135.つれづれに一言で片づければ (16)26件(248件)

〇「TBS報道特集」は唯一見応えがある報道番組である。取材もしっかりしているし、これからも妙な圧力に屈することなくがんばってほしい。

 

〇猛暑と台風情報と馬鹿笑いとオリンピックとスポーツ界のダークサイドに嬉々としざるを得ないマスメディア。大丈夫か?ほんとうに?

 

〇とにもかくにも最大多数の無党派層の責任は大きい。「他に適当な人がいない」、「関係ない」などの自堕落な寝言はもはや通用しない。少なくとも「主権者」であろう、考えるべきなのである。単なる「民」というのなら別だが。

 

〇いまだに、何かといえば「左翼」がどうのこうのと言っている者たちがいるが、そんなコンセプトはもはや通用しないのである。要するに是は是、非は非で、現実には「神が治める国」など存在するはずもなく欠陥だらけの人間が何とかやっているのが実情である。誤りもすれば、過ちも犯す。その過ちについて指摘し、抗議することを「左翼」など言って括ること自体がピンボケなのである。それでは「是々非々」は成り立つまい。間違いを指摘する者、批判する者を「左翼」などという言葉で括ってみても全く無意味で、せいぜいその言葉を遣うことで哀れな独裁的共産主義国に結び付ける幼稚な「印象操作」程の効果しかあるまい。明確な「是々非々」には本来的に「左翼」も「右翼」もないのである。ウソはウソ、ダメなものはダメ、それでよい。左派系だろうが、右派系だろうが永遠の安定した政権などは存在し得ないということを「知る」ことこそが第一義な問題である。ウソばかりでは変えるのが当然、ダメが多ければ首をすげ替える、それだけのことである。変な幻想は禁物である。

                                                                                             2018 8/9

 

〇稲田何某とういう元大臣経験者が、護憲派とは新興宗教の信者のようなものと言ったそうだが、やはり知性の欠片もない人間である。この御仁自らは「思想のデパート」と言われた国家主義的なカルトの信者なのである。カルトの信者が護憲派を新興宗教の信者というオカシサ。指導的位置にある者たちがこれ程までに知性の欠如している者ばかりでは、いつまた「オウム真理教」が出てきてもおかしくない状況である。

 

〇「テロには屈しない」、かっこよさそうだが、この強気の姿勢は、要するに無思慮で、運悪く人質になったり、その姿勢にそぐわない都合の悪い者はすべて見殺しにされるということでもある。

 

〇「不透明化」、「透明性の有無」云々、これが曇りガラス、偏光ガラスを2、3枚組み合わせたような政治のレベルで遣われるから笑ってしまうのである。いつの間にか巷のショーウィンドウの曇りの有無と同レベルで遣われているからさらにおかしくなってくるのである。「大本営お墨付きの」マスコミで遣われる安易な言葉に踊らされていると、緩慢なる自殺、自壊への道を歩むことにもなる。

                                                                                                 2018 8/5

 

〇これも以前触れたことではあるが、ハーバード大学「経由」の「国際政治学者」と称する者はやはり総じて危うい。要するに「政治」は「政治学」とするほど厳密な学問にはなりにくいのである。「厳密な学」としては展開できなかった者が、言い換えれば「落ちこぼれ」がそれまでに得た「知識」で商売しているのがほとんどの「国際政治学者」の実態であると言ってもよいだろう。実際、その著作も異常に多いが、中身は読むまでもなくどれもこれも大同小異の皮相な外来種の井戸端談義でコアなものは何もない。大上段の構えの割には切り口はあまく、立ち位置は完全に傾いている。要注意であるというより、やはり危ういのである。

                                                                                                                                                                             2018 8/3

〇「日大がブランド」?初耳である。「日大闘争」以前も以後も、学生のことなど考えたことがあるのかという大学であると思っていた。国士などと大学としてはどうかと思われる大それた名前をつける大学などは別にしても、学生のことなどつゆほども考えたこともない大学が一体どのようなブランドがあるのかということである。現状が実に見事に物語っているではないか。日大とはそのような大学なのである。何かあって、いざとなれば簡単に切り捨てられるということである。抗議をする教職員に対しても「印象操作」などとして「脅し」までかけているという。悪しき様態は全く変わっていない。今後も変わることは決してないだろう。だから、日大とはそういう大学だとしか言いようがないのである。これも敢えて言う必要もないが「何ものか」と寸分の狂いもなく相似形である。

※私は日大とは何の関係もないが、「日大闘争」の中で16キログラムのコンクリート片を4階から機動隊に投げつけ機動隊員を殉職させたという事件が起きたが、ノンポリの集団であった日大全共闘がそのような過激な行為をするはずはないと思っている。このような集団には過激なことする、あるいは過激に煽る敵対する者がよく入り込むのである。実際、これを機に大学に対する抗議に始まった日大全共闘は支持を得られなくなっていったのである。投げたのは誰か、法的に立証はできないが、私には状況分析と想像力で投げたのは誰か、どの立ち位置にいた者かは絞れている。それで充分であると思っている。だから、すべてが案の定なのである。

                                                                                              2018 8/1

 

〇台風12号の在り様は今後起こり得るであろう様々なことを象徴していると思われる。これはたまたま起こった「異例なこと」ではなく、このようなことが「常態化」するということである。「専門家」(?)は「異常気象」であることを強調しているが、もしそうならこの「異常気象」がこれからの通常気象となるということである。煎じ詰めれば、それなりの原因があるから起こり得る結果が現れたということにすぎない。言って見れば、因果応報ということである。

 

〇杉田何某が「生産性がない」云々で問題となっているが、当然であろう。ネオナチが国会議員をやっているようなものである。この杉田何某を推していたのがアベ何某であるが、太田光が「アベさんも生産性がないよね」というようなことを言ってまた問題となっているようだが、現状はここまできているのである。なぜこの程度のことが問題となるのか、そんなことは八百屋のおっさんだって実際に思っていることである。それを素直に代弁しているのが太田であるに過ぎない。太田は少々騒々しいが数少ない気骨のある芸人でもある。

 この杉田何某も国家主義的カルト集団の一員であろう。美辞麗句で飾り立てているが、要するに国民は兵隊蟻と働き蟻のどちらかで、メスは単なる生む機械ということである。それ以外は非生産的な無用のものという捉え方で、言って見れば、自分たち以外の者たちの「非人間性」を歌い上げているのである。

                                                                                                                                                                                        2018 7/30

 

〇宗教家を装った詐欺師がいて、政治家を装った詐欺師がいて、装う詐欺師は数知れず、それでは本物か偽物かを見抜くにはどうするか? ほんとうの知性を身に着けるしかあるまい。知性によって打ち鍛えられた感性だけがそれを明確に感じ取ることができるからである。<知識>だけでも、<感覚>だけでも結局はただ振り回されるだけである。そこでは常に稚拙な<感覚>が蠢動していていて「奇怪な様相」にごく自然に飲み込まれることになる。

                                                                                   2018 7/29   

 

〇売文業者は、たわいもない言葉を作ったり、言葉遊びがお好きなようで、一向に深まりようもない思考をカバーするにはそれしかないのであろう。次から次へと安手の言葉を紡ぎだし、わかったようなわからないような物言いで、「もの」、「こと」自体」の在り様を極めて不鮮明にさせている。もしそれが狙いであれば、すなわち確信犯で、金の流れも明確なのである。

                                                                                       2018 7/26    

 

〇しかし、まことしやかに「ささやく」売文業者の何と多いことか。ライトにもっともらしく書いて売る。よく見なくても、置き換え、言い換え、転用、すり替え、不明瞭な言語使用が多いことがすぐにわかる。つい対象読者は?中学生?と聞きたくなってしまう内容である。よくこれで分かった気になるものだとあきれ返っている。売れる本とはライトで何となくわかった気にさせる本のことらしい。罪悪感のないところがまたどうにもならないところであるが、それが単なる売文と言われる所以でもある。

 

〇若い人々が様々な分野で活躍するのは大いに結構なことだが、特にネット関係の者たちで、親しみのあるお兄さん風の者たちがテキパキとまとめ上げる「評論」、「見解」を聞いているとやはりさもありなんと思わざるを得ないものがある。言って見れば、そこには世界観を構成している明確な因子が脆弱なのである。おそらく誰にでも可もなく不可もなく受け入れられるが、ただ言ったまでのことで、数分もするともはや頭に残っていない内容である。

〇これも以前言ったことだが、「ねじれ国会」、「決められぬ政府」、「コロコロ政権が変わるのもどうかと思う」等々と民主主義の根幹も理解していない者が、あるいは反民主主義的な者たちがマスメディアに流す手の込んだ心象操作に乗せられ行き着いたところが現在の強行採決、採択の連鎖である。国民の知らぬところで、また多くの者が反対している法案が、「安定した政権」の下で「ねじれもなく」快刀乱麻を断つ勢いでどんどん決められていくのである。これはもう独裁国家と何ら変わるところはあるまい。

                                                                                    2018 7/22

 

〇「ひととなり」というものが、また悪魔の実態がこれほどまでに露骨に見えるとは思ってもみなかった。「カジノ法案」しかり、売国奴とは誰のことか、火を見るよりも明らかである。何をやっても「お為ごかし」しかできぬ者たちとは、畢竟、亡国の徒にならざるを得ないのである。空疎な美辞麗句をはぎ取れば、「アメリカ合衆国日本州知事」がカルト集団の支援を受け軍産複合体として、国民に「お為ごかし」を言い続けどこまでやれるかというのが現在の実態であろう。

                                                                              2018 7/20 +21

 

〇神仏習合カルト合体政権には、もともと客観的事実など存在するはずもなく、必要もないのである。自分が信じた「もの」、「こと」以外の存在の有無など無意味、無価値なのである。自分は「悪いこと」など無縁だと思い込んでいる者たちとはいつでも悪魔になり得る者たちでもあることを忘れないことである。要は、今後このような者たちを選ばなければいいだけのことであるが、こんなわかり切ったことができないのはなぜか。正常な判断を狂わせ、あきらめさせる手の込んだ操作が行われているからである。その結果、詐術師たちにいいようにやられているにもかかわらず、貢物まで捧げる民のようになっているのであるから背筋が寒くなる。

                                                                                              2018 7/19                                   

 

〇「現在の温度」は?と聞くだけ無駄、嘘だろうというほど違う。気象庁発表の各地の温度などは実際のその場の温度とは平均+3度~+4度程の誤差がある。それはそうであろう芝生の上1.5メートルの風通しのよいところで測る温度と直射日光を浴び続けている場所、無風の路面の照り返しのあるところでは当然温度も違ってくるのである。例えば「現在の温度39度」と出れば39度の場所にいられる人はまれで、多くは現実的には42度から43度のところにいることになるのである。40度超せば脳はもとより人体の様々な箇所に支障をきたす温度である。現在の古きオメデタイ「基準設定」に基づいて判断していると場合によってはとんでもないことになりかねないということである。それにしても「上」から「下」まで状況判断のできない「指導者」ばかりである。生徒、児童を熱中症で死なせてしまう教師もさることながら、自分のこと以外は全く何も考えていないのであろう。言ってしまえば、高学歴なアホもいれば低学歴なアホもいるというだけのことかもしれぬが、これもまた想像力の欠如のなせることである。

 猛暑日には日に6回も水浴びしてしのいだということが書かれてあった60年ほど前の時期とはもうすでに根本的に違ってきているのである。

                                                                             2018 7月の猛暑日

 

 

〇どちらにしてもアメリカの「衰退」はトランプに集約され、日本の「沈没」はアベに集約されている。以前から何度も言っているのでエンドレステープの感が無きにしも非ずだが、地震大国の上に地球温暖化による世界的な異常気象で日本の四季などもうすでに存在しないと思われる。今後も現在起こっていることが毎年起こるということは明らかで、その度に各地は大混乱することになるのである。このまま行けば、原油どころか食糧さえ確保できるかどうかであろう。こんな時に「軍備拡張」して何をするのか?何ができると思っているのか。定期的に「異常」災害が起こる上に地震、火山活動による罹災が常に想定される中で見えてくるのはあまりにも天をなめた所行ばかりである。いくら勇ましいことを言ったところですべての基盤になる大地が割れたり、土砂が流れ込んで来てしまってはどうにもならないのである。

                                                                                                                                                                                  2018 7/15

 

〇責任回避を正当化する無責任な「他に適当な人がいない」という選択肢に乗せられて、まったく信用できない男がいつまでも牛耳っていられるという不可解極まりない世界。怪しげな欲望に負けた者たちが日々繰り広げる悪徳の宴、それを支えているのが自分だけは「うまくやっている」と思わされている「人々」でもある。嘘はポーズを生み、ポーズは嘘を生む。嘘で塗り固められた者の行為は畢竟すべてポーズにしかならない。こういう者の状況に対する「認識」などいくら聞いていてもまったく意味がないのは言うまでもない。詐欺師の口上と同様で、その「心地よい」わけのわからない言葉に聞く耳を持てば執拗に入り込んで丸め込もうとするだけ。今宵もSwindlers and liarsの迷曲に酔いしれて奈落の底を彷徨うか。それとも・・・

                                                                                         2018 7/12

 

〇麻原彰晃が何を考えていたかなどは興味もないが、少なくとも、扱い方次第では危険な面を持つ宗教を「最終ビジネス」ととらえていた麻原の行き着いた当然の帰結であるということはいえる。そして、それは「万死に値する」ということである。驚くことは、いまだに彼に謝罪を求めたり、何かを語らせることが可能だと思っている人々がいるということである。麻原が何を考えていたかなどというより危険性もある「宗教」そのものとしっかりと向き合うことが先決であろう。日本の仏教は葬式仏教といわれて久しいが、身近な人、愛すべき人が亡くなった瞬間、人の心に沸き起こるものは何か、それは「無形の何か」にすがるような思いであろう。それは普段いかに威勢にの良いことを言っていたにしても、クールでドライであっても明確な世界観がない限り、そのような「無形な何ものか」にすがるより手立てがなくなるほど人間とはもろいものであることの証にもなる。以前にも、何か不幸に見舞われた家があると、そこに足しげく訪れ「折伏」と称し勧誘して信者を増やしたカルトもあったが、誰でも起こり得る耐え難い嗚咽の中で生じる「隙」に乗じて入り込むのが「最終ビジネス」でもある。麻原は、自分の罪を逃れるために「部下の暴走」と供述しているようであるが、これもまたどこかと相似形なのである。

 また、よく「高学歴」な者たちを巻き込み云々といった内容もみられるが、これもまた的外れなピンボケ視座である。彼らは思考的に鍛錬されていない、「高学歴」であるだけに過ぎないのである。一々列挙しているときりがないが、テレビの「公開処刑ショー」もさることながら、「死刑執行」前夜に法相たちと乾杯している「内閣総理大臣」とは一体何者なのかと改めて問いたくなる。やはり「神経」が尋常ではない。異常なのである。とても先進国と言い得る文化レベルにはない。

             2018 7/8

 

〇「作家はデタラメなやつばかり、知識人扱いはしない方がいい」とエンターテイメントに「徹した」職業作家が言う。確かに一理はある、が、デタラメなのは作家ばかりではあるまいと、言わずもがななことをまた敢えて言いたくなるほどどの分野にもイイカゲン、デタラメな者が多過ぎるのが昨今でもある。そもそも「知識人」と言い得る者がどれほどいるというのかということにもなる。私はこれほどまでに「知識人」と言い得る者がいない、あるいは影をひそめてしまった時期は珍しいと思っている。

 

〇「バカの壁」などというものは、いつの間のか言っている本人自身がその壁を作り上げ、そこに陥っていることがある。「バカの壁」を1ミリたりとも作らないということは、生き続ける限り際限もなく続く「検証」と「確認」が必要であるということである。ある対象を「バカの壁」と言った瞬間に自分にもその壁を築き上げる下地ができてしまったと思った方がよい。そうではないから、それとは気づかず自らの「バカの壁」を露呈してしまうのである。

                                                                                          2018 7/1

 

〇「反知性」派?反知性ではあるまい。反知性というのなら「知性」というものがどのような「あり方」をするかある程度わかっていなくてはならない。そうではない、その実態は単なる知性の欠如、前頭葉機能不全である。それは「個」の発育不全ともいえる。すぐにたわいもないことで群れ集い押し流されるばかりでは、象をなでる群盲と同様わずかな路面のうねりにも足をとられことになる。自分自身で「こと」そのものを見て「もの」そのものをしっかりととらえるしかあるまい。

                                                                                            2018 6/24

 

〇便乗商法、物まね商法などどれも能なしの能一つといったところであろうが、便乗「政法」なども全く同様である。毎度、表舞台に立った者たちといつの間にやら奈落の底から上がってきて記念撮影である。人気にあやかりたい、選挙に勝ちたいただその一念だけで実際に表舞台に出てきた者とは何の関係もないことは言うまでもない。このような安易な票稼ぎが際限もなく繰り返されているのである。理念も恥も外聞もない逃げまくりのやった振り政権ではこれ以外欺く印象操作がないのであろう。確かなことは、彼らが目指しているのは民主主義国家ではなく全体主義国家で、個人の尊厳などまったく眼中にないということである。腹の内を隠すための人気取りのパフォーマンスしかなくなっているのである。

                                                                                   2018 6/22

 

 

アーカイブ
TOP