31. 外国映画の日本語吹き替え版は罪悪

 最近、外国映画を観る機会が多く、また改めて日本語吹き替え版のひどさを見せつけられた。2,30年程前までは声優というよりそれなりの俳優が吹き替えをやっていて原語よりさらに違った面白い味わいさえ感じられるものが少なからずあったが、今では全くと言っていいほどない。自分で選択可能なものに関しては日本語吹き替え版は観ないが否応なく観せられる時は実際に映画に出演している役者がかわいそうになってくる。一体どういうことになっているのかと思う反面、憤りさえ感じてくるのである。一級の作品さえ日本語の吹き替えで見るも無残な三流映画にしているのである。これは明らかに芸術に対する冒涜でしかない。

 外国語になじむ意味でも、作品から伝わってくる真意を感じ取る意味でも日本語吹き替え版は薦めない。しかしながら訳文も意訳し過ぎてどうかなと思う時もあるが吹き替えほどの拒否反応は起こさない。簡潔に収めなくてはならない字幕空間に「私の自宅に云々」はないだろうと思うようなものもあるが,役柄に合わない肌触りのよくない声優の声質とその役作りの浅薄さに椅子に深く沈み込むことはない。

 

                                                   2012 8/26

<追記>

× 感情過多で何を言っているのか聞き取れないものが多過ぎる。役者の勉強を根本からやり直した方がいい。本来、声優などというものは俳優と完全に独立しては成立し得ない仕事である。

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