〇某タブロイド紙は、このサイトで私が遣う言葉、造語がお気に入りと見えてよく紙面で目にする。自分の書いたものを読んでいるような気になることもしばしばである。私は、引用は引用として明記するし、決して人の遣った言葉や造語をそのまま遣ったことはない。「大本営発表」の遣われ方、「息をするように嘘をつく」、「アメリカ合衆国日本州」、「トランペット」(トランプのペット)等々、これだけではないが、使えると思ったから使っているのであろう。それ以上のことでもないと思っているのでここら辺で止めるが、再びこのサイトで私がこれらの言葉を遣うと、私が「他人の言葉」を勝手に遣っているいるように思われるので一言付け加えておく。これ以外にもこのようなことは多々あるが。逐一、取り上げ関わっている時間もないのでここまでにする。
(このサイトも10年以上になるが、上記の言葉も年月日を見れば私がいつ遣ったか一目瞭然。)
2020 5/10
〇相も変わらず、「批判ばかりしていても云々」などと、何かある風な(実は何もない)御仁の多いことにはいつも驚かされる。やはり、「報道の自由度」はG7加盟国では最下位、アジアの中では韓国、台湾よりも下位であるというが、それが妥当であろうと思われる。自分が今、どこにいて何を言っているのかということがまったく見えていないのである。これでは当然、民度も衰退の一途である。因みに、教育への公的支出割合は34か国中、最下位ということであるから、今後も知的、文化レベルの衰退には拍車がかかることであろう。これで「お家」も安泰ということになるのか?いつの間にか、「民は由らしむべし、知らしむべからず」という為政者の気分になってしまった民の話ともいえる。そうでなければ、安手の単なるプロパガンダであろう。どれもこれも陳腐な異口同音で出所はすべて同一である。
2020 5/8
〇「連休中の人出、7ー8割減」などと得意げに言っているが、実際には自宅周辺をウロウロしている人々が非常に多かった。避けられぬ用事のため外出したが、自宅付近から駅までの商店街、外出自粛も何のその、ぞろぞろと、タラタラと人の動きは変わることもなかった。大丈夫なのか、この人たちはと思うこと頻りであった。人間なのか、GAFAの操り人形なのか、色とりどりのマスクで顔を半分覆い、歩きスマホではますます判別しにくくなっている。
2020 5/6
〇身近なところにいる兄さん姉さん風に、あるいは気さくなおじさん、おばさん風に酸いも甘いも嚙み分けた親し気な言葉で語りかける者たちがいるが、総じて、その語りには騙り(かたり)事が多い。いつの間にか何気なく「すり替え」を行っているというのが彼らの常套手段である。受けそうなことで引き付け、批判すべきポイントはずらし、それがごく自然であるように思わせる。何となくわかったような気にさせるが、すべては不明瞭なのである。これは極めて危険なことでもある。要するに、衆愚の大量生産に寄与する者たちということである。衆愚とは、より簡潔に言えば、批判もできないほどに手なずけられてしまった者たちということでもある。衆愚作りに貢献している兄さん、姉さん、オジン、オバンたちの名前を具体的に挙げることもできるが、この手の者たち、実に多過ぎる。この路線がよほどいい稼ぎにつながるとみえる。
何のことはない、様々に粉飾されてはいるが、この群れは走狗の集団ということで片付く。
2020 4/23
〇トランプが演説の時、必ずする仕草、嫌みと同時にある懐かしさを感じて複雑な思いにかられるこがあったが、それがわかった、オケラ(ケラ科の昆虫)という虫である。両手を左右に開くあの速度、開き具合、もちろん、オケラの方が比べ物にならないくらいに愛嬌があるが。まあ、我々としてはこの有能なビジネスマンに乗せられてオケラになることだけは避けたいものである。
2020 4/19
〇新型コロナウィルスを「忍者」にたとえたノーベル賞学者がいたが、何を言おうとしたのかよくわかるのでそのたとえ話自体を否定するつもりはないが、「忍者」なら「目的」がはっきりしているので絞り込みが容易であるが、このコロナウィルスにはそれがまったくなく、とんでもないところに突然現れ拡大させることが考えられるので予測がつかないということである。したがって、2次3次出現がどこで起こるか全く不明となる。第2波出現などについても、すでにハーバード大学の研究論文でも発表されているようである。
2020 4/16
〇専門家と称される皆さん、特にお国からお墨付きいただく専門家の方々、もう少し専門家なら専門家らしいことを言いましょう。すでにわかり切っていることを繰り返しても仕方ないのです。専門家委員会より第三者倫理委員会のようなものが必要なのではないかと思われる。少なくとも、私は専門家という人々が話す内容で参考になったものは一つもない。
2020 4/14
〇新型コロナウィルスで倒産、閉鎖、閉店に追い込まれ、生活が立ち行かなくなった人々対して援助の手を差し伸べるのが国として当然やるべきことであろう。いつものようにやっている風は見せているが、まったくその実態は見えない。このような時に、何だかんだと理屈を付けて国の資金(税金)を出し渋っているようでは国としては失格なのである。いざとなれば、多くの自国民をまともに守ることさえできないということを連日見せつけられているだけなのである。これもまた一事が万事、今後も「何が起きても」この通りであろう。そして、思い知った時は例外なく手遅れであるということを忘れてはいけない。今後、国民は大なり小なり蛇の生殺し状態を強いられることになることは間違いない。「がんばる」?、「耐える」?どちらの言葉でどのように括ってみても虚しいというより、そんなことをしてたら命がいくあっても身が持つまい。言うべきことを言わない、するべきことをしない結果でもある。
やはり、今の政府そのものが緊急事態なのであろう。
巷からは多くの者の声が聞こえる、「ガチャガチャ、ぺれぺら喋っていねーで、さっさとやることをやって、きちんと補償しろ!」、「マスク2枚だ?何様のつもりだ、ガキでも怒るぞ」、「よーく、わかった、いざとなればこれなんだな」、「死ねってか、食えねーから外に出ているんだ、要するに、補償はしたくない、国民の命を守ることが、現実的でないって言ってんだろ」等々。
実際、それが本音であろう。「マスク2枚でも助かります」などとは、何を勘違いしているのか、思考停止状態の命知らずか、極楽とんぼの類であろう。
2020 4/11
〇またぞろ出てきた「陰謀論」という言葉、この言葉には、この言葉を発した者の出自をすべて露呈させてしまうというというおぞましいところがある。例えば、「公式見解」などに対する当然の疑問、推測、推定、批判などまでも「陰謀論」という言葉で括ってさりげなく批判、推定などを封殺するために遣われるということがある。このような言葉を遣う者とは一体どのような者なのか。言っていること、やっていることを「よく見れば」すぐにそのスタンスがわかる。実際、この言葉はケネディー暗殺の時、その「公式見解」とは別に様々に飛び交った推測、憶測などをCIAが封殺するために遣われ功を奏した言葉でもあり、それが最初の使われ方であると米国の社会学者の指摘もあるようだが、やはりこの言葉には、かなり注意しないと正当な批判、推測、推定までも矮小化、卑小化させる作為が込められているということである。しかし、私に言わせれば、単に幼稚な言葉に過ぎないのである。そのような言葉で簡単に括れる、あるいは括られるオツムの具合が幼稚なのである。この「陰謀論」という言葉自体が、すでに陰謀であることは、その成り立ち、遣われ方をみても明らかである。
2020 4/8
〇嫌韓、嫌中などと称される者たち、要するに、韓国、中国と共通点を持った者たちなのであろう。なぜなら、共通点がない者同士が敵対することはないからである。「誰かの敵であるということは、その人と共通点がある」ということの証左なのである。
2020 4/4
〇ギャーギャーとがなり立て、これでもかと騒ぎ立て、すぐに音も映像も消されるような安手のCMが多い中、「YKK」と「いいちこ」のCMだけは別格でつい見てしまう。昔はサントリーのCMが好きであったが、最近は、これで社長がよく許しているなと思われるようなCMばかりである。何をとち狂って勘違いしているのかと思われる。
2020 4/2
〇「志村けんのバカ殿様」は、権力者を手玉にとって徹底的にこけにした日本では珍しい「コント」でもあった。まだまだこれから展開の余地もあり、彼ならやれたであろうと思われる。目くそ鼻くそを笑うがごときの笑いに終始して、笑いものにするのは常に弱者、それで何かやっている気になっている「お笑い芸人」はごまんといるが、少なくとも彼らとは確実に一線を画していた。そう、彼は痛々しいくらいにコメディアンだったのである。
2020 3/31
〇新型コロナウィルスとの戦いに、「長期戦を覚悟する必要がある」と述べたらしいが、そんなことは言われなくとも充分わかっていること。間違っても「長期政権を覚悟する必要がある」と置き換えることのないようにしてもらいたい。
2020 3/29
〇これも以前書いたことであるが、報道番組の「良心」「良識」を感じさせるものとしてTBSの「報道特集」がある。このようなスタンスを維持することは大変であろうと思われるが、やり続けてほしいと思う。金平茂樹さん、日下部正樹さん、膳場貴子さんの健闘を祈る。私は、フェイスブックにも距離を置いているので「いいね!」はしたくともできないのである。悪しからず。
2020 3/28
〇そして、どんなたわごとでも言いたい放題言えるのが民主主義だと勘違いしている愚者、それはフェイスブックの領域だけであることをまず思い知る必要があろう。「民主主義はどう機能するか」をわかっていないと民主主義は危機的状態となる。何であれ、快刀乱麻のスムーズさというものには反民主主義的なダークサイド、全体主義的傾斜を伴うのが定石なのである。
〇ウィキペディアがやっていることは、要するにダイジェスト版的人間の大量生産なのである。したがって、知っているようで実は何も知らないに等しいことにもなる。それどころか、嘘に振り回されることにもなりかねないのである。中途半端な情報など得たとしても、知らない方がまだ救われる可能性もあるというものである。それが、「ネットはゆがめられた情報を植え付け」、「知性をむしばむ」といわれてしまう所以でもある。「おおざっぱ」なだけで、正確な情報は得られないどころか、嘘八百も垂れ流されていて、却って「本体」とは違った危ういものが形造られてしまう。それがインターネットの「やり口」なのである。ウィキペディアに書いてあることだけを頼りにものを書いているような「作家」もいるようだが詐欺師と騙され上手の奸計には興味はない。どちらにしても「落ちる」一方である。
2022 3/26ー
ウィキペディアは、問題のある個所が見つかっても削除訂正できるのはウィキペディアだけの権限であり、明らかな「嘘」もそのままとなってしまうということである。ウィキペディアに載せられた者たちは、後日、何者かにねつ造されても放置すればそのままとなってしまうのである。たとえ削除訂正を要求しても、すべてはウィキペディアの裁量となる。
〇「羽鳥慎一モーニングショー」の玉川徹の発言、彼はいつもごく当たり前のことを言っているだけである。この程度でざわつくネット民とはお里が知れるというより、民主主義ということがまったくわかっていないとしか思えない。また、この程度で「目をつける」国もやはり民主主義という意味を根本から考え直した方がいいだろう。それから「テレビウオッチャー」などという存在の実態は?日本で唯一のテレビの満足度調査などと言っているが、どこまで信用できるか大いに疑問。バイアスのかかった安易な世論調査としか思えない。つい、どこの下請けと聞きたくなってしまう。
2020 3/22
〇自殺した赤木俊夫さんの遺族が、国と佐川元理財局長を相手取って大阪地検に提訴とある。また、あの悪名高き大阪地検である。大丈夫か?三権分立さえまともに機能していない民主主義国家という名の隷属全体主義国家。しかし、やらねばなるまい。本来なら赤木俊夫さんのような人が公僕としていなければならないのである。
2020 3/19
〇なぜか彼の顔、しぐさを見ていると「時計仕掛けのオレンジ」を彷彿とさせる。時計仕掛けのデクと言った方がいいかもしれぬが、彼に「良心の呵責」、「謝罪」、「対話」を求めているご遺族の方などもいるようだが、まったく無意味であろう。
2020 3/19
〇検査もろくにしていないにもかかわらず、「新型コロナウィルスは抑えられている」(専門家委員会)とは、笑止。どんな「専門家」?圧力の具合で何を言い出すやら、真実には程遠い。
2020 3/16
〇「日米電話会談」?「日米電話相談」の間違いであろう。巷では、タレント業に現を抜かす「社会学者」に「国際政治学者」等々、「博士」というタレントもいたようだから、「学者」という芸人なのだろう。どちらにしても、勉強不足、何者かである「振り」「肩書」だけで騙せるのはアホばかり。
2020 3/14
〇WHOの事務局長の顔を見るたびに、「Who are you?」と聞きたくなるが、バッハにしても森にしても「今更やめるわけにはいかない」といった具合で、現状認識は金まみれの希望的観測で占められ、実のところは人命など二の次三の次ということにもなっているのだろう。この状態で急停止すれば、どうなるか、それは言わずもがな。できれば、燃料を使い切って崖っぷち数十メートル手前でソフトランディングさせることくらいしか頭にあるまい。彼らが言っていることではなく、やっていることすべてがそうなのである。現状把握ができていないままで突き進むことが一番危ないという事例は枚挙にいとまがない。こうした中でまた愚かしいデマゴギーや、以前にもあった「ストロンチウム90は飲んでも大丈夫」などと言いだすような「専門家」もいるということである。
因みに、私が選手なら参加は辞退する。そうでなくてもオリンピックなどあってもなくてもどうでもよいと思っている。自分の力を試す恰好のスポーツ大会はいくらでもあるのである。もはや、オリンピックなどにこだわるのは時代遅れでダサイ。オリンピックのイメージ?、臭いところに蓋をして、見苦しいところには目隠して、ありもしない作り出された幻影の中を走る聖火ランナーにも象徴されているが、金、金、金で、これまたどこを見ても金まみれであろう。
すべてが変わる時にきている。そして、もはやその節目自体を変えることはできないのである。
2020 3/12
〇コロナ感染者、大阪のライブハウスばかりが目に入るが、東京にはライブハウスはなかったのか?実態をすべて明確にするところからすべては始まるのである。東京には感染者がいないかのような「印象」であるが、それはあり得ないだろう。
2020 3/10
〇勇ましいこと、美辞麗句を並び立てても、いざとなればこのざまである。よーく覚えておくことだ。国民をまともに守れない政府などまったく必要はない。これも一事が万事で、すべてがここに集約されている。何でもありの、何とでも言う舌先三寸しかない者の言葉に、今なおすがっている者のオメデタさ、アワレさ、それでは首がいくつあっても間に合うまい。欲ばかりで責任が取れない未成熟な人間もどきに仕切らせておけば自滅は自明の理なのである。現状はどのようになっているか、少し「考えれば」わかること。政治家、官僚、御用の筋の専門家、評論家、「学者」などに聞くだけ無駄。人に頼るな、自分で考え、判断せよということである。そういう人間が一人でも増えれば、民主主義も健全な方向に向かうということである。「アホが選んだ政権」、自業自得といえば、それまでである。
2020 3/8
〇政治とは「現実」である。現在のこの体たらくな現実を見ればすべては何をか言わんやであるが、言わなくてはなるまい、さらに徹底的に批判しなければなるまい。そして、それに則ってできる範囲で行動することである。忘れればまた繰り返される、批判の手を休めればさらに身動きがつかなくなるのは必至。
2020 3/7
〇ウィキペディアのみならず、インターネットそのものに対しても然したる信も置かず、距離を置くのが私のスタンスでもあるが、その浸透力に対する危機感は日々増すばかりである。いつの間にか、現実世界に持ち込まれるその「有害な要素」を考えると、「インターネットは、完全に非民主的な環境」でもあり、「イメージによって真実が覆い隠されている状況」を作り出しているともいえるのである。いつとはなしに、「何者か」によって支配されてしまっている状況、「何者か」とは?ヴォルデモートのようなものかも知れぬが、具体的に絞り込めば、人々は「有害なパラメーター(媒介変数)によって支配されている」ということにもなる。
やはり、フェイスブックなどで、思いついたことを勝手に垂れ流しているのは民主主義とは根本的に違うということを「思い知る」必要があるだろう。
2020 3/6
〇「断腸の思い」とは、内閣支持率低下に対してのみであろう。その他は相変わらず形容詞と形容動詞の乱用で内容本体が全く見えない。政治とは「現実」である。そういう意味ではまったく空疎なズレたスタンドプレー。しかし、殿上人のような物言いは一体何様になったつもりなのかということである。そうか、森羅万象の長か?
2020 3/1
〇クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスの悲惨な状況と政府発表との間には驚くほどの違いがある。それは戦時中の現実の状況と乖離した成果と隠蔽ばかりの大本営発表などと相似している。神戸大学医学研究科の岩田健太郎教授の身を賭した発表(これこそ調査報道)と政府発表のどちらを信用するかは各自の勝手ではあるが、もういい加減目を覚まさないと命がいくらあっても間に合うまい。その選択を間違えばすべては手遅れで、手の施しようがなくなるということである。実のところ、これもまた一事が万事なのである。しかし、今まで何度この「一事が万事」という言葉を遣ったことであろうか。とにかく、この「本体」は、百万語を費やして展望を語っても、説明、謝罪、訂正をしても、実際には99%の者たちのためには何もやらないということはすでに実証済みだということである。
岩田教授を排除したDMATのチーフドクターは誰なのか?それを指示した者は?DMATとはこの程度のものなのか?実践的機能のレベルがこれではお話にならない。それにしても、現場の状況把握もろくにできてない者が適当なことを言っているのでは文字通り話にならない。
2020 2/20
後日確認すれば、「加藤厚労相が『18日から1日3830件の検査が可能』と言っていたが、実際に18日PCR検査されたのは全国で9人であった」(羽鳥アナ)、因みに「韓国では一日4000件やっている」(玉川徹)そうである。然もありなんである。私自身は、国立〇〇研究所、〇〇省認可の類は信用していないのでさほど驚きはしないが、それにしてもひどいというより手が付けられない。
〇「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん」とあり』(新約聖書「ローマ人への手紙」12章19節)、「神の怒り」すなわち「天罰」などという言葉で「表されていること」とは、実は因果応報という明哲な因果律なのである。したがって、そういうことは実際に起きるのである。今までも、起きていたがそれと気付かないことが多いだけである。何年か前、この政権には天罰が下るというようなことを言ったことがあったが、それは神がかった予言でも何でもない、必然的な流れ、合理的な論理なのである。「策士策に倒れる」なども実はその一例に過ぎない。
2020 2/16
〇春の宵 薬屋にをり 招き猫 魯孤
〇「麒麟がくる」、題からして観る気がしないが、安易にドラマ化したがる「戦国武将」たちとは一体何者なのか?そもそも麒麟が現れるような者などは皆無と言ってよいだろう。妙な思い込みで美化するのは三文コミック程度のお話にしかならぬ。「鶴瓶の家族に乾杯」とやらもそうだが、そんなに幻想を振りまいてどうするのかと思っている。家族などというものがあり得るのも一瞬、崩れ去るのは釣瓶落としのごとくである。それが実情である。鶴瓶のいい加減なキャラクターが何かあるように錯覚させるが実はそんなところには何もない。
2020 2/11
〇三権分立が機能していないことは、以前にも言ったことであるが、ここにきてそれがさらに顕著かつ明確になった。あの「お方」が検事総長ですか?これでは白も黒に、黒も白になるのは必至。これは前代未聞のことが陰日向問わず着々と進行している露骨な証左でもある。それにしても、無知蒙昧、愚蒙、愚昧、よくぞこれだけ私利私欲しかない「静かなる」亡者を集めたものである。どちらにしても、亡者が操る船に乗せられれば「旅」は、所詮「荼毘」(ダビ)にしかなるまい。
2020 2/9
〇桜騒動、「いつまでやっているんだ」とはアベに言うべきことで、野党に言うべきことではないのは当たり前のことである。領収書やホテルの明細書を出せばいいだけのことであるが、出さないから長引いているのである。そして、それについてごまかしを重ねるから、貧弱な日本語使用がますます無様な様相を呈することになる。その焦点の定まらない言い訳を繰り返す時の滑舌とその発話速度から、それは長年繰り返され積み重ねられてきたことがよくわかる。すなわちごまかすことが「特技」だったのである。言語使用の乱れは、思考も無茶苦茶ということでもある。日本語もろくに読めない、その使用も危ういのでは、本当に日本人かと聞きたくもなるが、そのような者に限って、何かと言えば「日本人であること」を全面に出すが、実は日本人ではないのではないかと思っている。本当にそうであれば敢えて「説明する」必要がないからである。「万葉集」を「マンバシュウ」と読みかねない者たちや、検証など受け付けない単なる「記紀」のカルト的妄信者たちに、したり顔で日本文化を語られてはたまったものではない。たとえ語ったところで本来の歴史、文化とはまったく無縁である。例えば、平田篤胤ごときに「踊らされて」、その気になっている「表舞台」の者たちとはどれほどの者たちなのか、その世界で本当にものを言うのであれば富士谷御杖の指し示す方向をさらに明快に指し示すか、その本質的な問題の提起に対峙しなければならなかったはずである。平田などが指し示す、本質とは乖離した大言壮語的言説等々、派手ではあるが皮相的な内容、方向には狂信者を鼓舞する程度のものしかなく、あまりにも偏狭で、その先は確実に何もないといってよい。一言どころか、ついつい長くなってしまった、もうやめよう。載せるべきこのサイトの「カテゴリー」を間違えたようだ。
とにかく、今までは「ごまかし」も「特技」で通用していたのであろうが、ここまでくるともはや醜悪の極みでしかないということである。やはり、つい「本当に日本人?」と聞きたくなる。それは飽くまで比較文化論的レベルのことではあるが、そうでなければやはり、「病人?」。この事態自体が悲劇であろう。
2020 2/6
〇武漢からの「日本人救出」を「政府チャーター機」を使って、ここぞとばかり自ら指揮を取っている風情を見せていたが、利用者にそれぞれ8万円を請求したということである。「ア然とするセコさ」と言われても仕方あるまい。「身内」には湯水のごとく税金を使い、一般国民にはこの通りである。後は推して知るべし。すべてにおいてズサン、やはり先進国の「振り」をした後進国なのである。どちらにしても、今、我々にできることは手を洗うことくらいしかないということである。今年起こり得るすべてが凝縮されているような月でもあった。
2020 1/30