143.つれづれに一言で片づければ(20)33件(353件)

〇日露「怪談」?・・・胸襟を 開いてフェイク 切りもなし  フェイク仕込みが フェイクフェイクと かまびすし 会談も 階段外され 怪談話 八雲もコケる 全身フェイクで悪霊さえも寄り付かず・・・張りぼてが 札びら切って 涼しげに 何かあるやと 思わせる・・これほど何もないのもただチンケ・・見れば、飛び散る血税大地を血に染めて・・・・見殺し、棄民も後を絶たず・・

 

〇何でもありの政権とは、すなわち、どんな卑劣な手段であっても使うということである。実際そのようなことを「やってきた」のである。それに対して型にはまったような「まともな」批判などはまったく意味をなさない。あらゆることを想定した自在な批判がなされなければ意味も効果もまったくない。「悪の限りを尽くしている者」などには自由自在な批判が一番効果がある。批判が正鵠を得ていればいるほど、今度は相手を「頭のオカシイ」狂人、「裏事情」を知らぬ無知のヤカラに仕立て上げることに躍起となる。最近の日韓事情も、私は凍てつくほど冷静に見ている。「レーダー照射問題」など、これで誰がほくそ笑むのか。それを追ってみてはどうか?それからの話である。賢明な諸氏にはすでに見えていることであろう。歴史上の権力者(側)の許されざる行為は推定が成り立てば「有罪」なのである。「無罪の推定」など権力者(側)に当てはめても無意味、たとえ本当に知らなくても知らぬ存ぜぬでは通らない「位置」にいるのである。その罪の償いは、やがて当該関係者のみならず同時代人にも否応なく課せられるということである。

 北朝鮮が頻繁にミサイルを打ち上げていた時に、ミサイルの弾頭にサリンを入れていると自ら騒いでいたのはどなた様でしたか?第二次大戦中、鬼畜米英で彼らは血を飲むなどと触れ回り人々の恐怖を煽った者たち、それを真に受けワインの味も知らずに死に追い立てられていった人々、やっていることは相も変わらず稚拙にして同質。言っておくが、厚労省しかり、防衛省も同様、やっていること言っていることをそのまま鵜呑みにして信用していると、目隠したまま絶壁から突き落とされることにもなる。要するに、すべてに厳密なチェックが必要だということである。肝心なことは、決して感情的にならず(これが彼らの狙い)、まずは挑発に乗らず飽くまで静観することである。

                                       1/24

 〇テレビで唯一見るべきものといえば、「生活の知恵」風の類のものであると,3、4年前にもこのサイトで言ったことではあるが、今、あらためてそう思っている。先日見たものの中には日々の生きる知恵が詰まっていた。実に参考になった。それ以外の「テレビ枠内」(?)の「与太話」のようなものに付き合っている時間はない。

 

〇平成の終焉と新たな元号までの「カウントダウン」、これで何を区切ろうというのか、何か意味があるのか、昭和から平成そして新たな元号に変わることで何かが変わるわけでも新たな変化が生じる訳でもない。昭和を、平成を「抒情たっぷりに」振り返ったところで無意味であろう。そのような視点では何も見えてこないし、実は何もないに等しい。時の流れを、すなわち歴史はそのような「区分」とはまったく無関係に間断なく継続しているだけである。したがって、「昭和の時代」などというのも、「平成という時代」なども存在するわけではない。「さらば平成」などという地点などあるはずもなく、それは「懐かしむ昭和」などというような「昭和」そのものが幻想でしかないのと同様に無意味である。そして、それは修辞としても低級である。なぜなら、歴史の真っただ中にいる人間が「さらば」などと言える「位置」さえもなく、もちろん懐かしんでいられるはずもないからである。われわれは歴史の真っただ中を生きるより他に手立てはないのである。それは意識するしないにかかわらずで、認識論の問題ではない、存在論的な問題なのである。要するに、あなたはどこにいるのか?私はどこにいるのか?ということである。「自分は何者なのか」などと空疎な柄にもない大言壮語を吐くより先に、自分が今どこの、どの位置にいるのかを明確にさせるべきなのである。そこから自ずと見えてくるものがあるはずである。

                              2019 1/22

 〇高知の内閣支持率26%、これは何も高知に限ったことではあるまい。全国の実態をよく表している数値でもある。そもそも、いまだに支持率が40%台を維持していること自体が不可解、不可思議、薄気味悪いのである。実情は「明治以降最悪の政権」でもある。これ以上の「降下点」はもはや地上にはないというところまできている。すべてが数年前から私の警告している通りになっている。

                                     1/20

 後日、FNNの世論調査の結果が発表されていたが、これは世論調査といえる代物ではあるまい。

〇ゲームは抵抗なく兵隊を作り上げるための巧妙なマインドコントロールの一つでもある。ただ、やりすぎると脳萎縮まで生じ、「まともな兵隊」としても使えるかどうか。要するに、アヘンと変わるところはないということである。「人間やめますかゲームやめますか」というところであろう。最近でも、バイクの学生に追突し、死亡させ、「はい、終わり」と言った40歳代の男、この男の頭の中は「ゲームオーバー」だけである。この男の頭はみごとに「やられている」といってもいいだろう。40過ぎて漫画とゲームと酒、ばくちでは前頭葉は萎縮してカバの脳みそと変わるところはあるまい。最近、やたらと「戦闘もの」が多いのもマインドコントロールの一環であろう。これでカバがその気になれば目も当てられない。

                                    1/19

〇実際、百田尚樹などは噴飯作家と呼ぶのが一番似つかわしいのであろう。年末、適菜収が安倍晋三のツイートを見て、飲みかけの味噌汁を噴き出してしまったそうだ。そこには百田の「日本国紀」が紹介されていたそうである。要するに、噴飯ものを平然ともっともらしく書き連ねる者を噴飯作家というのである。私には、山師が作家を気取っているだけとしか思われないのである。困ったことにどう見ても読者の対象年齢は13歳から18歳程度であることである。それは歴史修正主義者などのプロパガンダが狙う年齢層でもあり、そのレベルで止まってしまった「B層」でもある。

 山師が政治家を気取り、作家を気取り、ジャーナリスト、タレントを気取る。「気取り」と「振り」ばかりでは文字通り話にならないのである。その上、何のための学問かと思われるような御用学者ばかりでは先が思いやられるということである。

                                  1/13

 

〇問題は山積し、一つとしてまともに片付いた問題はないというのに適切な「批判」はまるで全体主義国家のように影をひそめてしまった。全体主義国家であるならさもありなん、民主主義国家としては異常である。さらに1%の私利私欲でしかない「大義」をもって憲法をいじくり回すその姿勢そのものも一事が万事である。

 

〇「嘘つきは戦争の始まり」、「嘘になれるな、嘘をやめろ」、「嘘は敵」等々、宝島社の発信は正道である。これは他人事ではない。まず自分にウソをつくなということでもある。これに対して、矛先をすり替え、怪しげな方向に誘導する変な集団もいるようだが何もかもが幼稚、というより精神病理が扱う領域にいる者としかいいようがない。自分にも嘘をつき、他人にも平然と嘘をつき、嘘を嘘と思わない、思えない者をサイコパスと言っていたが、サイコパスとはもはや「人間の境涯」にはいない者のことであるということは明確に押さえておく必要があろう。

 

〇一から十まで「ごまかし」、この人間(たち)には「事実が」存在しないのである。「あったこと」も「ないこと」にする、「ないこと」もあったかのごとくねつ造する。この一点だけでも非民主、反民主政治なのである。

                                                                                                            2019  1/6

 

〇「わが友、三島由紀夫」等々、三島由紀夫の名前を出した本でまともな本はまずない。売れ線狙いと自己の「恰好付け」が主で、もっとも「格付け」になるかどうか別問題だが、著者の軽薄さだけが浮かび上がるのはなぜか。

 

〇「頭の中身はおが屑だが、彼には何者かがついている」、よく聞かされることでもあるが、「ついている」というのは単に後ろ盾となっているのか、取り付いているのか、後ろで操っているのかによっても微妙に違ってくる。「おが屑頭」と相性のいいのは果たしてどれか?

 

〇毎年の帰省ラッシュ、実質的に都心部にはこれだけ「出稼ぎ労働者」がいるということ改めて感じる時でもある。もっとも当人には「出稼ぎ労働者」などという意識はないであろう。「帰省ラッシュ」、聞こえはいいが実際は出稼ぎ労働者の大移動なのである。

 

〇マトリックスそのものに致命的欠陥がある。

 

〇ローラなどの沖縄基地問題の発言について、「政治的知識もない者が不用意に発言すべきではない」というようなものがあったが、驚き呆れひっくり返ってしまった。このようなことがまことしやかに言い得てしまう者とは一体何者なのか?「政治的知識」?政治家ですら危ぶまれる知識である。いわんや大方の国民にあるはずがあるまい。要するに、これは「国民は余計なことは言わずに黙っていろ」と言っているのである。こんなことを許していたらとんでもないことになるぞ。

 わずかこれだけのことで、すぐに馬脚、馬体までもあらわす御仁の多いこと。美容クリニック屋のオヤジなどもその一例であって、本来なら何の関係もあるまいが、何らかと関係しているのであろう。それもすでに周知のことではある。

×大王製紙の前会長が「スポンサーとしては迷惑」などと言っているそうだが、この大王製紙も会社として襟を正さなくはならない筆頭格であろう。他人を説教している場合か、「芸能人である前に社会人、社会人として発言することに関してとやかく言う筋合いではない」くらいなことが言えないのか。これもお里が知れる典型である。総じて、「お前が言うか?」のオンパレードである。

 

〇六本木などでフェラーリ見かけて羨望のまなざしを向ける者などは今や皆無であろう。信号待ちをしている人々からもれる呟きは「恥ずかしくないのかね」、「どこのバカか知らねーが」程度のものである。

 

〇兵器の爆買い、米政府に対する上納金の類である。如何せん、この上納金がないと成り立たない「政府」なのである。だから、兵器そのものの性能などどうでもいいのである。何千億円も豚、鶏、牛を買うわけにはいくまい。しかし、飽くまで買うものは兵器で、使ったら一巻の終わりということである。平和ボケしたタカ派と一緒になっていたら、それ以後の復興の余地はまったくない。

 

〇日本、日本人そのものと、「現日本政府」と分けて考えないと危うい方向に誘導されてしまうことになる。マスメディアもいつの間にか「日本」「日本人」と「現日本政府」を混同させているがもう少しきちんと分けるべきであろう。「日本に抗議する」ことと「日本政府に抗議している」ことを明確に使い分ける必要がある。それは他国についても同様で「アメリカ政府に抗議する」、「韓国政府に抗議する」等々、が実質的にも適切である。アメリカ、アメリカ人、韓国、韓国人そのもの、全般が一律にそうであるということにはならないからである。

                                        12/27

〇クジラが日本の(食)文化? 寿司、天婦羅などは食文化としても納得できるが、鯨肉そのものがそこまで「本来的」に求められて日本人そのものに浸透しているとはとても思えない。文化というものについて、身近なもので例を挙げれば、紙幣である。日本の紙幣と諸外国の紙幣の作りなどを比べれば一目瞭然。このような何気ないところに見事に集約されているものがその国の文化でもある。文化レベルはもともと高いにもかかわらずそのことに気が付かない、むしろ貶めているのが現在の状態でもある。そうかと言って、取ってつけたような安易な「日本精神」の類などから派生した空疎なものの再興など夢見たところで、それは「退行」としか言いようがないのである。

 

〇年の瀬も押し迫る中、汚い芸人、タレントなどの笑い顔など見ていても始まらない。これでは全感覚がマヒするのも無理はない。これで一番喜ぶのは危うい政治屋さんたちであろう。

 

〇表では「ハローハピネス」などと言いながら、原発に手を出す。できれば軍需産業に手を出したくてウズウズしている企業がどれだけあることか。

 

〇「ライフル協会」、「国境に壁を作る会?」、「壁屋」などが支持基盤の「ジョーカー」は今、ホワイトハウスで一人嘆きのツイートをしているようだ。「独裁政治」がお好きな日本なら、すぐに「よじれ」、「ねじれ」などと「乗せられた」マスメディアが騒ぎ出し、それにまた「乗せられた」民が無自覚にその「受け売り」を自分の意見のごとく得意げに触れまわる。

                                    12/24

 

〇ハズキルーペのCMを見るたびに買う気が失せる。このセンスはズレている。男女格差についても、やはり男女平等ランキング149か国中110位、G7主要7か国中最下位。この感性では当然である。文化レベルもこの程度だと思ってまず間違いはない。

 

〇辺野古米軍新基地問題について、私の世界などからはまったく縁もなかったも「ローラ」、「りゅうちぇる」の行動は彼らを見直す契機となった。安室なども同様である。ウーマン村本については以前からこのサイトでも取り上げてるので当然の行為であると思っている。彼らの意思表示、行動についてカビ臭い講釈をして、あたかもそれが一般常識のごとく言う者もいるようだが、それはもはや常識でも何でもない世界の非常識そのもので、その是非についてもやがてわかることであろうが、それを待っている訳にはいかないのが現状の問題である。彼らの「感覚」は、素直でまったく正常である。それで充分なのである。したり顔の専門筋のもっともらしい作られた「見解」などに惑わされることはない。もし無責任な専門筋の意見にも「理」を感じれば彼ら自身がまた素直に反応するであろう。それをコントロールされていることすら無自覚な者が知った風なことを言ってもお里が知れるだけである。

 このことについてもまた、「カエルの楽園」などというジョージ・オーウェルの「動物農場」を都合よく我田引水して焼き直した、オーウェルの本意とはまったく乖離する方向に持って行った駄本の登場人物の「ローラ」を引き合いに出し、本の宣伝をするという商魂たくましい出版屋の安手のコピーのような言説も目にしたが、吐き気がした。オーウェルが見据えていたものは、右翼、左翼などという次元の問題ではなく「権力機構」が具体的に作用する場合に必然的に生じる問題である。「権力」というものは、どのような思想と結びついていようが「時間の経過」とともに権力者に腐敗と堕落を生じさせるということなのである。

 因みに、何かと言えば、「左傾化」、「左翼化」とかまびすしい者たちも実はまったく同様で、彼らの存在自体がすでにファシズム、全体主義にからめとられているのである。「動物農場」は、一見「社会主義的ファシズムを痛撃」しているように見えるが、実は、右も左も同様で、ファシズムに陥る経過、状態そのものを痛撃しているということである。

また、長くなってしまった。「一言で片づけよう」

「ぼーっと生きているんじゃねーよ!」

                                 2018 12/21

 

〇例えば、アガサクリスティ、「一言で片づけろ」と言うのであれば、手練れではあるが底が浅いということになる。

 

〇タブロイド紙を見ていると、伊集院何某という作家が何やら道学者先生のようなことを開陳していたが、この御仁の本も今まで読んだことがなかったが、今後も読むことはないであろう。そもそも作家とは何か?踏ん反り返ってトリビアなことを言い始めたら作家などというものは「山師」と変わるところはない。直木賞、芥川賞なども何のメルクマークにもならなくなって久しいが、折に触れてその確証を得ることばかりである。

                                      12/15

 

〇ウーマンラッシュアワー大いに結構。まともに時事ネタも扱えない、楽屋落ちのような芸能界のゴシップネタを得意げにやるしかない自堕落なお笑い芸人互助会集団よりどれだけましか。「タブーの政治ネタ」?誰がいつからタブーにしたのか?コロンビアトップライトは政治社会風刺の漫才で、ある時代の漫才を築き上げたではないか。「時事ネタ、政治ネタの方が簡単、邪道」であるかのようなことを言う者もいるようだが、それは嘘で自分ができないこと、避けているいることの言い訳である。要するにずる賢いだけなのである。アベ友芸人に象徴されるように長い物には巻かれろ、結局のところ、強者に対しては何があってもホンネは吐かない男芸者、弱者に対しては、ホンネとばかりに「イジリ」と称した「いじめ」で銭を稼ぐしかないのである。無難で安易な稼ぎ方である。

                                    12/12

 

〇米国ではとても使い物にならないであろうと思われるK・Gという弁護士が日本で「自虐史観と憲法改正」などと題して、自民党系のB層に向けて日々「洗脳活動」に勤しんでいるようだが、発信している内容は相変わらずめちゃくちゃである。何を言っても自由だがここまで歪曲して、非論理的、かつ法学的にもあり得ないことを平然とまくし立てる神経は異常である。無能無才の食い詰め者のあがきが、このような言動に走らせ、それを利用する者がいるということなのでもあろう。当然、金の流れは周知のとおりである。しかし、このようなお里も知れる低レベルな外国人に自国の憲法について諭されてありがたがる日本人とは一体何者なのか。

※K・G:名前も出したくないので出さないが、軽いノリで今でもタレント活動もしているようである。その軽いノリも要注意である。やっていることは大衆扇動者、大衆洗脳者といったところである。注意深く観察すればすぐにわかること。顔も年とともに醜悪さが増している。 

                                    12/11

 

〇アメリカ大統領パパ・ブッシュは生前、自分の大きな失敗は息子を大統領にしたことだと言っていたそうである。その通りだと微笑んでいるのが大方の良識ある人々であろう。日本においては、取り返しのつかない失敗作ばかりで、一例も成功例がない。さらに、自分の息子に対して「失敗」と明確に断言できる器量さえ持ち合わせてはいまい。

〇「ソフトバンク通信障害」、「オール電化」と同様、便利だからと選択肢のない状態にすれば、混乱は致命的な結果をもたらす。何でも一つのものだけに集中させ、それに頼ればこの通りである。今後を見る上で、ひとつの象徴的な出来事である。

                                   12/7    

〇「外国人実習生」という美名の奴隷。2012年から2015年の3年間で※69名が死んでいるということである。それに対してそのような実情は「何も知らず」、「入管法改正案」を通してもらえれば省令で対応したいとの答弁。またぞろ答弁である。「外国人研修生」、巧妙になっているだけで実質的に「徴用工」と何ら変わるところはあるまい。「現代版徴用工」である。労働力が足りない?もっともらしいがそれだけでは決してない。そこには、「夢よもう一度」というIQの足りない政官財複合体の、亡者たちのたくらみが隠されている。その「夢」と一般国民の「夢」が合致することは地球が逆転でもしない限りあり得ないのである。

 ※自殺、殺害も含まれるがその原因、背景、責任の所在も不明ということである。2017年には7000以上が失踪。

※「入管法改正案」、「水道法改正案」など、またあの学者としては三流の御用経済学者の竹中平蔵が暗躍している。しかし、こんな教授に学生は何を教わっているのか、どちらにしてもまともな者にはなるまい。せいぜい無能の証に過ぎないコストカッターとして身を立てるくらいであろうか。

                                                                                                                                        12/6

〇山手線内に米軍基地ができたのかと思わせるような新駅の名称、「高輪ゲートウェイ」。最初は高輪ゲートボール」かとも思ったが、どちらにしても良いイメージはない。JRも人々に愛されないはずである。名称を公募したにもかかわらず、1位の名称「高輪」ではなく120位の「高輪ゲートウェイ」にする。なぜ人々の意思に反したことをするのか?「駅名選定委員会」のメンバーは?センスも感性も最悪である。どこを切っても同じ醜悪な顔が出てくる。

                                                                                                                                        12/5

〇ナンバーワンよりオンリーワンという内容のヒット曲があったが、オンリーワンを真っ向から否定していくのが今の政府の方向であることは知っておくべきであろう。

アーカイブ
TOP