賞などはどうでもよく、むしろこの受賞で賞の方に格が付いたのではないかとさえ思っている。
近藤誠医師の本との出会いがもう少し早ければ、母を苦しめずにすんだのではないかという思いがあったので近藤医師の存在と母の死がすぐに重なり合わさるのである。母は乳がんで、切除手術後、抗がん剤で苦しみながら若くして亡くなった。近藤医師自身も1983年姉の乳がん発見が転機で、その後その集大成として1988年に論文を発表したわけであるが、それは医師としての将来を捨てることを意味していたことを後日私は知ることになる。母の死後、近藤医師の本を前にして、どうしてもっと早く教えてくれなかったのかと思いで悔やまれることばかりが頭に過っていたが、近藤医師がその本を出す際の覚悟を知った時に改めて日本の大きな問題点を見せつけられる思いがした。その当時の日本の医学界は今以上に、今もそれ程変わっているとは思えないが、保守的で西欧との格差は歴然としているにもかかわらず閉鎖的で近藤医師のような論文はたとえそれが正しくとも受け入れるなどという状況ではなかった。言ってみれば医学界の既得権益死守である。その結果、彼のような医師は完全に出世コースから外され、排除されていった。
時とともに、記憶も鮮明さを欠いてはきたが、私は母のことを思い出すたびに近藤医師のことが気になっていた。今でも慶応大学医学部講師でやっているのだろうか、あの擦り切れた革の椅子で頑張っているのか。そんな折、「日刊ゲンダイ」で「がん相談室」を担当している近藤医師の姿を見てほっとしたのを覚えている。そういう意味でも「日刊ゲンダイ」は私にとって親しみのあるものとなっているのである。もちろんそれだけではない、今を生きている金子勝氏、斉藤貴男氏、藤井聡氏、田中康夫氏、等々キャスティングもいい。タブロイド判新聞「日刊ゲンダイ」が内容的にも切り込み方においても日本では唯一ジャーナリズム本来の波動を伝えている。※他紙、週刊誌の類のほとんどは何をどう言ってみても「ポチ」が錦紗を纏い右顧左眄の紋切口上といった具合である。日本になくてはならぬこのタブロイド紙、ただ処理に困るページもあるのが難点ではある。
2012 12/13
※最近の東京新聞は他紙(「毎日」、「朝日」、「読売」など)とは違った問題提起をしているようである。ジャーナリズムとしては当然であろう。こういう状況下では捨て身の構えが必要になる。「毎日」、「朝日」、「読売」などと一緒になっていたら存在理由もないまま第二政府広報紙で終わりである。