い」が綿々と続いているとも思えるのである。距離を置く冷静な判断が取れるのであれば高度な外交も成り立つが、前頭葉に支障があるのではないかと思われるほどの感情過多では話にならない。彼らが主導する「共謀罪」「改憲」、考えただけでも身の毛がよだつというものである。下目を使った何食わぬな顔の菅の言動を見れば一目瞭然、へらへらしている内に場合によっては立ち小便してもしょっ引かれることになる。

 ここでは、民族主義、差別主義の器量のなさは論外で、日本人以外は認めないなどということを言っているわけではない。日本人の文化的差異を言っているだけである。日本人も冷血漢はいる、詐欺師、偽悪、偽善、アホ、バカ、クズの類、大中小の悪人もいる。そして、概して「悪」系の割合が多いほど感情過多の主張も多くなる。ただ、わかりやすく簡潔に言ってしまえば、その「度合い」、「色合い」が違うと言っているのである。

                                2017 5/26


709.国連特別報告者の指摘


 国連特別報告者とは国連人権理事会から任命された者である。その国連特別報告者が「共謀罪」の新設について指摘したことに対して日本政府が抗議したとある。抗議する以前に指摘された内容に答えるべきなのであるが、「日本政府の意見を聞かない」、「一方的な主張に過ぎない」と非難した。どちらが一方的で、意見を聞こうともしないかは明らかである。実際、日本政府の抗議文には国際組織犯罪防止条約加入のために共謀罪の新設が必要だという内容があるだけで、法案の欠陥に対する憂慮に対しては一言も言及がなかったということである。指摘されたことには何も答えず、逆に抗議しているのである。ほんとうに一事が万事の「何でもあり」内閣である。今でも世界的には肝心なところは蚊帳の外であるが、こんな調子では今後はさらに孤立化の道
を辿らざるを得まい。この政府の発信することをまともに受ける人はもはやいないと思うが、説明を求めても無駄であろう。状況証拠もあり、物的証拠もある「犯人」が黙秘と「目くらまし」を繰り返しているようなものである。

 オリンピックという「お祭り」を目指して改憲、共謀罪の成立。このまま行けば、2020年の東京オリンピックは忘れえぬ忌まわしき事の始まりとなるだろう。

「共謀罪」成立によって「何で、私が?」ということがそこかしこで起こることであろう。

                               2017 5/24 5/26

※他の国連特別報告者には日本政府は叙勲を行っていたということである。叙勲も口封じには便利なのであろう。


708.「強行採決」ー俺様詐欺ー


 「俺様」を作り上げてしまったのも国民である。詐欺師としか言いようのない言動の数々、そして理不尽な「強行採決」を平然と行う。そのような状態にしてしまったのも国民である。今の国会の醜態はそのまま主権者たる国民の醜態でもある。どうにもならない国会議員ばかりを選び出してしまった者たちの責任である。真摯な姿勢を持つものと口八丁手八丁の詐欺師たちを見抜けない主権者たる国民の責任でもある。詐欺師は、だますためには「ありとあらゆること」をするから詐欺師なのである。放置すれば確実に選んだ者たちのすべてを搾り取ろうとする。そこまではしないだろうなどというあまい幻想は持たぬ方が賢明であろう。権力が集中し始めるとその周辺も含め、簡単に「人でなし」になっていくのである。一旦トリックに引っかかった者たちは手を変え品を変え時間をかけて骨の髄まで搾り取られることになる。詐欺師はその世界から完全に葬り去るより他に方法がないにもかかわらず、「A級戦犯」クラスの「だまし」をやっていた者がまたいつの間にか返り咲いているという妙な国情もそれを許している選挙民自身の問題としてある。もともと日本は「ポスト・トゥルース」で、客観的事実より「偽りの」感情や個人的「思い込み」の方が影響力を持つという国柄でもある。現に今の国情、国会の状態が露骨にそのことを示している。

                               2017 5/19

5月23日 「共謀罪」法案、衆院通過 自公維の賛成多数で可決。

 おのおの方、しかと覚悟をなされるがよかろう。糊塗、隠ぺい、ねつ造、虚偽の著しく多い「集団」から充分な説明もないまま怪しげな「薬」を強引に飲まされたようなものである。やがて、いばら垣を裸身で潜るようなことにもなりかねないことは容易に想像できる。今後のさらなる間断なき吟味、検証は不可欠であるが、もし少しでも手を緩めれば、忘れたころに一挙にその「薬」の効果は出てくるであろう。それが彼らの狙いでもある。


707.主計大尉に何がわかる?


 戦時中は主計大尉であった中曽根康弘は、自分は戦争を知っているというようなことを以前言っていたが、それは飽くまで主計大尉と言う立場での話である。彼は、砲火の中や血と汗と汚泥にまみれることもないところにいた者である。実際、一体何を知っているのかと思われるようなことも多い。戦争の悲惨さをいやと言うほど見せつけられた優秀であった者たちの多くは母国の土を二度と踏むことはなかった。彼らが生きていれば決して中曽根と同じ方向は取らなかったであろうということは容易に推測できる。要するに、中曽根の「戦争」についての「話」とは後方部隊で金計算、駆け引きしかしていなかった者たち、すなわち戦争を机上でしか行っていなかった者たちの「話し」である。言ってみれば、戦時中に「いい思い」をした連中の「夢よもう一度」に近い「話」なのである。そんな「話」に乘れば大多数の者は血と汚泥にまみれるだけである。老いた中曽根の顔には「戦争」を経たという「歴史」がない。それは刻み込まれるはずの「悲惨さ」の欠如でもある。そこにあるのは「非常時」をうまくかいくぐったという自己に対する驕りに近い思いしか見えてこない。最近の安倍との改憲協調路線は中曽根の内実をよく物語っている。

両者の軽重の違いなど言わずもがなのこと。一方は効果がありそうだと思えば何にでも抱き着く、抱き着き詐欺師同様で、他方はそれなりに概念操作の鍛錬はなされているという違いはある。

もし、安倍とは違うというのであれば、石破茂と同様に明確に一線を画すべきであろう。

                                2017 5/17


706.「子育てで何が重要か?」


 「子育てで何が重要か?」という「記者」の問いに、菅という「政治家」は即座に「私はやはり、ウソはついちゃダメだということだけはずっと言っていた」と答えたという。まさに不条理の極致であろう。その臆面のなさ、病的ともいえる欺瞞で満ち足りている。「一般人」であるならとてもついていける世界ではない。言っておくが、子供に「ウソはダメだ」と教えること自体は大事なことで、それについて問題にしているわけではない。ここで大いに引っかかるのは、「子育てで何が重要か?」と問われてこの政治家が「即答した」「ウソはダメだ」という文脈が流れ過ぎることである。それは出来過ぎているということでもある。それにもかかわらず、さらにわかりやすく言えば、巨大なウンコのようなウソのど真ん中にいる御仁が「子育て」について明敏に「ウソはダメ」だと言っているから臆面のない不条理なのである。

 「子育て」ということから少し離れて、ここでも見えることがある。それは、自分にはできないこと、やろうともしないことを平然と他者に強要するということである。この手の人間は、他人には「正直である」ことを求め、自分が詐術を弄することに対しては何とも思わぬのである。戦時中「生き恥をさらすな」と勇ましいことを国民には言っておきながら自らは生き恥をさらし生き長らえる類である。要する信用できない手合いの典型ともいえるのである。

 あたかも自分はウソをついたことがないかのごとく、つい何を柄にもないことを言っているのかと言いたくもなるが、そんな輩が実に多いのも実情である。実際、この御仁のどこを見て言っているのかわからないような下目気味で言うコメント、警察の取り調べ室なら「間違いなく」「黒」と判定される人物であろう。「父ちゃんの仕事はうまくウソを言うのが仕事なんだ」ということですべては正当化されるのか、やはりそれはどのようなことを言ってみても許されざることで
あることに変わりはあるまい。

                                 2017 5/16


705.「トランプが何をするかわからない」?


 当然であろう、トランプ本人が何をやっているかわからないのであるから。私は以前にもアベとトランプは同質であると言ったが、「人間的」にも重なり合うところはいくつもある。そのトランプの言いなりなのがアベである。アベの「この道しかない」というのはアメリカの言いなりになって同盟国などという範疇をはるかに超えて隷属国家のごとくかしずくことを意味する。憲法をいじくり回しているのもそのアメリカの意図をくみ取ってというよりアメリカの「至上命令」に近いものであろう。その方向を取っている限りつぶされることもないと思っているのである。実に安易である。要するに、憲法をアメリカの思惑通り変えて、世界各国アメリカ軍と共にどこへでもお供できるようにしたいのである。今後、日本人の戦死者が出てくるのは予想されることであるが、その時点では一般市民が抗議、反戦デモなどを企てても今度は「共謀罪」で事前に逮捕されるということになる。反対の意思表示すらできないことになるであろう。「お国の政策」に反対するものは一般市民ではなく「プロの市民」(?)ということで「共謀罪」適用。「親分、あいつ怪しいですぜ」、「そうか、しょっぴけ」三文時代劇さながらのことが現実の巷で繰り広げられることになる。

                                 2017 5/114

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