「ある日、その時」(80)2023年1月ー

<掲載内容>

885.2023年1月 もはやテレビは見るものではなく、新聞は読むものでもなく、そして、SNSは、見抜けない者には有害なだけで・・・場合によっては触れただけで有毒な胞子をまき散らす・・・886.「解剖台の上での、ミシンと傘の不意の出会いのような」もの  887.静かなるプロテスト 888.厚労省はなぜ情報公開をしないのか?889.現在、保守、右翼なる者は存在しない 890.「批判より対案を」、気恥ずかしくはないか? 891.マイナンバー制度は「合憲」? 892.イェール大学に集う者たち 893.「つらい。もう、逝かせてくれ」894.ユニコーン、エイリアンと言われた男 895.言語の衰退・衰微・・・896.メジャーリーグの球審も問題 897.「就活」「婚活」「終活」・・当てとふんどしは・・898.ヒマリのヴァイオリンと盲目のピアニスト辻井伸行の演奏で・・・899.阿漕の極みインボイス、消費税・・保険証廃止・・900.虫唾が走り、虫唾が走る時ーーー

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900.虫唾が走り、虫唾が走る時ーーー


 虫唾が走るなどということも、あまりにも度重なると防御規制が働くのか、感覚が麻痺してくるのは避けられないようである。普通の「良識」を維持している者でさえその調子なのであるから、況や、スポーツ、セックス、スクリーン、ゲームに現を抜かし全身絡め取られているいる者などは虫唾が走る以前にスルー、たとえそのような対象でもそうとは感得しないようなシステム(隷属システム)が自動的に起動してしまっているのであろう。社会事象全般、それを集約させているような特に政治屋とその周辺などの所業は虫唾が走るようなことばかりであるが、虫唾が走る前後に違う回路が用意され、自動的に接続されているといった具合である。それにしても出るは出るは切りもなく其処彼処から出てくる。まさに最悪の転換期である。こういう時に、その人間の本体がより鮮明に見えるものである。

しかし、恥部も暗部もさらされて、なお開き直る。その様にも虫唾が走るが、一旦堕ち出すと、もはや歯止めが効かなくなると見える。歯止めが効かないのであれば、巻き添えを最小限度に抑えるためにその歯止めに斧を打ち込むか、強引に方向転換させるしか手はあるまい。この期に及んで「大人しい」というのは大人でも何でもなく、自らその権限を放棄した奴婢に等しい。煮るなり焼くなり好きにしてくださいとばかりに身を差し出しているようなものである。

         2023 10/27


899.阿漕の極みインボイス、消費税・・保険証廃止・・


 およそ文化的営為とは無縁の頭の中は「お金畑」の起業家、投資家と称する者がインボイス反対のイラストレイターに対して需要がないのは才能がないのだからコンビニの仕事でもすればいい、プロはやめろなどと、ほざいていたが、お里が丸見えである。日本の起業家、投資家のレベルなどは概してこの程度である。ゴッホもモディリアーニも生前ほとんど「需要」はなかった。賢しらな口をきく身の程知らずな起業家にとって、生前のゴッホも、モディリアーニなども(もちろん彼らだけではない)、プロの絵描きではないのであろう。このような、およそ文化、芸術などと縁も所縁もないヤカラばかりではますます日本の文化レベルは低下するばかりである。言ってみれば、不動産屋のオヤジが芸能事務所を構え、芸能一般について能書きを垂れているようなものである。文化というものの成り立ち、育成、文化そのものについてまったくい無知、単なる拝金バケモノ、拝金アニマルといわれても仕方ない手合いである。しかし、彼らは本当に金以外何もない、言い換えれば、金のためなら何でもする者たちである。因みに、此奴の趣味は「炎上」である、それも弱者イジメの「炎上商人」、こんなのを相手にしているとただ時間の無駄ということである。

しかし、サントリーの新浪何某も、やっていることはお里の知れた低レベルな起業家、投資家並みで、国民皆保険を外資に託すなど、売国行為、亡国の徒である。普段「愛国」、「日本が好きです」などと言っている者たちは、こういう行為に何も感じないのか?そもそも何が起きているかさえわからないのか?

そして、今の日本の経済状態に対して、老人性色素斑の出た手も足も出ない「しろうるり」の御仁。その人生とは、金に振り回された右顧左眄の人生、実のところそれ以外に何もない。

            2023  9/29

 

 


898.ヒマリのヴァイオリンと盲目のピアニスト辻井伸行の演奏で・・・


8歳の天才的な少女ヒマリの奏でるヴァイオリン曲と盲目のピアニスト辻井伸行の演奏に時を忘れる。何か奥の方で測り知れないものに突き動かされているような演奏である。それは単に上手いというレベルのものではない何かである。それは様々な要因が重なり自然に、必然的に作り上げられたものであろう。彼らにとって、練習は苦痛ではなく楽しみなのである。なぜなら、それが世界との接点であり、コミュニケーションであり、それを深める「交感」がすべてであるからだろう。

                        2023  9/12

 


897.「就活」「婚活」「終活」・・当てとふんどしは・・


このような言葉で括られることによって、都合がよいのはビジネスの世界だけであろう。その時になればできると思われる「就活」「婚活」「終活」などがうまく運ぶことはまずないのが人生である。生命保険屋のような人生プランを立ててみたところで、あてとふんどしは向こうから外れるのが実情でもあろう。「就活」(転活)「婚活」(再活)「終活」(死活)、遁活(トンカツ?)、とにもかくにも、他人の言葉の括り方に右往左往していると、やがて「括活」となり、自分の首を括ることにもなりかねないということである。因みに、何かというと勇ましそうに「お花畑」という言葉を遣いたがる者の頭の中は始終「お金畑」だということに過ぎない。

                     2023  8/16


 



896.メジャーリーグの球審も問題


一時代前の話ならともかく、今はすぐにビデオで判定できる状態である。球審の判定に抗議がでたら、すぐにビデオ確認すればいいだけであろう。実に非合理的である。このようなことの積み重ねが客離れの原因を作るのである。そもそも球審に必要以上に権限を持たせる必要はまったくない。現在は、大谷翔平の存在で細かいことは吹っ飛んでいるが、彼がいなかったら悲惨であろう。それから、大谷に対する「敬遠」の連続、勝ちたい一心はわかるが「せこさ」ばかり前に出てきて勝ってもチームのイメージダウンは避けられまい。あのブーイングの嵐、今後の大谷の扱い方一つで野球の盛衰が決まると言っても過言ではない。

                2023 7/30

追記:ブルージェイズはこの調子で勝ち進んだとしても最悪の印象を観ている側に与えることは間違いない。玄人筋の勝つための講釈、弁解をいくら聞いても、勝つためには手段を選ばない汚いチームというイメージは払拭できないだろう。敬遠、敬遠、危険球・・・観客の喜ばないゲーム、誰が観る?少なくとも一般観客は遅かれ早かれ去る。ルールも変える必要がある。


895.言語の衰退・衰微・・・


 縮約、簡略・省略化さらには絵文字の多用で何を言いたいのか、言っているのか、不明の場合がよくある。言語の衰退とは、「人間」の衰退でもある。それは思考停止によってもたらされた頭脳の委縮が必然的に引き起こす安易な方策、取り繕い方である。一旦、その回路できてしまうと元に戻るのは至難の業である。このような「疑似人間」の量産は、誰にとって都合がいいのか、阿漕な「中抜き」巧者をはじめ、それに類した口八丁手八丁の類である。言語自体は多少乱れても、揺れても、柔軟性を内在しているが、言語使用の劣化、衰退によってもたらされた「人間の衰退」そのものは不可逆的に硬化の一途をたどる。

                           2023 7/1


894.ユニコーン、エイリアンと言われた男


 最近、楽しませてもらっているものの一つに大谷翔平の話題がある。特に、米国の野球関係者の解説が面白い。翔平は、ある時はユニコーンに、またある時はエイリアンに例えられ、ついには前後の投球内容から考えてもミステリアスな5失点について、「ショウヘイは、母なる惑星から試合中に電話があり、『化けの皮が剝がれないように1イニングだけ人間らしい姿を見せるように』と指示されたのだ。かなりスマートである」とまで言われている。ユーモアのセンスも悪くない。笑えるのである。日本のメディアから笑いが消えて久しいが(自分たちだけが馬鹿笑いしているような「お笑い」は論外)、SNSなどで時折見る風刺画などには、なかなかなものがあり、笑える。今では、風刺画さえ出てこないメディア、それが全てを語っているであろう。漫画が出てきても、政府広報の漫画である。社会保障制度の説明で、若者の上に乗せられた高齢者の漫画、現役世代が高齢者を支えているという構図、老後のために蓄えた高齢者自身の年金はどこに消えたか?自らの責任もはぐらかし、その非をすべてを国民に押し付ける。典型的な詐欺師の印象操作。この実情に、仕方ないなどと受け入れるのは自民党信者と明日は我が身とも知らない5000万人の無関心層だけであろう。

                         2023 4/29


893.「つらい。もう、逝かせてくれ」


 これは、先日亡くなった坂本龍一さんの最期の言葉であるが、それは亡父が最期に私の耳元で懸命に呟いた言葉と重なる。医師は、「モルヒネを使うとストンと逝ってしまいますが、よろしいですか?」と言ったが、その時点で私には何の躊躇もなかった。そして、父は静かに逝った。

 坂本さんの作曲活動のみならずその全体像を見るにつけ、最期の痛々しい場面は、改めて死は暴力であるということを思い起こさせる。本当に「ことを成す」には人生はあまりに短すぎるのである。しかし、実情は、いつでも早すぎるか、遅すぎるかである。

        2023 4/9

 


892.イェール大学に集う者たち


 安倍政権下で、その「指南役」を務めた浜田宏一イェール大学名誉教授は「トリクルダウン」を起こせなかったことを認めている。すなわち、「アベノミクスはトリクルダウン」という意味でも「アベノミクス」は失敗したということである。そもそも、トリクルダウンなどという単細胞的な経済理論は当初から欧米でも疑問視されていた二流の経済理論である。経済の門外漢の私でもそんな「オメデタイ事」が起きるわけがないと思っていたのであるから後は推して知るべしである。

そして、この浜田宏一と同様に、イェール大学関係者(助教)として成田悠輔がいる。成田の吉本の芸人風の言動から、タレント化し、学究の道から外れた者の姿が見えるが、これはさりげないプロパガンダとしてフルに利用されるところが怖いところである。すべては、このような人間を利用するところと、本人自身の責任であるが、決して、誰も責任は取らないのは、過去の事例が全てを語り尽くしている。安易なメディアの姿勢そのものを今後も監視すべきである。

 その他にも、内田宏一の薫陶を受けたなどという顕示欲だけはあるが、根本的な思考回路が抜け落ちている美辞麗句だけの「政治屋」も何人かいるようである。今頃いくら、内田が反省を口にしても、大きな経済的危機を残して、安倍も去り、黒田もやがて退任する。要するに、言ったもの勝ち、やったもの勝ちで、後は野となれ山となれを地で行く者たちである。「後世につけを残さぬように」などとは夢のまた夢、言ったまでの話で、つけばかりが山積みされているのが現状である。今頃、気付いてもすべては遅いのである。そう、現実に起こっていることを「よく知っている」はずの人々が、世界をありのままに見ることさえできない人々なのである。

                2023 3/18


891.マイナンバー制度は「合憲」?


マイナンバー制度の憲法適合性が争われた訴訟の上告審判決で最高裁第一小法廷(深山卓也裁判長)は「合憲」との判断を示した。やはり、三権分立も疑われ、民主主義国家としての民度もかなり低いと見なされても仕方あるまい。マイナンバー制度についてもとても先進国とは思えぬ動きばかりである。マイナンバーカードについての各国の動きは以下の通り。

ドイツ 違憲判決→廃案   フランス 国民の抵抗→導入せず

イギリス 運用後1年で廃止  オーストラリア 猛反発で廃案

アメリカ 任意→漏洩不正問題化  

日本 閣議決定で無理押し(国民は20000円を貰うために列を作る)

違うカテゴリーでも取り上げたが、報道の自由についても2016年安倍政権下の高市の所業以降、180カ国中72位(2022年時点で71位)でタンザニア以下である。とても先進国云々の話ではないのである。報道の自由が民主主義国としても歴史の浅いタンザニアより低い日本とは一体どうなっているのかと思うのが普通であろう。尋常ではないのである。報道の自由が確立してなければどうなるか?独裁国家を見れば明らかである。民は従わせればよいので、何も知らせる必要はないということである。

               2023 3/9


890.「批判より対案を」、気恥ずかしくはないか?


 「批判より対案を」、これが国民に向けられたものであるなら、体のいい口封じであろう。生活に追われている国民が具体的な提案などできるわけがない。そもそも、主権者である国民に向かって税金で食っている者たちが文句があるなら対案だせとは何を勘違いしているのかと思われる。少なくとも、政権の御用機関、御用聞き以外は、野党、ジャーナリストも国民の側に立ち、疑問点、問題点を追及するという議会制民主主義の健全さを保つ上で重要な役割を担っている。したがって、野党、ジャーナリストの批判に対しても、対案を出せというのは筋違いで、批判、追及で充分である。その批判を基にして「調整案」を作り出すのが政権与党の「仕事」である。主権者である国民に委託されて、税金で食っている者が充分時間をかけて、批判事項も吟味しながらその「調整案」を作るものである。中には、何を聞いても「所管外」、あるいは無視する(政治屋とも言い難い)御仁までいる始末であるが、今後の処置は選挙区の選挙民の選択に任せるしかあるまい。現状は、正当な批判は隅に追いやられ、政権に都合の良いことばかりが取り入れられ、流布されているのが実情である。この状況の中で、「批判よりも提案を」とは笑止千万と言わざるをえない。批判より先に「対案」が出されれば、今度はそれこそ本当の「分断」が生じることになる。「提案」に対する批判は建設的な展開には必要不可欠なものなのである。未だに「批判よりも提案を」などと言っているのは、批判することの意味すら分かっていない唐変木、朴念仁の類で、よりよい展開は望めない。

 気恥ずかしくなることに、さらに「陰謀論」がある。政治は権謀術数の世界である。公然と自らマキャベリストと公言すものまでいるのであるから、陰謀は常にあって当然であろう。「それは陰謀論」などと言ってわかった風なこと言っている者もいるようだが、陰謀論と陰謀は違うのか?まさかいい大人が生娘のごとく世の中にそんな陰謀はあるわけがないなどと言う意味でそれらしきものを陰謀論と言っているのなら、それは間違いである。とんでもない、バカバカしいほどの陰謀であろうと、一考の余地はあるというのが、現実世界なのである。陰謀論などという言葉自体が何かあるようで何もない、陰謀と言えばいいものを陰謀論などと何かあるようにみせかけるのも一種の「作為」である。

 ついでに、某大手新聞社の社会部記者たちが追いかけたという「情報パンデミック」、その中には「コロナ陰謀論の信者」云々、今やネットは「情報汚染」の泥沼と化した云々、社会の実相を見極めようとする社会部記者たち云々・・・。ここだけ見ても、そこには自分たちの責任について何も触れていない。彼らが、きちんと時の政権の問題点を指摘し、正確な報道をしていたら、ネット上の「情報汚染」などもっと防げたはずであろう。「コロナ陰謀論の信者」、この雑な言葉の連結、煎じ詰めれば、厚労省がデータ開示をしないことから来る疑惑が膨らんだ結果でしかない。そこを追及するのが本来の記者なのであるが、自らの責任回避を棚に上げ、「仕事」を奪われたネットに対する呪詛的言辞が目立つ。要するに、それはやるべきことをせず現在に至ったということに過ぎないのである。

 

                                             2023 2/27


889.現在、保守、右翼なるものは存在しない


 保守、それも保守本流に値するもの、現在その言動をいくら吟味しても皆無である。その点については、すでに様々な視点からも言及されている。そして、右翼であるが、これもまた、総じて、全的に納得できるものは皆無。ネトウヨなどは論外中の論外。何かといえば左翼がどうのこうのなどと言っている者など、自分は右翼だと思っているならとんでもない錯覚で、多くは単なる政治ゴロのレベルである。例えば、大東塾塾長でもあった影山正治などは、右翼といってもそれなりに納得できる人物である。彼は終生言行一致で、最期は割腹自殺をしている。彼は1960年安保闘争で亡くなった樺美智子について「樺美智子さんに対しては、心から哀悼の言葉を述べたい。私は彼女こそ日本のためになくなった愛国者だと思う。こういう人が私たち右翼陣営からでなかったことを残念に思う」と言っている。因みに、石原慎太郎は、彼女の死について「自分で自分を踏み殺した女子学生」と言っているのである。この両者の違いは明白であろう。現在も右翼などと言ったところで、石原程度かそれ以下がすべてである。要するに、右翼であれば愛国者というのは単なる迷妄に過ぎず、やっていることは売国奴ということも多々あるのである。現在でも、実際、反日ビジネスカルトに操られているということに対する問題意識も問題提起も何もない。ネット上で右翼を気取っている者などは影山からすれば、右翼の風上に置けぬ奴に過ぎないであろう。

※松本健一

            2023 2/12


888.厚労省はなぜ情報公開をしないのか?


 福島雅典京大名誉教授は、2月2日、司法記者クラブで、「厚労省への情報開示請求で大臣(加藤勝信)からの不開示に対する取り消し訴訟を起こす」とした。問題がなければ開示すればいいだけの話であるが、また隠したいものがあることは明々白々である。去年の9月以降出さなくなったらしい。それまでのデーター解析では、ワクチンを2回、3回接種した方が感染率が高くなっているので、情報公開請求をしたということである。高齢者がワクチンを接種しても死亡するのは仕方ないようなことをしたり顔で言っているしまりのない地方の首長もいたようだが、福島教授は、ワクチン接種で65歳以下の人はむしろ重症化・死亡率が高くなっていると言っているのである。結論から言えば、以前から仮説であった「抗原原罪説」が図らずも証明されたということである。

 要するに、自然免疫が抑えられ、ワクチンを打ったから感染が広がったということになるのである。

 黙って、言われるままになっているようでは、すべてかくの如しである。

 しかし、都合の悪いところは常に隠蔽するようなことをしていては、発展、展開はまったく不可能。それでは衰退の一途をたどるだけである。               

              2023 2/4


887.静かなるプロテスト


 少子化しかり、若者の海外流出しかり、これらは静かなるプロテストであるということを為政者はどの程度気付いているのか、ほとんどわかっていないであろう。その危機意識の有無をみてもわかる。やがて、子供、若者は言うに及ばず、専門家もどんどん日本から消えていくだろう。後は、基本的に高齢者諸氏が中心となって何から何まですべてがんばってもらうしかあるまい。

 これはすべて(政権担当の)為政者の責任であるから彼らに責任をとってもらう。現実的に、まず主権者である国民ができること、それは「彼らの所業を決して忘れないこと」である。そんなことも忘れ、彼らの希望的観測に乗れば、主権者はたちまち近代的奴隷としての位置に突き落とされるということである。現在でも奴隷的条件で働いている者が大半を占めている。日々、安い賃金で生活に追われているだけ、これは奴隷以外の何者でもないのである。それすらもわからなくさせられているということである。主権者が奴隷状態、実に巧妙であるが、手の内は最初からわかっていたはずである。思考停止状態とは、すなわち奴隷状態ということで、両者は必要十分条件である。

                                   2023 2/2        


886.「解剖台の上での、ミシンと傘の不意の出会いのような」もの


演劇との出会いは、まさに「解剖台の上での、ミシンと傘との不意の出会いのような」ものであった。それが美しいかどうかは別問題。どちらかといえば、油の切れたミシンと折れた骨が突き出た傘の不意の出会いと言ってもいいかもしれない。それも解剖台の上である。この「マルドロールの歌」第6の歌ー1は、私にとって、シュールなものでも何でもない。演劇との出会いを、リアルに的確に表現しきっていると思っている。

                   2023 1/22


885.2023年1月 もはやテレビは見るものではなく、新聞は読むものでもなく・・・


 テレビ、新聞などは、幇間芸とCMだけといってもよい。報道機関が猿芝居を始める時、何が始まっているのか、それは危機的状況が確実に進行しているということである。もし、こんなものを口を開けて見ているようでは、世も末の末、今後何をされてもわかるまい。伝えるべき肝心なことは、何も伝えず、身過ぎ世過ぎの幇間芸の「専門家?」、「政治家?」、「作家?」、「学者?」、「評論家?」、「ジャーナリスト?」の薄焼きコメント、そして、幇間タレントたちの馬鹿笑いと薄ら笑いの公衆便所談義。よく、恥も外聞もなくここまで垂れ流しておくものである。「情弱」などという言葉もよく遣われるが、「情弱」を作っているのは自分たちだという意識もなく、やっていることは走狗に過ぎないにも関わらず、したり顔の「勝ち組」気取りである。「情弱」などが悲惨な目にあうのは自業自得、当然くらいにしか思っていないのであろう。何のために自分たちはいるのか?再度考え直すべきである。もし「なりふり構っていられない、ただ身過ぎ世過ぎの生きる道で、やらざるをえない」と思っているのなら、もうすでに終わっていると思った方がよい。それで済むのなら、すべての「行為」、殺人さえも許され、法律など無意味なのである。因みに、罰則規定はあるものの「人を殺してはいけない」と法律上どこにも記されていない。それは倫理の問題である。法律上問題はなくとも、倫理上問題になることは、多々ある。倫理の問題は根が深く、意識するとしないに関わらず人間の根幹部分が蚕食されるのである。それによってもたらされる結果は想像を絶するものがある。

                   2023  1/15

後日、news23に、「高齢者は集団自決した方がよい」などと言ってた成田悠輔が出ていたらしいが、使う方も使う方で確信犯的で、もはや、神経も精神もやられているようだ。言って置くが、「高齢者は集団自決した方がよい」というのはコンテキストの有無とは全く関係ない。また弱者抹殺の集団が登場することだろう。弱者抹殺の風潮は、その社会がいかに脆弱であるかの証明でしかないのである。次回は、「○○のたった一つの特徴」という軽便思考の推奨者の登場か、どちらにしてもお手軽幇間芸の域をでない。この程度なら、権力を持つホモソーシャルなところから圧力はかかるまい。終わったナ。(1/21)

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