「ある日、その時」(53)2016年5月25日ー

<掲載内容>

630.保守勢力によって壊わされている「日本人」631.「しつけのために放置した」?632.「自由の国」というコピーに乗せられて 634.「内閣支持率50%」??何をしてたの70年?635.「舛添問題」で週刊誌は本来の役割を果たした? 636.「Abe シンドローム」? 637.「ソフト・ランディング」、「下山」・・・<番外メモ20160708>気分はいつぞやの巫女さんと同様

 

                                <転載・複製厳禁>



<番外メモ20160708>

 気分はいつぞやの巫女さんと同様、最近では例の「〇〇党」と聞いただけで「ラノゼ」である。即(嘔吐)を催す。

 しかし、目隠しされ、耳も口もふさがれ、静かに首に縄がかけられるとも知らず彼らの言うなりになっている姿を見ていると・・・絶句。無関心も棄権も彼らを認めることにしかならず、今後彼らに何をされても何も言えなくなるということである。絶句を知らぬ舌先三寸の闊歩で、露骨に首の絞めつけだけは強くなるということだけは確かである。それでも彼らを選ぶとは全く不可解、不可思議、世にも不思議なホラーショーを見ているようである


637.「ソフト・ランディング」、「下山」・・・


 多くの者にとっては、高低差のある凸凹な道が限りなく続いているだけであろう。「ソフト・ランディング」、「下山」などというコンセプト自体がなぜか勝手に上り詰めた者の好い気なものにしか見えないのである。「ソフト・ランディング」も「下山」もわずかな気流の動き、位置、地形で大きな変更を強いられる。「現状」をどのように見立てようようとも、どのように「まとめ」てみても限りなく零れ落ちる絶対一回性の現在進行形である歴史(時間)の中にいる以上、見ようが見まいが、意識するしないにかかわらず我々は常にタイトロープの上にいる。そういう意味でも、「ソフト・ランディング」はいつでもハード・ランディングにならざるを得なくなる。「下山」もまた未知で、いつ断崖絶壁が立ち現れるかもしれない。必ずしも麓に辿り着けるとは限らないのである。

 先頃も、地震速報より「政権」放送に現を抜かしていたNHKのことが報じられていた。おそらく地震もアンダーコントロールされているのであろう。

 

※ここでは「ソフト・ランディング」、「ハードランニング」共に経済的カテゴリーでの限定使用の意味はない。緩やかな着地、溶暗、あるいは緊急、強引に終了させるほどの意味で遣われるものである。

                                  2016 7/1


639.「Abe シンドローム」?


 サイコパスとは病的に嘘をつき他者に害を及ぼす反社会的人格障害。「Abeシンドローム」とは社会的あるいは脱法的人格障害。自己正当化,粉飾のためにはそれこそありとあらゆることをするという人格的障害。火のないところに煙を立たせるなどは日常茶飯事。場合によっては地水火風の神と話が付いているがごとくのことまで言い出す。一見、心臓に毛が生えているように見えるが実際は蚤の心臓。それが露骨に反社会的にはならない要因でもあるが非社会的なことは人並外れている。今、人が何人死のうが常に自分の一番の関心事のための自己正当化のことしか頭にない。このシンドロームの特徴は、空疎な内容が引き寄せる病的な嘘で塗り固められたその「全能感」である。この「全能感」に酔いしれた男の言動をまともに受けていたらどうなるか。ついには国を焦土と化しても最優先させる国策などというものを持ち出しかねないのである。「焦土外交」などとは愚の骨頂。それについてはすでに歴史が教えるところでもある。大衆は小さな嘘には過敏に反応するが、大きな嘘には寛容であると言ったのはヒットラーでもある。今更、ヒットラーのコピぺが成り立つのかと思うが、歴史から謙虚に何一つ学ぼうとしないから、「自虐史観」などという愚かしい言葉を作り出してまで自己正当化を繰り返す者たちの「全能感」に引っ掛けられるのであろう。自己正当化ばかりしていても、自己完結を「目指して」いても発展は決してあり得ないのである。歴史は自己完結を拒否する。よくご覧あれ!「Abeシンドローム」の現在を、限りない自己正当化と自己完結に終始しているだけである。

                               2016 6/24


635.「舛添問題」で週刊誌は本来の役割を果たした?


 私は以前、週刊誌の無意味さについて書いたが、最近の「舛添問題」で一部ではあるが週刊誌が本来持ちうる力を発揮したのではないかと思っている。それは体裁ばかりの無内容な御用聞きのような「大」新聞では到底できるものではない。ただし、それ以上の追及がないのは今までと変わりはなく,それがこの手の雑誌の限界である。時折、とは言ってもごく稀に「読売新聞」などを広げて読んでいる者を見かけると思わずその顔をカウンセラーがクライアントをみるように観察してしまうのであるが、やはりさもありなんと思われるのが常である。要するに、体よく騙されるタイプなのである。

 自分たちで作り上げておいて、勝手に独り歩きを始めると「切る」というパターンは権謀術数の常套手段、その内に升添を切った手合いも切られるか、梯子を外されることにもなろう。目くそ鼻くそを笑っている場合ではないだろうと思われるが、突如目くそが鼻くそに食らいついても異臭ばかりが鼻に付くだけである。それをいいことにいつの間にやら傍らには得体の知れない巨大なクソまで紛れ込む始末である。マスゾエという男、「ミイラ取り」の振りをして「伏魔殿」に入り込んだが、実のところは「ミイラ」になりたかっただけなのであろう。発見された時には包帯の中ですでに形骸すら留めず粉塵と化していたということである。この「舛添問題」に関連して、前知事の猪瀬を登場させるメディアとは、臆面もなく出る方も出る方だが、アンテナが完全にさび付いて機能していないか本体が狂っているのであろう。もし、「作家」、「ジャーナリスト」として出てきているのなら「作家」、「ジャーナリスト」としての「質」が問われても当然である。しかし、昨今の動きを見ているとすでに「本体」が見透かされているにも関わらず鉄面皮な者が余りにも多いと感じるのは私だけではあるまい。「恥」を感じるのであれば「在り方」が変わるはず。要するに「悪い」と思っていないのである。

後日、 何気なく読み返すと気分は狂歌風になってくる。

・・・ abeとasoとアホノミックス、

的のない三本の矢に矢じりもなく

カンカンという不快な音にトンチンカン・・・

バズーカ片手に戦仕掛けるジジババに 呆れカエルも逃げ出して

火山の上でいつも震える小さな国は

「美しい、美しい」と言われるだけで捨て置かれ・・・

 

 行方不明高齢者10000人弱、自殺者約30000人、「90歳過ぎて老後の心配、いくつまで生きる気なのか」と言うaso。abeとasoとその仲間たちに任せておいたら生き地獄は誰もが目視確認できることになる。

 

 

                                 2016 6/15ー6/18


634.「内閣支持率50%」??何をしてたの70年?


「内閣支持率50%」、これは何をしてたの70年?と言いたくなる最悪の冗談である。abe様を奉るマスメディアご一行様の健気さ、ちょちょらにも恐れ入谷の鬼子母神であるが、これがもし実際の数値なら日本人の意識構造、知能は劣化の一途をたどってきたという証左でもあろう。abe様とその周辺はその象徴ともいえるのである。派手なパフォーマンスばかりで内実は限りなくゼロに等しい。売名行為と選挙対策、これだけしか頭にはないというのも陳腐だがここまで露骨というのも近年珍しい。この手の者の口車に乗ればすべては自業自得だと思って死んでもらうしかない。abeの「立ち位置」ではたとえ逆立ちしても絶対に国民に寄り添うことは不可能なのである。だから空々しい嘘が次から次へと着飾って際限もなく出て来るのである。これには、さすがの巷の詐欺師たちも肝を冷やすという程であろう。

 憲法改正の問題は?、原発再稼働の問題は?最近の彼らの宣伝コピーに「目指す」というのが頻出しているがこれをポジティブな姿勢と捉えると「詐欺」という行為は存在しなくなる。お為ごかしばかりで、彼らが人々のことを考えることなどは微塵もないということは明々白々としたことでもある。「自分(たち)」が思い上がっているから「立法府の長」などと言い間違っても気づかないのである。こんなことが単なる言い間違いで済まされるのは寛容を通り越している日本くらいなものであろう。abeのオツムの具合とは、要するに国民のオツムの具合なのである。これで世界に羽ばたく?どうもがいても、これでは世界の果てにまっしぐらであろう。

 何をしてたの70年?それはすべての者に降りかかる問いかけである。黙っていても、何もしなくとも大なり小なりその責任を取らざるを得なくなることは確かなのである。

                                     2016 6/9


632.「自由の国」というコピーに乗せられて


 「自由の国、アメリカ」などという観光のキャッチコピーレベルの内容を今でも真に受けている人々がどの程度いるかは知らぬが、たとえば、映画「イージーライダー」(1969年)や「マディソン群の橋」(1995年)などに登場するその土地の者たちの様相がそのままアメリカの実情でもある。「イージーライダー」の中でライダーたちに向かって「彼らは君たちの自由が怖いんだ」と言うジャック・ニコルソン扮する弁護士が土地の者たちに撲殺されるシーンはそれまでアメリカに抱いていた「安易な」一般的イメージを具体的に引き裂く。「マジソン群の橋」でも同じような人々が登場してくる。そして、「マディソン郡の橋」撮影終了後も残っていた建物は何者かによって放火されたそうであるから、映画で描かれている人々の様相はそのまま現実そのものでもあったということにもなる。私が今でもアメリカだけは行く気がしないのは一つにはそうした事情もある。アメリカの抱えた問題に良質な人々が耐え切れず発信してくるものだけを受け取っていれば充分で、わざわざ現地に行くほどのことでもないと思っている。

 最近の大統領候補のトランプにしても、何も最近突然現れてきたわけではない。「彼「は以前からアメリカのある階層の人々の現実的姿としてあったもので、人々が「前意識」で常に持ち続けている負の感情を心地よく拡大させることができる存在でもあるのだ。トランプの存在はアメリカのある現実を如実に示している。誰が大統領になろうとも、トランプ支持のパセンテージが示すアメリカ国民の意識構造は明確である。「ティーパーティ」しかり。それは元々あったものがさらに肥大化したということでしかない。

  少数の良質な見解を平均値と見間違うとエライことになる。「自由の国」アメリカの国民の平均的意識レベルは「自由」のバーゲンセールばかりで、実は不自由極まりないというところであろう。トランプの口から「ジャップ! イエローモンキー!フリーズ!」などと言う単語がいつ出てきてもおかしくはないというのはその文脈からも、位相語からも当然考えられることである。それは、位相語を操り人心を掌握しようとする俗物,すなわち拝金主義、マネーモンスターの権化ともいえる。

 

                               2016 6/5


631.「しつけのために放置した」?


 それがほんとうであったとしても「しつけ」になっていない。五分程度のことであれば隠れて子供の様子を見ていればいいだけのこと。監督不行き届きで、無責任である。こうした場合の近所の評判などはほとんど当てにならない。評判が良ければ良いほどなおさらで、人前では説明的な行動を取るケースが多いからである。他に目的があったのか、未必の故意までの吟味が必要であろう。まったく身に覚えのないことであったにしてもオメデタ過ぎる。

  一方では、臓器売買に関連した組織が世界的に暗躍しているという実情もある。

 私の推定が外れることを願う。

                                2016  6/1

 幸いにも、私の推定は外れたが、想定内の親子であった。子は親の鏡、今後も大いに問題あり。末恐ろしい面が多々ある。


630.保守勢力によって壊されている「日本人」


 「日本人」の特性、「美徳」、伝統、文化などを壊しているのは保守勢力そのものである。彼らには、個的な欲望、欲動しか存在し得ない。他者はそれを満たすための手段でしかない。欲しいものを手に入れるためなら手段は選ばない。彼らは、恐怖感を適度に盛り込みながらあらゆる「オタメゴカシ」をいうことであろう。何のことはない、そのすべては彼らの個的な欲望、欲動で片付けられることなのである。彼らに大衆を守るなどという意識は爪の垢ほどもないことはすでにあらゆる事象から割り出せることである。拝金主義の根本は、「後は野となれ山となれ」であることは今更言うまでもないことであろう。反主知主義傾向の自浄能力を失った保守勢力とは拝金主義そのもので、それ以外は驚くほど何もないといってよい。それは「八九三」と見分けがつかないほどである。したがって、彼らの手中に落ちれば、堪えた挙句に焼野原、はげ山を歩かされることになるのである。もう充分に分かり切った方向を見せつけられているにもかかわらず、また言葉巧みに騙されて「裏切られた」などとおめでたいこと言っているようでは裏切られた方にも責任がある。

「 問題」が「問題」にもならない国とは、やはり異常なのである。そこには左翼も右翼もない。もし、それでもその振り分けが起こり得るなら、それは似非なるねつ造された左翼、右翼であろう。それにしても、逆に「あなたはほんとうに日本人か?」と聞きたくなるような保守・右翼が多過ぎる。また、全くその存在意義を失った負の効果しかない左翼過激派の政府に反対する小さな動きを大きく取り上げるマスメディアの実態など今更言うまでもないが、「問題」をすり替えるための手の込んだ、あるいは幼稚な「ヤラセ」としか言いようがあるまい。

 今後ますますテレビで垂れ流される空疎な政治イベントは多くなるだろう。その映像をそのままうのみにしていると判断を誤ることになる。嘘で塗り固められた「Abe」の在り方から「本当のこと」が語られることは100%ない。すべては「ポーズ」なのである。微に入り細を穿って細工されている映像。それが現状の否定し難い流れである。

                                            2016 5/25

※「反主知主義」などという言葉は、ほめ過ぎで単なる「白痴化」「単細胞化」という方が適当である。

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