ラヴォー氏は現在パリ大学名誉教授(医学部)で自由な活動をしている。彼はあらゆる芸術、文化に造詣が深く、彼と話をしていると(奥様のピアニストである真知子女史を介して)話が尽きない。そして、今回(2009年10月)の渡仏で私は彼との間でまたさらに深い親交を持つことができた。
滞在中、彼らと芝居を観に行った時、帰り道ラヴォー氏は今観た芝居について歯に衣をかぶせぬ手厳しい批評をする。なるほど、お世辞などは微塵も言わぬ人だと言うことが分かったが、その中には私も同感できるものがかなりあり、そのことについても話が広がりカッフェで話そうということになった。近くにいくらでもカッフェはあったが、どう言う訳かそこから少し離れた彼の知っているカッフェまで私を案内した。
カッフェでは当然のごとく、話は演劇、文学、美術と限りなく敷衍されていく。そして、その時初めて彼がフランス レジスタンス(対独抵抗運動)の闘士であったことを私は知った。彼については、ヴェルコールの「海の沈黙」のようなフランスインテリ層のイメージが私にはあったのでそれは意外でもあった。彼は第二次大戦中、フランス レジスタンスに最年少の1人として参加。そして、生きていたら、このカッフェ、フランシスで会おうと言うのが当時のレジスタンスの合言葉になっていたということを私に告げた。実際に、レジスタンス仲間と会ったのはこのカッフェのどこら辺ですかと私が聞くと、ラヴォー氏はその場所を指差した。それが写真のところである。
今回のフランス滞在中に私は、レジスタンス活動から5月革命を経てきたたラヴォー氏とそんな場所で握手できるとは想像だにしていなかった。その昔、J・P・サルトルと会うことを思った日々が甦ってきた。
そして、フランス滞在最終日近く、ラヴォー氏と真知子氏の勧めもあり2009年度モリエール賞受賞のJean・Claude・Grambergの作品を観た。そこに出演していた女優Christine Murillo(元コメディ・フランセーズ正座員)はピール・ノットの「北をめざす2人のおばさん」にも出演している。座席は2列目の中央だったので役者の細かな表情の変化が手に取るように分かった。それについてはまた改めて書いてみたいと思う。
平山勝 フランソワ・ラヴォー氏
2009/10 パリ 「chez Francis」にて
追記:やはり、堀田善衛の言う通り、「パリに行ってもね、サルトルがいないパリってものは何にも面白くない。あてがないというか、中心がないというか。彼ひとりがいなくなったために、パリという街の魅力にぽかっと穴があいてしまった。」 そう、別に彼に会うわけでなくても、彼がいるということで、そこかしこに、文化、思想、哲学が息衝いているという感じがあったが、それがすっぽり抜け落ちたようになってしまった。「あとは雑魚ばかりで、佃煮用の魚ばかりだ。」
最近になって(2024年11月)フランソワ・ラヴォ―氏が2023年に亡くなられていることを知った。様々な思いがまた蘇ってくる。
「Il ne reste plus que l’écriture」
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