<掲載内容>
638.「7・10」 スネイキーなロープ 639.「戦闘ゲーム」も一種のマインドコントロール 640.都知事選 立ち位置見れば 一目瞭然 641.今や日本人はAbeで、+トランプである 642.障碍者施設大量殺傷事件 643.当世書生気質 <番外日誌20160803> 644.オリンピック断想
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644.オリンピック断想
一頃のような思いもなく、仕方なくオリンピック中継を垂れ流している時もあったが、選手たちの隙の無い全身全霊の「具現」にはやはり魅せられるものがあった。それは、スポーツ自体が引き起こすもので、オリンピックに関わる金塗れの周辺の醜悪さを一時的にも払拭してしまうから恐ろしいものである。
競技である以上、選手がメダルに拘るのも当然であろうが、それが個的なものからいつのまにか離れて勝手に独り歩きをして当事者をがんじがらめにしているという実情を見せつけられる度に何とも痛々しい思いに駆られる。オリンピック理念とはかけ離れて現実的には「次期オリンピックを目指す」とは、ある意味では刑務所内で「特殊強制労働」を4年間耐えることにも等しく、苛酷なことであろう。そして、ようやく「出所」してもメダルを取れればよいが、取れなければ「暗黒」に突き落とされる。
金メダル獲得者に「次期オリンピックは連覇を!」銀、銅メダル獲得者には「次期オリンピックには金を!」と期待するのは勝手であるが、選手には実質的に4年間の「特殊強制労働」を強いているのである。その「期待」を真っ向から受けて立つ覚悟とスタンスを持っていればよいが、そうでなければ辞めるべきであろう。マスメディアなどに振り回される必要はまったくない。続行するかしないかは選手自身が決めることで周囲の者がとやかく言うことではない。したがって、すべては誰が頼んだ訳でもなく、自己選択、自己責任なのである。
私は、密かにオリンピックの金メダリストがほんとうに「最高位」なのかと思っている。知られざる「ナンバーワン」は他にもいるのではないかと思える時があるからである。しかし、実際に見られない以上それは証明しようがない。金のメダルという「最高位」の位置は立った瞬間から実質的に失われていくが、すでに個人で金メダルを22個も保持して最高位に立ち続けている水泳のフェルプスのような選手を見ていると、彼の中ではもはや金メダルを取ることが最大の目標となっているとは到底思えないのである。フェルプスは、北島と同時期に登場した選手であるが、勝って「チョウー気持ちいい」などと素直な表現をしたことでも耳目を集め、マスコミに追っかけまわされた北島とは好対照な歩み方をしていると思われた。現状を見れば、両者の本質的違いは明らかで、「成り立ち」、モチベーション、展開の方向性などの質的相違は敢えて言うまでもないことである。
体操の内村航平,ここまで来る者の共通の精神構造を持っている。今回もまたマスメディアの圏外にあった者たちの活躍が目立った。
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後日、つい気になってテレビをつければ、金で辞職に追い込まれた元知事がオリンピックの選手について講釈している。どうなっているのかと思うのは普通の神経を持っていれば当然のこと。こういうことが許される、許す「ところ」とは? 一体どういうところなのかとあらためて思う。 (8/11以降の某日)
2016 8/11
<番外日誌20160803>
御用聞き専門のマスメディアでは、「お上」の同属間の単なる私憤による恨み、復讐を「意趣返し」と言うらしい。さももっともな理由がありそうな表現でもある。隅々に至るまでの気の使い方である。要するに、何でもありの醜い権力闘争を「異趣」を添えて「庶民」に伝えようとする涙ぐましい努力なのである。
643.当世書生気質
最近の学生諸君と接する機会もないので彼らが何をどのように捉えているかなどということを具体的に知る由もないが、それで特に困ることもない。また、最大公約数的などちらかと言えば皮相な学生たちなどにはそれほど興味もない。某作家の長く続いているタブロイド紙のコーナーに学生との会話が出ていたが、そこから見えてくる学生像とは以前とさほど変わり映えのしない一般的な、言ってしまえば思慮浅薄な学生の姿である。いつの時代もこのような学生はいた。そして、実はそのような学生ばかりではないのであるが、最大公約数的なところでしたり顔に「文化論」などを言い連ねる者とは概して「迷うこと」すなわち「考えること」を「知らない」偏狭さで其処彼処が閉ざされている。自己の感性だと思い込まされている領域で小さくまとまり過ぎて、若くして「硬化」が始まっているのではないかとさえ思われる。これでは「生前硬直」が起きるのもそう先のことではない。もちろん、そのような者たちばかりではないだろうということも付け加えておく。
2016 8/3
642.障碍者施設大量殺傷事件
加害者の精神鑑定も必要であろうが、この加害者には人を殺したという「暗さ」、「重さ」がまるでない。この軽さは「思考停止」状態の者に共通の軽さでもある。嘘も常態化されているので何とでも言うし、言い逃れるだろう。さらに根深いコンプレックスと薬物と自己陶酔をもたらす文言による「全能感」である。薄っぺらな小冊子程度の内容で誰でもヒットラー気分になれる安直な「お決まりのコース」である。因みにヒットラーなどもコンプレックスの塊のような男で、つまらない絵を描いていた時期もあった絵描き崩れである。そして、悪しき時代の流れが希代の三文役者を独裁者に仕立て上げ、やがて三文役者は狂気そのものとなった。
この件も、「放置」、「孤立」、「性的歪み」、それらが精神形成時期に作用し合いながら潜伏潜行していた「自己顕示」と自己「回復」を肥大化させ、「誇大妄想」的思い込みを増殖させていった一例に過ぎない。いくらでも手繰り寄せるキーワードはあると思われる。「心の闇」などとわかったようなことで片付けることは今となっては危険でさえある。形よく粉飾されて、愚かしい模倣犯もしくは美辞麗句まみれの合法的予備軍を作り出すだけである。
※このサイトでも3年ほど前に、この種の事件は今後さらに繰り返されることを指摘した。
2016 7/30
641.今や日本人はAbeで、+トランプである。
トランプの登場に驚くのはアメリカ幻想に酔いしれていたオメデタイ人々だけだろう。アメリカの本体が以前から持っていたものが噴出してきただけのことである。あからさまなるアメリカの姿である。そして今、日本人は否応なくAbeになり、同時に米の悪しき面も背負わざるを得なくなった。日本人だということはもはや何の冤罪府にもならなくなったということである。そのことはすでに実証済みである。世界はAbeを通して日本人を見ている。それはトランプをあそこまで押し上げるアメリカとも「同体」と見なされているということでもある。もはや「私はAbeではない」と言ってもどこまで通用するか定かではない。国の「人道支援」に「駆り出されて」自分では良いことをしているつもりでもそうは見ない者がいても不思議ではないということである。
2016 7/22
640.都知事選 立ち位置見れば 一目瞭然
騙す者は、何とでも言うし、言い逃れるのは世の常。実質的に多くの者のためにならないことやっているにも関わらず、自分たちに敵対する者たちを選ぶなどは愚の骨頂であろう。 テレビなどが「企画」「製作」する政策討論会などは言ってみれば詐欺師の独壇場でもある。そのような「お話し」を聴いて参考にしようなどと思うこと自体に詐欺師のつけ入るすきを与えることになる。何か意味があるように思う方が愚か。すでにその者の立ち位置が明確に語っているのである。このような場合の「立ち位置」とは簡単明瞭、多くの人々の側にいるのか、いないのかということである。それすら読めないのでは何をか言わんやである。議会制民主主義を破壊し一党独裁を許しているフリーズ状態の老若男女、やがて壊されるのは自分自身である。現在進行形のすべての事象から外れて「いる」ことは意識するしないに関わらず不可能なのである。
一方では、マスメディアは「オリンピック、オリンピック」と煽り立てているが、オリンピックも今となっては「ダサイ」の一言。世界ランキングがどうだというのか。メディアだけが幇間のように喜んで遣う、実はそれしかないのだが、「世界に飛び立つ」「世界の〇〇」などという一見格好のよい言葉も実は自ら偏狭な島国であることを認めているだけのことである。イギリスやフランスで「世界に飛び立つ」などという表現が成り立つのか?
自恃の念、想像力の欠如、卑屈さの裏返しでしかない大した根拠もない傲慢不遜な態度。しかし、至る所ほころびと継ぎ接ぎだらけの衣を着せられた者の哀れなバカ踊りのフリーズとも見える。
2016 7/17
639.「戦闘ゲーム」も一種のマインドコントロール
「無邪気」に遊んでいる「戦闘ゲーム」も実は一種のマインドコントロールである。いつの間にか「仮想空間」と現実空間が交錯しつつ重なって「全能感」を作り出す。それは自分の手足が吹っ飛ばされるまで気づくことはない。すぐに首でも吹っ飛ばされれば、死ぬまで気が付かないことになる。そのような「人材」育成が静かに、密かに進んでいるとしか思われない現状でもある。戦闘アクションでストレス解消になるなどという御仁の脳細胞もかなり危ういところである。想像力の欠如と単細胞化はそれに拍車をかける。「美しい戦い」など現実空間では皆無。いい気になっていると身近なところで「戦闘ゲーム」の呪縛が現れるてくるだろう。生兵法は大怪我の基であるが、死に急ぎたい方はご自由に。
2016 7/13
638.「7・10」 スネイキーなロープ
多くの者たちにとって「7・10」はAKB(AbeとkeenerとBabbitt)の総選挙であったのであろう。この奇妙な「軽さ」が悲劇の種をまき散らす。生活に追われて、追い立てる者の顔も判別できないのである。これでは笑っているうちにご臨終である。
しかし、敢えて言うまでもないマスメディアのしだらなさも然ることながら、死票獲得が目的の目くらましのような「別動隊」の多さも気になった。以前、指摘した通り、目的のためなら手段を選ばない何でもありの政権である。口を開けているうちに下あごは外されることにもなりかねない。どちらにしてもこれで、スネイキーなロープはすべての者の首に巻き付いた。後はどのように締め上げるかであろう。
真摯に考えているものが7万票程度で、何の問題意識もない者が100万票以上。要するに良質な部分とは10%にも満たないのである。
考えることが損とばかりに考えない人々、その内に首に巻き付いたスネイキーなロープの存在に気が付くのであろうが、その時は手遅れである。
※keener: 追随者 Babbitt: 中産階級の物欲に凝り固まった平均的人間
2016 7/12