<掲載内容>
622.今、ゲームに夢中になっている場合なのか?<番外日誌20160428>茶髪の猿 <番外日誌20160429>アホかホラか、ホラーかホラか 623.「最高責任者」様、どちらへ?624.神戸製鋼は安倍系企業であるということ 625.「法華経」を信奉する者たちが・・・629.マスメディアよ!他国の批判などしている場合か
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626.マスメディアよ!他国の批判などしている場合か
腐る程ある自国の政府批判はほとんどせず他国の批判などをしているマスメディア、「私は立法府の長」などと言い出すおっさんとその周辺の走狗たちの脅しに屈してできないというべきなのか、どちらにしてもこの事態は不健全なこと極まりない。その挙句に他国の漫画的分析である。それを大真面目でやるものだから、どこかの未成熟国家を彷彿とさせるのである。それはそのまま自国の戒め、批判にもつながることばかりであるが、あろうことか国会で「立法府の長」などと言って平然としている御仁のクローズアップだけを垂れ流しているマスメディアの責任は大きいというよりやはり共犯である。しかし、この程度の「おつむ」の具合であるからどのような「でたらめ」をしておいても何食わぬ顔をしていられるのであろう。彼らの「甘言」はすべて選挙対策用のもの、騙し、目くらましであることを忘れて選択肢を間違うと今度という今度は国民にとって致命傷となることだけははっきりしている。
22016 5/18
625.「法華経」を信奉する者たちが・・・
「法華経」を信奉する者たちがどうしてこのような政党を支援しているのかまったく解せない。それはどのような詭弁を弄して償い切れないことをなしているからである。暴走する政党の「ストッパー役」などというのもその詭弁の類である。「善」を為すには無定見ではできない、常にある程度の見識が必要になってくるのである。そうでないと「善」と思ってなしたことがいつの間にか「悪しきこと」にからめ取られてしまっているということになる。もはやいかなる「正義」も「平和」も成り立ちようがない「政党」の選挙補完、パラサイト的様相を呈している政党の支持母体が「法華経」を信奉する者たちとは世にも不可思議な現象である。もし、そのことさえ気づかないのであれば完全に「悪」に食い尽くされているか、丸め込まれていることになる。「法華経」を信奉していると思われる者が「悪いことは」はしまいという思い込みは捨てた方がよかろう。それは「法華経」を信奉しているのではなく、利用しているだけなのである。敢えて言うまでもなく、現政権が実際にやっていることは99%の国民の首を絞め、国土を汚し、「平和」を切り崩しているというのが実情で、それ以外は何をどう言おうが糊塗、ねつ造、パフォーマンスなのである。まさか、「法華経」を信奉している自分たちだけは「救われる」などと思っている訳ではあるまい。もしそうだとしたら、「法華経」などとは縁もゆかりもない人々ということになる。「労働組合」とは名ばかりの集団とさしたる違いはない。
世界三大宗教の中で、仏教だけが宗教戦争の領域外なのである。「戦い」とは無縁の宗教がここにきて戦争放棄を捨ててどこまで突っ走るかわからぬ政党と同調しているのでは仏教とは無関係の「法華経」信奉者なのであろう。
また、いまだに「他に適当な人がいない」などと世迷言を言っているような選挙民ばかりでは自死の道を自ら開拓しているようなものである。
2016 5/12
624.神戸製鋼は安倍系企業であるということ
神戸製鋼は安倍系企業、これだけでほぼすべての動きは了解できるであろう。戦車、潜水艦、などの軍需産業、原発機器などを一手に引き受けて神戸製鋼はさらに巨大化する。憲法改正、原発再稼働についてもっともらしい理由付けをしてはいるが、安倍系企業のためには何でもするというのが安倍の立ち位置。その見返りに計り知れないバックアップと全面支援である。その経済効果でおこぼれにあずかろうなどと思っている者たちには「おいしいこと」はない。安倍系企業以外は排除されるからである。大方のメディアの動きも同様。安倍系メディア以外、そのようなメディアがどの程度あるかは知らぬが、余程大胆な決断をしない限り経営的破綻に追い込まれることになるだろう。しかし、1%の「都合」、「利潤追求」でしかないことに「これしかない」とすべてを託し、そのためには厚顔無恥なあらゆる手段を講じるその「方向性」そのものからはすでに至る所で大小様々な「ほころび」、「傷」が生じているのである。そして、その「ほころび」は縫いつける間もなく裂け、「傷」の止血帯はすぐに真っ赤に染まるというのが実情であろう。それは「方向性」そのものからくる必然である。「結果を出す」ではない、結果はすでに出ているのである。死の商人の「挑戦」などについて行く者はどのような美名で飾られようとも実質は犬死同然である。
2016 5/4
623.「最高責任者」様、どちらへ?
福島の実情は密封、いまだに天災に怯えながらその日の暮らしもままならない状態を強いられている熊本の人々に対して二の次三の次の処遇をしておいて、挙句の果てにゴールデンウイークに「最高責任者」様はご夫婦で「欧州訪問」、物見遊山ではないなどと弁明なさるであろうがさしたる意味も生じないまたぞろ豪華な「海外旅行」である。巷は巷で「被災地に元気を送る」と称してこれまた自分たちの都合でしかない空騒ぎとバカ騒ぎ。「元気を送る」などというのは危機を脱して「一段落」した人たちに向けられるもの。現に今不安におののきながら日々の生活も思うようにできず、いつまた生命に関わることが起きるかわからない状況の中にいる人々に向かって言うことではない。オリンピックなどもしかり、いかにも経済効果があるようなわかったようなことをおっしゃる御仁もいるようだが、現状ではまったく逆であろう。オリンピックが致命傷になる可能性もある。実際、全国で行われる大中小のイベントは隙間風が吹いている。要するに、すべてが空元気、言ってみれば嘘っぽい、空疎なのである。一挙手一投足、吐く息まで嘘の「お方」とどこか共鳴し合っているとも思われる。
今、つけっぱなしのテレビから憲法改正などはまだ先のことであろうと安倍さん自身も
言っているなどとしたり顔の評論家が出ていたが、これは非常に危険であると同時に阿部流虚言操作であると見た方がいい。そして、この手の類は時間の経過とともに何とでも言えるのである。そして、「先を読んでいた」、「苦渋の決断」、「悪い人ではなかった」などの人間主義的矮小化が始まり、問題点は不明瞭になっていく。あろうことかドラマ「進行中」に悪役自ら出てきて「俺がいなければ成り立たない」といっているようなもの。これは個的にどう認識しているかの問題ではなく、どの「位置」に「いて」何をなしたかがすべてということである。最終的にも根本的にもそれが問われるだけである。そもそも、まともな評論家などメディアの表舞台には出られない、あるいは出ない状況を考えれば、どのような評論家であるかは明らかである。内輪話のようなものが何か真実であるかのような「錯覚」からは早く脱するべきであろう。そこには内輪話をする者の自己ねつ造を通した様々な誘導が張り巡らされていて、いつの間にか多量に相手の思惑通りの検証のしようのない呪縛言語を吸引することになる。
2016 5/1
<番外日誌20160429>アホかホラか、ホラーかホラか
アホな大ボラを悪びれることもなく為す鉄面皮、鉄面皮が群れを成せばやはりホラーである。ホラーは所詮ホラ。ホラだらけのホラーが現実の一部であるなら、生き延びる手立ても創造的に考えねば身が持つまい。生き延びること自体にはさほどの意味もないのと同様、自死にも意味がないのであるから。
ろくでもない結果ばかりを出しておいて、「結果を出す」と豪語し、100%退化としかいいようのない状態を「常に進化する」という、これはもう厚顔無恥が鉄面皮となったホラーとしか言いようがない。文字通りの意味での鉄面皮となったシロアリの軍団を想像してみればよい、ホラー映画など以上にホラーである。そこには「人間」の痕跡など微塵もない。これが現在の日常的現実なのである。いつまでも能天気でいればいつの間にか居住空間さえなくなっているだろう。「彼ら」の操る言葉に騙されてはならない、「彼ら」とは「そういうもの」たちなのである。彼らの存在そのものがホラーなのである。
<番外日誌20160428>茶髪の猿
茶髪の日本人を見る度に、茶髪の猿にしか見えない。それもジーンズを腰より下にはいた短足茶髪では見世物小屋から出てきたチンパンジーそのものである。ただ目立ちたい一心なのか、己を知らぬというか、自虐趣味なのかどちらにしても大層ちんけに見える。そうかといって和服を着るべきだなどというつもりもない。茶髪の猿、それはもはや枯渇してしまったエネルギーの裏返しとも見える。
622.今、ゲームに夢中になっている場合なのか?
こんなレベルの話をするのも憚られるが、43歳にもなってゲームのアプリのレベルが下がったことに腹を立てて実際に爆破宣言した男がいたが、改めて現状を確認することにもなったので取り上げることにした。いつまでも漫画しか読まない、ゲームばかりしているというのは緩慢なる自殺の道を突き進んでいることになる。たばこが緩慢なる自殺などといわれて久しいが、たばこも吸わずサプリなどで健康に気を遣う者が四六時中ゲームに夢中になっているとしたら、とても健全なる精神は健全なる身体に宿るどころか、病的かつ脆弱な精神が健全なる身体に巣くい増殖していることにもなる。考えることと言語は不可分である以上、必要最低限度の簡略化された言語しか遣わないということは健全なる脳細胞の萎縮、すなわち精神の衰退を余儀なくされるというのは当然のことであろう。「がたい」は「大人」であるが精神的には未成熟ということにもなるが、現在そのような事例を見ることがあまりにも多過ぎる。このような未成熟な人間が何をするか、今後予想されることは、単に未成熟であることからくる善悪の区別もできない「人間」というコンセプトを逸脱した行為、またそのような者たちを利用する者たちが多くなることであろう。昨今の実学偏重傾向はこのような現状をさらに悪化させるだけで、「人間」の成熟からは遠ざかるばかりである。未成熟な人間の増殖を喜ぶのは一部の利害しか考えぬ未成熟な「者」たちだけである。ただし、そのような未成熟な「者」の「論法」で世界を騙すことはできない。原発のアンダーコントロール云々以後繰り返される大風呂敷は広げられるばかりで、知らぬは自国の人々だけということではお話にもならない。それは怪しげな北の国と同様でもあるが、すでに目くそ鼻くそを笑う段階を通り超している。つい鏡なす「ある思い」に駆られてしまう。虚偽のレトリックを悪魔的に操る「ところ」が生産したいかなるものも全面的には信用できなくなるのはどこでも同様。今後、評価の高かったものですらその信用度はますます失墜していくだろう。要するに、自業自得なのである。
未成熟な者とは気付くことがない者たちのことでもある。自分がなぜそのような状態に置かれているのかさえわからない人々なのである。
2016 4/27