〇安倍寛(父方の祖父)も、孫の、あろうことかの所業の数々に草葉の陰で断腸の思いでいることであろう。それは、息子のことを見抜き、祖父を敬愛してた父 晋太郎にしてみれば余人の想像を絶するものがあろう。政治家として欠くべからざる根幹部分が欠損しているこの孫には、Å級戦犯の母方の祖父のことしか頭にないのである。それが、どのように作り出されていったか、今は、具体的にわかる。それで充分である。要するに、本体の一部始終が見えたということである。
※安倍晋太郎も、落選後は統一教会との関係を深めっていった。 2019 11/10
〇自由を恐れ、びくついている者に「表現の自由」などがわかるはずもあるまい。自由を恐れる者とはどのような者たちなのか、それは明々白々であろう。彼らはどこにでもいるが、特に匿名性を帯びたネットなどには際限もなく現れる。しかし、いかに隠そうとも戦々恐々としている内情が手に取るようにわかってしまうことが本人にはわからないのであろう。
どちらにしても、権利や自由は、主張し、行使しなければやがて取り消されることになるのは、憲法12条が明記する通り、すなわち、「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」のである。放置すれば、今、そうしていられる権利や自由すらもなくなるということである。
2019 11/9
〇教育者?・・・今の「いじめ」の問題にしても、「いじめ」が学校で発覚すれば、その学校の校長は叙勲されなくなるということで、校長はじめ学校が一丸となって「いじめ」隠蔽工作に走る。非常にわかりやすい的を得た説明である。これではまったく本末転倒、そういうことなら論功、叙勲も必要あるまい。
〇大量に買い占められて、まるでカニ、メロン、イクラのように配られる駄本の何と多いことか。それで本屋ランキング人文1位、アマゾン総合1位である。内容は、「普通の人」がまともに読む気になるものでもなく、問題意識のある者はまず手に取ることもあるまいと思われる代物である。ランキング1位、ベストセラーなどというのが、全く本の質とは関係なく「作り出されたもの」ということも知っておくべきであろう。因みに、以上のことは、「普通の人」、「問題意識のある人」には敢えて言う必要もないことである。
〇放射性物質の除染廃棄物を詰めた90袋、その中の36袋が河川に流失したらしく、3週間後の現在でも見つかっていないということである。建築現場でさえ台風などが接近すれば「風散養生」などをして備えるが、除染廃棄物は放置状態だった。まったく危機意識も責任感も皆無である。これではどのような風評が起こっても当然で、止めようがあるまい。何か事が起これば、只働きのボランティア頼り、さらにはそこかしこで募金、募金である。それが日赤を通して国に流れる。その具体的な使われ方も誰も知らないのである。国としての体をなしているとは到底思えない。勇ましいこと、格好の良いことをいくら言ってもダメ、現状は足元から崩れているのである。
2019 11/4
〇トランプの見てきたような嘘、「鼻を鳴らし、泣きながら、犬のように死んだ」とトランプが言ったことについて、軍幹部にジャーナリストが「それはほんとうなのか?」という質問をしたが、軍幹部はそのようなことは確認できていないという。現場の直接関係者である軍もわからないことを平然と見てきたようなことをいう。これもまた一事が万事。
よく何をするかわからないといわれるトランプではあるが、ポストモダンの「怪物」であるということに過ぎないともいえる。御多分に洩れず日本の現状も同様である。世界を見ると、予想以上にポストモダンの蔓延は拡大していたと確認できる。
要するに、「人間不在」の蔓延である。
2019 11/3
〇日本語吹き替え版で、せっかくの外国映画が突然、学芸会、アニメになる。このようなことに慣らされてしまうことの怖さを知らなくてはなるまい。それは真贋の区別もつかず、現状認識を間違うことにもつながるからである。「声優」は俳優と独立して成り立ち得るものではない。もし成り立つのならアニメの世界だけであろう。例えば、小池朝雄、野沢那智、永井一郎など、「声の出演」と言える俳優でもあり舞台を愛していた演劇人である。だから、アニメでも外国映画の中でもそれなりに「様になる」のである。
以前にも、同じようなことを書いたが再び。
2019 11/1
〇昔、「悪い奴ほどよく眠る」という映画があったが、昨今の状況を見ていても、やはり悪(ワル)は、どこでもいつでも元気である。善人とは欲望の方程式が違うのであろう。善人よ、落ち込むな、自らを殺すなかれ、悪(ワル)の所業を見届けて身の処し方を考えよ。
〇「ヤフオク」というのは無茶苦茶である。「平山勝 演出」でまったく無関係の商品が表示されている。これで何か利するところがあるのか。奇っ怪千万。「ヤフオク」が問題ないとすれば、「成り済まし」、「操作」も考えられるので要注意である。
2019 10/30
〇今から「守り」に入ってどうするのか、「守るべきもの」などないはず、そんなことでは「相手」の思う壺であろう。猫の額ほどの土地に拘泥、固執していては、まったく勝ち目はないというより、生き延びることすらできないということである。
〇本屋のベストセラーとは、ある期間よく売れた書籍ということで、その書籍の質的内容の良し悪しとは全く無関係なものがほとんどである。特に、昨今はそれが甚だしい。出版屋が、時流に乗ることしか考えていない中身の空疎な「賤業中の賤業」と言われるテレビのディレクター並になってきているからである。
〇「ナイトスクープ」という番組、西田敏行から松本人志に変わったと騒いでいたが、テレビをほとんど見ない(特にこの手の番組など)私としてはどうでもいいことであるが、この番組の構成作家は例の百田尚樹、松本人志は「一国の長」の安倍の「アベ友」でもある。西田もよくいつまでもやっていたと思うが、今回のことで流れも楽屋裏も丸見えとなった。さぞかし軽佻浮薄な、箸にも棒にも掛からぬ、「面白い」(?)番組なのであろうが、「あっしには、関りのねーこってす」、そんな暇はない。一生見ることもあるまい。
2019 10/27
〇しかし、何気なく驚いた。電車の広告で流れていたビールのCM、それもこの「時期」に、「嘘は必要ですか?」という質問に対して、有名人らしき名も知らぬ御仁が物知り顔に「ほんとうのことなど知りたいとも思わなくなった」などと言い出す始末。この御仁は、愛すべき人々、親、妻、子供などが殺されても「ほんとうのことは知りたくない」、つまり誰がやったのか知りたくもないとでも言うのであろうか。嘘は嘘、真実は真実、殺人は殺人、「必要」かどうかではなく、まず第一にモラルの問題である。モラルの問題は相対化することはできない。こんなところにまで悪しき相対主義は入り込んでいるのである。どういう意図でこんな低劣なCMを作ったのか、こんなビールは吐き出しそうなので絶対に飲まないだろう。愚かしくセンスのなさは特大級である。その薄気味の悪さは測り知れない。
これはさりげなく日常に入り込むマインドコントロールの一環でもある。要するに、※「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」のさりげない言い換えと、その勧めである。「優しいウソ」などという個人レベルの配慮のある「嘘」などとは全く別次元の話である。
※人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない。
2019 10/24
〇作られた「みんなの意見」、「みんなの〇〇」と名の付くものは要注意であろう。さしたる根拠もないからである。「bot」という自動投稿アプリを使えば同一アカウントで大量の「みんなの意見」を生産できることはすでに実証済みのことである。結局、自分自身の「核」を作り出せない者は、わずかばかりの「詐欺師集団」に人生を振り回されて終わりなのである。
因みに、「みんなの競馬」という使われ方くらいが、一番問題のない使われ方なのであろう。フジテレビは競馬だけやっていればいい。
2019 10/19
〇本屋も出版屋も生き延びるのに必死なのであろうが、邪道は邪道、衰退に拍車をかけることばかりしている。100万巻の書を読んだとて賢者になれるわけではない。そもそも良書など2,3日で読めるはずがないのである。駄本ばかり大量に読んでいればアホになるだけである。せいぜいどこかの大学の隅に職を見つけるか、メディアに身を寄せて気の利いた程度のことを言い続けるしか手はあるまい。問題意識も実践も欠如し、スタンスが検証されぬまま崩れているからそうなるのである。良書に接する間もなく、根幹部分が未成熟なまま情報、駄本過多にさらされて、ますます方向を見失っているのであろう。有名無名問わずいちいち他人のコメント、レヴューなど頼らず自分の目で見なさい、調べなさいと言いたい。自分の直観をもっと大事にすべきなのである。
〇「元ラノベ作家で現在は無職の百田尚樹さん(63)」、誰のことかと思ったら例の百田のことである。その百田に新潮社がツイッターで「ヨイショ感想文求む」というキャンペーンを開始したが、「気持ち悪い」と非難が殺到、新潮社は謝罪し、企画は中止となったということを適菜収が伝えていた。さらに、適菜は「そもそも百田さんは下品が売り物のライターであり、下種に対して下種と言っても仕方ない」と言っていたが、その通りであろう。それにしても、背に腹は代えられないとは言え出版社の墜ち方も甚だしい、以前にも言ったが、何で出版社やっているのかわからないような者ばかりが多くなった。「新潮社は顧客を裏切った」「本を読むという行為を冒とくした」、「書評の信ぴょう性に泥を塗った」等々、今まで培ってきたものをすべて壊し続けているのが実情である。それは「昭和の妖怪」の孫が、ポストモダンの悪しき流れに便乗して、その細胞を増殖させていることとも重なる。適菜の指摘を「そんな常識は古臭いとせせら笑う」行為そのものが、それを物語っている。腐臭を放っているポストモダンの潮流にどっぷり浸かっているのに気づいていないか、気付いていてもどうにもならないか。そこには、確信犯か否かの差があるだけで、どちらにしても罪悪であることに変わりはない。詰まるところ、彼らは「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに明確に答えることはできない。モラルの問題すら相対化しているのであるから、それこそ何でもあり、何でもする、「常識」、「モラル」などに拘っているのは「古い」ということになるのである。そこには、劣化の一途を辿る「人間」社会しか現れてこない。それはそのまま人類滅亡の危機にもつながっている。
2019 10/13
※講談社の戦時中の軍部とのつながりなどもノンフィクション作家・魚住昭が極秘資料をひもとき、その知られざる歴史の隅々を余すところなく白日の下にさらしている。因みに、当時、陸軍雑誌「征旗」が創刊されたが、その発行元は講談社の子会社の日本報道社、後の光文社、カッパブックスである。
先月の「週刊ポスト」(小学館)の問題、「配慮の欠けた」どころではない、「誤解を広めかねない」云々の話ではない、明らかに「狙った」邪道の道である。このような問題は、新潮社、講談社、小学館だけではない、他にも山師、的屋の類かと思わせるような出版社が多くなっている。そこまでして部数を競うな、競えば命運は尽きる。
そもそも、ベストセラーと良書、傑作とは同義ではない。
〇大企業は解体、終焉が必然的流れなのであろう。やはり、ここで中小企業が再構成、台頭するのが健全な流れでもある。特に、日本は中小企業の技術力は他の追随を許さないものを持っているのだから尚更である。お笑い芸人同様、大手企業もオワコンなのである。
〇ニヒリズムの成れの果てが「相対主義」か、その「相対主義」は思考停止を自ずと引き寄せ、本当に知ることからはますます遠ざかり、自分の立ち位置をあいまいにさせる。それがいつの間にか到達点であるかのごとくになるからさらにタチが悪い。昨今の「上」から「下」までの「何でもあり」(糊塗、ねつ造、改ざん、すり替え、圧倒的な虚言の量、盗用、コピペ、暴力、テロ、etc)、すなわちモラルの問題まで「相対主義」を敷衍させてしまっている状態は最悪であろう。「人間」不在のまま、天下国家を論じ、美辞麗句に酔い痴れている場合ではない。「構造」が生み出した「化け物」に甘んじるのか、「人間」に立ち返るか、それはそのまま人類の存続にも絡んでくる。
2019 10/6
〇最近、「ハウツーもの」「上達のコツ」そのもののような、一世を風靡した予備校講師の最期の様子が報じられていたが、何も意外なことはない、そうであろうと思われる。彼は終始、受験英語の「コツ」を教えていただけで、それ以上のものはない。展開の余地のない「その部分」だけで完結していたのである。「その部分」から離れれば、特に問題意識があるわけでもなく、それこそ何もないのであるから、当然の成り行きでもあろう。彼の最期の姿は、何ら掘り下げることもせず、簡便な、要領だけで歩んできた者たちすべての終焉の姿でもある。「ハウツーもの」と「コツ」で生きられるほど人生はあまくない。
2019 9/29
〇センスがない者は、ウチワで煽るしかないとみえる。それも大方は継ぎ接ぎだらけのウチワであるから、煽り方にもつい力が入る。いったん加速されると減速するのにはその数倍もの勇気が必要となり、多くはそれができぬまま、やがては空中分解である。それも人生、そう間違いなく愚かな人生である。
〇何を聞かれても、「いやー、難しい問題だね、とにかくできることはやっていくつもりだよ。まあ、人生いろいろ、それじゃ」、さらには、あろうことか「ステーキが食べたい」、「セクシーに」、勘違い、お門違いも甚だしい、どこの三文役者かと思うが、これで済むなら人生言うことはない。また一方では、放射能汚染水は「希釈して海に流せばいい」などと言う者がいる。その前にまず自分が希釈して飲みなさいと言いたくなるが、欲に目がくらんだ者とは、何でもかんでも川や海に流せば済むと思っているのであろう。「希釈して海に流す、どこでもやっていること」などと平然と言えてしまうのは、地球環境などというものは全く眼中にない原発再稼働、推進組であることに間違いはない。どこの「博士」、「教授」だか知らないが、言っていることに責任を取らない者どもであることは、今までの経緯が如実に示している。それが匿名であれば、尚更、まったく信用するに値しない。「風評被害」?とんでもない、まだわかっていないようであるが、少し考えれば誰でもわかること。希釈して海に流す前に問題ないのなら自分自身で何度でも試しなさい、飲みなさい。それがすべてで、すべての出発点。立ち位置のはっきりしない無責任な御用専門家のゴタクに付き合っていたら、命がいくつあっても足りない。
〇消費税そのものの是非はそっちのけで、軽減税率がどうの、ポイント還元どうのと、完全に罠にはめられているということすら気付いていないようである。テレビのお兄さん、お姉さんたちもニコニコしながらその損得勘定に明け暮れるばかり。異様である。朝三暮四のサルを見ているようでもあるが、同じ結果になるどころか自分の首を絞めているのだから最悪である。
2019 9/24
※9/27(金)のモーニングショーで「老後2000万円問題」について藤井聡が舌鋒鋭く語っていた。それに関連して消費税についても語っていたがその通りである。
〇最近、古代史の本を読んでいるせいか、米国に媚を売り続ける日本「政府」の姿はそのままその昔、唐に媚を売る倭(日本)とも重なる。
〇原発の責任問題、東京地裁判決「無罪」はあり得ぬ話である。「法治国家か?」という問いも当然。三権分立すらすでに壊れていると思われる。さらに、その汚染水の処理、後ろめたいものがなければ世界に有無を言わせず納得させるようなことをすればいいだけのこと。世界的視野で見ればどう見ても何かを隠しているようにしか見えないのである。
2019 9/22
〇年間1000冊の本を読むということを自慢していた御仁がいたが、愚かという一言に尽きる。読んでいる本の内容までわかるが、軽く読み流せる程度の駄本ばかり読んでいたのでは、その人生もまたそれまでのことである。どちらにしても密度の濃い本は何度も読み返さないと本当にはわからないものである。速読技術などで捉えられるほど「世界」は甘くもなく、浅薄ではない。そんな小手先勝負では世界の片りんすら垣間見ることもできまい。それこそ貴重な時間を「つぶしている」だけである。
2019 9/11
〇「人生100年」?、生殺与奪の権を持った尊いお方は一国のみならず森羅万象を統べるとのたまわく。彼は一体何様?人生100年などと人の人生まで勝手に計算してその気にさせる。しかし、言動から見えてくるのは、すべてはただ言ったまでのこと、何ら一つとして100%根拠はない。
〇「晩節を汚す」というより、本性が現れただけであろう。現状は、ありとあらゆる人間の資質、魂胆というものが丸見えになってしまう状況でもある。そういう意味では、非常にわかりやすくなっている。
煽り煽られ、揺り揺られ、身の程知らずの行き着く先はいつも決まって奈落城
したり顔した群盲ばかりが目につくが、実情はそれほどでもなかろう。また、それで動き出すようでは本当に奈落の底である。
2019 9/5
〇「煽り運転」、他者を煽っているようで実は何よりも自分自身を煽って追い込んでいるのである。その結果、視野狭窄で周囲がまったく見えなくなり、異様な怒りと興奮で大脳は破損を被るだけとなる。それはいつか常習性を持ち始め、確実に脳を劣化させていく。百害あって一利なしなのであるが、それにはまったく気付かない。常に自身をそこまで煽らなければ自分が成り立たないと思える程空疎なのである。煽り行為のすべては、実は自分自身が空っぽで、貧相な人間であるという証でしかない。中身のないみすぼらしい者のあがきともいえる。自己をコントロールできない者の所業は例外なく見苦しく、だらしないものである。精神、肉体共に鍛え上げられた者と比較すれば一目瞭然。「煽り行為」は何も三下奴に限ったことではない、社会全体の偏向,歪みの影響を受けやすい卑小弱者、跳ね上がり部分に遍く現れるものである。
最近のデマなどによる集団ヒステリー気味の視野狭窄も全くものが見えていないだけに怖いものがある。要するに、頭脳明晰ならまず起こりえないことなのである。カルト的集団ヒステリーの様相は、その社会が衰退している明確な証でもある。頭脳明晰で「ある」というスタンスをとる勇気も気概もない、怪しげな者によって作られた「情」に掉さし、流されるばかりでは行きつく先は断崖絶壁で、後は落ちるしかない。フィクサーの動きは、明々白々なのである。
「頭を冷やして出直してこい!」「打ち方やめ!」とでも言いたくなる昨今である。
2019 8/27
〇ジム・ロジャーズの本が売れているという。このサイトでも何度か取り上げている人物でもあるが、当然であろう。彼の「位置」から発する明快で痛烈な発言については、いくつになっても12歳程度の理解力しか持ちえぬ、何かといえば「反日」、「売国」などという種分けを売り物にするオメデタイ者たちも黙るより仕方あるまいと思うが、しかし、実情は、黙るどころか逆に感情的に類型的な言葉で括って騒いでいるようだ。彼は、そのような内向き志向では、もはや明日はない、衰退の一途を辿るしか道はないといっているのである。これではますます彼の言っていることが信ぴょう性を増してくるだけであろう。「内向き志向」とは自らのすべてを正当化することでもある。人間は完全ではない、誰でも過ちを犯すものである。「過ち」を見据えることで先が見えてくるのである。「ワカルカナー」
2019 8/24
〇「日本人の民主主義理解は12歳の子どもと同じ」、それは民主主義理解だけではあるまい。これだけキッチュに埋め尽くされているとだまるどころか何が真で何が偽か分かり難くなっている上に知的能力の劣化である。当然、そのような者たちに選ばれる議員の憲法理解なども基本的なところが全くできていないということになる。連日、その証左の枚挙にはいとまがないのは周知のことであろう。押しだけは強い欲得しかない12歳程度の理解力の者たちに根本法をいじらせればどうなるか。やがて基本的人権など自動消滅であろう。今や、自動消滅しても果たして気が付く者がどれだけいるかというレベルではないのか。
2019 8/12ー8/20ー
〇浅薄な者が、他者をおとしめ自分を大きく見せて悦に入る。よくある単細胞的「ネット民」の姿でもあるが、内容的には、すなわち思考回路は総じて12歳以下。このような者たちが言いたい放題をネットに上げるものだから同じようなレベルの者たちが無反省に「これでいいのか、よくぞ言ってくれた」とばかりに同調する始末である。この負のスパイラル、危険である。しかし、12歳以下の者にはそれが危険であることがわからないのである。だから、12歳以下なのである。
2019 8/8
〇このまま行けば、ジム・ロジャーズの日本についての見解、「見立て」はほぼ間違いあるまい。すでに100%の正答を得られているものもある。
〇マッカーサーが退任後に言ったこととして、「日本人の民主主義理解は12歳の子どもと同じ」というのがあったが、それは今でも変わりはあるまい、昨今は特にその現れようが著しい。「紙屋」、「電波屋」の生き残り合戦がさらにそれに拍車をかけ、反民主主義の方向でその気にさせられてしまったちんけな人間を大量生産している。それにしても、アメリカの「トランプ現象」を見るとアメリカの民主主義理解もさらに後退したと言わざるを得ない。
2019 8/7