周知のように、「森林限界手前」とは藤井聡太が今の気持ちを富士登山に例えるとどうかと問われて発した言葉である。謙虚さを装ったような、五合目手前などと言うよりどれだけ個人の深い思いを告げているかがわかる。陳腐な質問をなげかけた質問者に、完全に自分のものとなっている言葉で返している。思考世界も豊穣で、専門バカ的な領域にいないということも垣間見させた。と言うより、どの分野でももはや専門バカ的な頑迷固陋の頭では先はないということなのであろう。この質問者も含めて大方は、「森林限界手前」どころか富士の裾野に広がる原始林をさまよっているだけなのであるが、自身ではそつなく賢く振舞っているつもりでいる。しかし、それもやがて「方位」を見失うことで、狂うか、我に返る時もあるという程度に過ぎない。中には、樹海で方向を見失い、まったく抜け出せなくなる者も出てくる。そして、自らが歩む方向を見出せない者、見出そうとしない者の末路はいつも同様なのである。
彼は、僥倖などという言葉も遣っていたが、私は久しぶりに19歳という年相応の知性を持った青年に会ったような気がした。そして、まだこのような青年がいたということにほっとしている。
大谷翔平しかり、藤井聡太しかり、彼らは決して流されないだろう。
2022 2/17