〇早速、5月11日、フジテレビで40分間シンゾウ・アベのワンマンショーである。もっとも、我が家では最初の数秒でチャンネル切り替えた。彼が発語する以前に、顔を見るだけで忌まわしいからである。「この男一体何を言っているのか?」、「狂ったAI?」(AI程の思考回路があるかどうかも疑わしいが)、例の札付きのフジテレビであるから今更驚くこともないが、さぞかし美味しい汁が出ているのであろう。そうでなければ動くまい。それもすべて税金であることを忘れないことである。
※フジテレビは競馬だけ。
〇改めて言うまでもなく総じて、メディアは政府広報と見るべきなのであろう。使用言語でもすぐにそれとわかる。少し前は「ねじれ国会」、最近では「国会の空転」、「国会正常化」、これは野党の質疑、抗議すなわち国民の疑問に対して発せられる何気ない負のイメージ操作である。内実は空疎であるが、油断は禁物、「ねじれ」の原因、「正常化」を妨げているのは、「お前たち」(野党、国民)であるとさりげなく言っているのである。この「さりげなさ」が前意識、下意識にはり付き、やがて功を奏するのである。一頃、したり顔でよく言われていた「コロコロ変わるのもいかがなものか」などもその類で、一党独裁どころか独裁国家を奨励しているようなものだということがわからないのである。しかし今、多くの国民にとって、君たちだけには言われたくないと思うのが偽らざる心情でもあろう。
5/10
〇「美しい日本の憲法をつくる」?陳腐な形容詞で内実を粉飾する典型的な例である。言葉に酔うのもいい加減にしてほしいものである。大体、手足が泥だらけな者たちがどうやって「美しい日本の憲法」をつくるのか?今までの経緯がすべてを物語っているであろう。さすがの詐欺師ですら気後れするような話である。それでも「改憲」などと言い出す、どの面下げて言えるのか、やはり尋常ではない。しかし、これをカルトの一連の動きと見ると納得できる。あらゆることが「自分たちのこと」だけで、まったく「現実」が見えていないのである。すなわち、すべてが亡霊のような「思い込み」の世界なのである。このような者たちが改憲しようというのであるから、どうなるかは明白であろう。さらに一方では、いざとなれば逃げ足だけは早い「平和ボケしたタカ派」(軍産複合体のメッセンジャー)の自己陶酔した勇ましい講釈。彼らの口車に乗っていたら命はいくつあっても足りないのである。
「美しい日本」とは何か?これほど日本人であることを、日本を強調、説明する者たちとは本当に日本人なのかとも思われることがある。「我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生まれるはずもなく、日本精神というものが説明づけられるはずもない」のである。
5/4
〇「自衛隊の根拠規定を明記する」のだから、どこの戦地に行っても思い残すことなく戦ってくれ、すなわち死んでくれと言っているのである。「自衛隊を明記」されたからといって喜んでいると、時の政権の無能さ故に徒に死に追いやられることにもなるのである。それがわからないようでは単なる目くらか、タナトスの餌食になっているだけであろう。
世に、目くら千人目明き千人とはいうが、目くらはせいぜい100人位であってほしいものである。
5/3
〇アベ、クロダ、その周辺などの動きを見ているとやはり第二次朝鮮戦争を想定し、期待していた節が多々ある。要するに、第二次朝鮮特需による景気回復である。この間の猿芝居、三文芝居の連続そのものが策士策に溺れるという事態をすでに予見しているが、やはり、見事に現実は策士たちを裏切っている。それでも、相変わらず盗人にも三分の理のごとくの舌先三寸の羅列をしているが、それは狂ったAIのようでもある。信を置くに足りないどころか、決定的な能力不足なのである。責任能力の欠如した三流のやった振りパフォーマンスを繰り返すしか能がない者に一流のパフォーマンスはできないのである。どれもこれも能力不足、インテリジェンスの一かけらもないことは周知の事実、単なる策士、詐術家の集団に一体何ができるのか?目くらましはできても実質的に何もできまい。
4/29
〇自民党の「改憲案」は、解釈次第でどうにでもなる無責任で欺瞞的な最たるものである。自衛隊員を「いい気分」にさせ、国民を丸め込んで戦地に送り込むことを正当化させるだけのことであろう。集団的自衛権という文言を一言も遣わず法的解釈で集団的自衛権を思うようにできる「改革案」である。こんなものを認めたらやがて子供も孫も戦地送りということになる。義もない戦に無理やり駆り立てるのが彼らのいつもの手である。以前、吉田茂が自衛隊に向けて言ったことなども、要するに自衛隊の存在の「ジレンマ」そのものが平和憲法、民主政治の指標でもあるということなのである。美辞麗句に踊らされ、ジレンマが解消され快刀乱麻の時が全体主義国家の幕開けである。それは、世界状況、時代の趨勢から見ても衰退、自壊、「滅び」の時を意味する。
4/25
〇「働き方改革」ではなく、「働かせ方改革」というのが正確である。これは今に始まったことではなく、すべてがこの調子であるからこの手の詐術には引っかからないように注意した方が賢明。一旦引っかかると次から次へと止むことはない。
〇しかし、99%の「庶民」のことなどまったく眼中にない者たちにエールを送る「庶民」とは一体どういう精神構造を持っているのだろうか。自己犠牲を容易にする「自己愛」を思い込みの中で醸造しやすい「安易さ」(空疎な言語など)で誘導されているのであろう。
4/23
〇いまだに「信頼回復」云々、何をどのように信頼回復するのか、それは100%あり得ない。今の動きそのものが「信頼回復」をことごとく裏切っているのである。そして、我々は「しがみつく者」とはここまでブザマになるものであることを現在進行形で生々しく見せつけられているのである。じっくりと見尽くし、見届け、次の手を考えよう。それだけのことである。
〇これほど薄汚い、みっともない政権も見たことがない。そう思わない方が異常であろう。擁護する者たちを調べてみても、やはり私利私欲が第一義と言わざるを得ない者たちばかりである。この奇怪な政権の内実は腐臭ふんぷん、死臭、正体不明の悪臭などでまともに接することも正視することすらできない状態である。全国津々浦々で風光明媚な国土を原発で汚し、国土を私物化、実験場化、一方では国の歴史を改ざんする。何かあれば認知症、言語障害のごとく、まともな話ができないのであるからどうにも話にならない。ここまでは来ては「解体」するより他に手立てはあるまい。
最近の反原発の新潟県知事の潔い辞任が、「人間」として新鮮に見えるから不思議である。そういう意味では、現政権、その周辺には「人間」が不在ということになる。人間失格、人間不在、議員失格、官僚失格ばかりでは、放置しても自壊の道しかない。さらにジャーナリズムが飼いならされた御用提灯ということになれば限りない「下降」「逆行」しかありようがない。
2018 4/18
〇「こんな政権は見たことがない」、それはそうであろう、この政権は「日本会議」と「創価学会」というカルトの連合体なのである(これについては以前にも書いた)。選挙民が棄権し、放置すればすぐにこのようなカルトに乗っ取られるという実例でもある。カルトである以上「教祖」の言った美辞、「大義」は信者にとってはすべて、「ない」ものも「ある」、「ある」ものも「ない」ことになる。選挙民は立候補者の関連組織くらいはチェックしないと「普通の生活」すらできなくなるということである。総じてこのあきれるほどの「幼児性」はどこからくるか、それも明白なのである。
〇「北朝鮮」、「TPP」、「シリア」と首相は難題山積などと、さももっともらしく書き連ねているところもあるが、この首相にできることは端から決まっている、というよりそれしかできないのであるから何もこの人間である必要もない。難問に立ち向かう悩める首相像を作り出したり、演じてみたところで最初から底は割れているのである。この首相の「方程式」ではもはや先はないことは少し考えればわかること。今更、提灯記事、提灯識者などの話をいくら書き加えてもどうにもなるまい。
4/14
〇国民は首相の説明に「ウンザリ」しているのであって、真相究明そのものに「ウンザリ」しているわけではない。そこを間違えてもらっては困る。追及そのものを「政治ショー」だの「ウンザリ」などといっているのは追及されては困る側のイメージ、印象、感情操作に過ぎない。民主主義政治そのものが壊されようとしているのである。徹底的に追及すべきである。
しかし、いまだに「ウミを出さねばならない」、「信頼を回復して云々」などと平然と言っているのであるから始末に負えない。すべてが「他人事」なのである。こんな責任の取れない「統括責任者」などというのは存在意義は皆無であろう。ここまでくるとその存在そのもの自体が極めて忌まわしいものとなる。どこまでも白を切り通す、それは犯罪者の鏡でもある。証拠の有無にかかわらず事の中心人物が知らぬ存ぜぬで済むと思う方が狂っているのである。多くの国民が「人間としても信用できない」と言っているではないか、それでも続ける理由は、私利私欲以外あるまい。狂った亡者がやたらと「大義」で飾り立てるのも陳腐な手法である。
4/13
〇炎に包まれた城の中での一幕二場の猿芝居、外では火を消すこともできずに「敵が来る、敵が来る」とかまびすしいヤカラが舌先三寸の口八丁手八丁、手を変え品を変え、よく飽きもせずやっているものである。つい「誰から、いくらでやっているの?忖度料は?」と聞きたくもなる。
〇そもそも政治は、興味があるとかないとかで片が付く問題ではない。すべては生活に直結している。あきらめるとは?何を、生活を?それはあきらめさせられているだけであろう。
〇いかにも大衆受けしそうな、頭脳明晰であるがおバカ映画大好きなどという漫画チックなキャラクター作りをしておいて、現在問題になっている政治的問題を政権擁護の立場で展開している正体不明の実のところ男か女も不明な者のブログがあるようだが、ちょっと読んだだけで立ち位置、軸足どころか下着の中身まで見えてしまう。内容はぺダンチックに装われているが空疎でお粗末そのもの。本人はいい気になっているようだがコアな領域は皆無。要するに、まともな質問、批判に対してヤジを飛ばしているのと何ら変わるところがない程度のものである。今後、この手のブログが増えることであろうが、注意していればいいだけのことである。すぐに底が割れる。
しかし、ソクラテスに死刑を求刑したのもアテナイの市民であることを忘れないことである。
4/7
〇あの悪名高き加計学園の獣医学部の入学式が行われたようだ。定員200名のところに応募者は2000名。よくもまあこんなところに入学を希望するものだが、要するに落ちこぼれの集団なのであろう。しかし、このような者たちが獣医師の資格を取っても、動物が受難の時を迎えるだけである。「加計学園獣医学部卒業」、これ履歴書に書けるか?
〇天気も政治も前代未聞、異常である。まず、そのこと自体を素直に感じ、認識することである。そうしないと、あらゆることについて嘘か本当のことかがわからなくなってしまうものである。
〇改ざん問題で首相批判した者に対して「そんなのはゲスの勘ぐりだ」と言った亀井静香は、改ざん問題について現在もなお納得していない多くの国民に対して「ゲス」と言っているようなものである。そのことをやがて思い知らされるであろう。
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