「ある日、その時」(81) 2023年11月ー

<掲載内容>

901.勲章で飾る人々 902.Sneaky cabinet 903.何がおかしい、お笑い芸人 904.惰眠を貪る民は・・・905.ブギーマンたち 906.「頭から腐る」というが・・・

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906.「頭から腐る」というが・・・


 少なくとも、民主主義の国では、「頭」とは国民のことであるが、その国民が監視を止めた結果が現状であろう。国民の代表の位置にいる者が、いかに国民の監視を反らし、「政治不信」に陥らせ、監視の位置から遠ざけることに腐心してきたかは、その経緯を見れば一目瞭然。監視の手を止めれば、監視される側はやがて腐るのは当然なのである。人口の半数近くが「無党派層」などと呼ばれ、あたかもそのよう存在規定が成り立ち、存在理由があるような社会自体は異常なのである。「無党派層」とは一体何者なのか?それは支持政党なし、投票したい人がいないなどということで括れるほど単純な集団でもなく、彼らは民主主義国の「住人」ではあり得ないことは確かで、善人でも悪人でもない怠惰なエゴイスト集団と見るのが現実的であろう。今まで、政官財+壺系カルトによって、手を変え品をかえ、四六時中洗脳し尽くされた集団というのが実情のようだ。どちらかと言えば、主権在民も基本的人権の本来の意味もわからず、そんなことは夢のまた夢くらいにしか思えないようにさせられてしまった非自由民(=奴婢)に近いだろう。「無党派層」というのが何か恰好のよい、無難な処世術くらいに思っているところもあるが、それはすべて幻想である。それにしても、5000万人程が「無党派層」で、それもその多くが「棄権層」でもあるというから、これはいつ独裁国家になっても不思議ではない。もうすでに独裁国家になっていることも認知できないのではないか、今、辛うじてある自由も、このままではその内消えるのである。

          2024 4/23

※書きなぐったメモが、すでにアップされていた。何らかのエラーであろう。

 

 


905.ブギーマンたち


 トランプは、スティーブン・キングに、自分の作品に登場するどのブギーマンより怖いといわれた御仁でもあり、アメリカ大統領史上最低の知性の持ち主ともいわれた人物である。それがまた大統領としてやる気十分というより、身から出た錆を払拭せんがための止むに止まれぬ出馬というのが実情のようで、その点ではネタニヤフとも共通点がある。要するに、止まれば倒れるしかないのである。しかし、このようなことを許している周囲も情けない限りである。一方では、史上最高齢といわれる、その判断力、記憶力も危ぶまれる大統領の続投の気配、これだけでもアメリカの衰退は明らかである。

 ブギーマンを凌駕する現実のブギーマン トランプとネオ・シオニズムのブギーマン ネタニヤフ、そしてKGBのブギーマン プーチン、これらの想像上のブギーマンを遥かに超える現実のブギーマンたちに世界が狂う日のないこと願う。誤解を恐れずにいえば、私は彼らを「人間」(既成の概念)として見ていない。

因みに、ジャーナリスト、外交官、政治・経済学者などの一見分析的見解はもう聞き飽きた感がある。新たな発見などは皆無に等しい。総じて、現象面ばかりの言説が多く、切込みがなく、聞いても聞かなくても、何も自分の問題として残らないのである。

             2024  3/5

 


904.惰眠を貪る民は・・・


「目を覚ますべし」といくら言っても、惰眠を貪るだけの「民」に対しては無駄であろう。そのような「民」が言うことは、決まって「政治なんて所詮こんなもの、まあいいんじゃないか自民党で」、「うちらには関係ない」等々。DNAレベルで注入された「奴婢根性」そのまま。何を見ても他人事、我が事としてみるのも億劫で、想像力は根元から断ち切られている。惰眠を貪ることが許されれば、それで充分と言わんばかり思考回路自体の欠陥に気付かない、気付かないように持って行かれていることにさえ思い当たらない。ただ、今回の状況は、その惰眠さえままならないほど危険であるというということである。しかし、惰眠のまま餓死というのも厭わないほど人間そのものが壊れていれば、そこで終わりで、後は「生きようとする者たち」がどこまでやれるかにかかっている。

          2024 2/10


903.何がおかしい、お笑い芸人


 今、辞めるの辞めないのと騒いでいるまったく興味もない松本何某というお笑い芸人、日本で「売れている」というのはこの程度の粗悪品である。女狂いの言い訳のような「遊びは芸の肥やし」などということがもっともらしくどこかにまかり通っているのであろうか。それにしても、「遊びがせこすぎる」(タケシ)などと言われてしまえば、それまでである。言ってみれば、遊びがせこいから芸もせこい、芸の肥やしになっていないといわれているようなものである。芸もせこい、遊びもせこい、人間もせこいとしか言いようがない者がどうして使われる?要するに、質の良くない時の壺政権と同調し、取り込まれていただけに過ぎないということである。芸そのものが独立して成り立っているとはとても思えない。人を笑いに誘うというよりも貧相な対象を笑って強引に笑い声を上げているだけ、何を笑うかによってその人間の資質は見えるものであるが、この男の笑う対象がこの男の人間性をすべて現わしている、すなわち徹頭徹尾、下種(ゲス)なのである。もうこれ以上民度を落とすことは止めてもらいたい。こんなのを観て笑っているようでは笑っている方もいつしか下種男である。これも一種の洗脳なのである。質の悪い壺政権も下種と鷹に餌を与える方法をよく知っているのである。

 CMに相方と出てくる彼らを見るたびに、追い詰められた三下奴が詐欺を働く時はこんなものであろうと思っていた。まったく笑えない。

              2024 1/19

 


902.Sneaky cabinet


 何もかもがスネイキー、すなわち、こそこそと人の知らぬ間に勝手に事を進めてしまう内閣、それも重大なことをである。国民の知らぬ間に、主権者たる国民の同意を得ることもなく、知らぬが仏とばかりに何もかも決めてしまう状態、明らかに非民主主義国家、緩慢なる弛緩した独裁国家といってもよいだろう。このような「建付け」では、放置してもやがて倒壊するが、その前にこのような「建付け」の「構造物」は壊さなければならない。そうでないと国民の犠牲者はさらに増え続けるということである。現在、陰でこそついている彼らの動きをチェックする検知器の役割を果たすものが皆無に等しいので、ぼーっとしてると、気が付いた時には身動きもつかないどころか意識もないということになりかねない。どちらにしても、この「建付け」の悪さは土台からきているので建て直すしかないのである。そうでないと、日本の民主主義国家としての発展はあり得ないということである。

                 2023 12/22

 


901. 勲章で飾る人々


 よくもまあ、こんなにいろいろな勲章があるものだと感心する。それも様々な色付けがなされ等級づけられている。某国の軍人の胸一面に飾られた勲章を見るたびに吐き気を催し、噴飯を繰り返していたが、勲章を喜ぶ人間の本性を象徴しているのであろう。同時に、勲章の意味もその程度のもので、時が経れば二束三文の金属片に過ぎない。実際、我が家にも以前、祖父、父の勲章が数えきれないほどあったが、子供のおもちゃとなっていつの間にかどこかに消えて行った。いつだったか、古道具屋に大綬章やら文化勲章が出ていたこともあったが、「お国」から戴いた勲章でしか自分の存在意義、価値を見出せないとは何とも「オメデタイ」「お手軽」な人々だと思っている。最近でも、晩節を汚すような行為をしたにもかかわらず、そのような御仁が受勲しているのであるから、何をか言わんやである。因みに、私は、幼少期に健康優良児のメダルを貰ったきりで、幸いにも、メダル、勲章の類はまったく縁がない。

                            2023 11/19

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