「ある日、その時」 (7) 2011年3月27日ー

 


<掲載内容>  

136.Au sujet dun accident de centrale électrique nucléaire   137.日刊ゲンダイ1面ー5面について 138.野田秀樹が「アエラ」表紙に抗議したそうだが・・・ 139.瞬時によぎる「振幅」(1) 140.専門家という盲(めしい) 141、国家的犯罪から世界的犯罪へ 142.「計画停電」という戦略 143.瞬時によぎる「振幅」(2)144.ー鎮魂歌ー145.マッドサイエンティストとマッドマーチャントと 146.突然、文明が滅びる時 2011 3・11ー 147.老いたるは皆かしこかり・・・148.チェルノブイリのレベル以下、以上の愚かな議論 149.振り切れた針 150.おかしな話、おかしな論理 151.放射性物質は垂れ流し・・・152.Non pas un murmure・・・153.瞬時によぎる振幅(3) 154.オバマよ、お前もか・・・155.私のブログに対する姿勢 156.暗鬼を生ずるものは

                                                  (転載・複製厳禁) 




156.暗鬼を生ずるのは疑心ばかりではない


 疑心 暗鬼を生ず、とは言うが暗鬼は疑心からのみ生じるわけではないところが厄介なのである。それは「平常心」などと一般的に言われている状態ですらその間隙を縫って「暗鬼」は生じるのである。信じていればそのようなことはないということ自体がすでに「暗鬼」に取り込まれていることもある。すなわち人間という「境涯」にあり続ける限り「暗鬼」と「語り続ける」より他に生きる道がないということになる。もし、その「暗鬼」が消失した瞬間が<あり続ける>のなら、それは「成仏」(必ずしも死を意味するわけではない)の時か、「鬼畜」「修羅」そのものになっている時であろう。その判別は「欲望」の度合いである。「私心」の濃淡である。

                                                   2011 5/7


 

155.私のブログに対する姿勢


 むやみに謙虚になるつもりも、そうかと言って傲慢になるつもりもない。日々心に浮かび上がってきたものをそのまま自由に書き連ねているだけである。私はツイッターの多くの者が他者に求めているような共感、同意、交流、手応えなどにはさして興味がないというよりあまり必要とはしていない。時代の社会の変転についてその都度の思い、感じ、考えを一市民として伝えることが私にとっては一義的問題で、それをどのように他者が捉えようがそれは各自の自由で、私の問題ではない。ある時は適度に謙虚に、またある時は適度に傲慢に、そしてさらに大胆に、それが自由に書くということである。その姿勢に関しては微塵の揺らぎもない。ブログをはじめてそろそろ2年、原稿用紙で1000枚程にはなったであろうか。今後もこうして書き続けていくであろうからどの位の枚数になるのかとも思う。最近はさらに書くペースが速くなってきているが、それが良いことなのか、悪いことなのか、それも私の問題ではない。

                                                     2011 5/7



※ 節電はテレビから、ライフスタイルをシフトさせる絶好のチャンスである。



154.オバマよ、お前もか・・・


 ノーベル平和賞などというものが、どれほどの意味があるのか知らぬが、ビンラディン「殺害」でさらに意味をなくした。このことでアメリカは確実にまた報復の危険性にさらされる。なぜこのような戦闘の火種を周期的に撒き散らすのか、それは周知のようにアメリカ社会内部に巣食う銃器産業を抑えることができないのと同様に、軍需産業自体の構造的要請であるからである。オバマの「弱腰」を批判する者の多くは軍需産業関係者であろうことは容易に推定できる。今、アメリカはアルカイダの報復を待っている。そして、国際的に大義名分が整ったところで、全面介入、すなわち戦争である。それで、10年程で蓄積された兵器が一挙にはけると同時に開発兵器の実験である。しかし、今回アメリカはイスラム世界に対して大きな「ミス」、「挑発」を犯してしまった。ビンラディンを水葬にしたことである。これについては、イスラム教スンニ派の最高権威機関アズハルの総長顧問は「水葬はイスラム教に反する」としている。これでアメリカはアルカイダを殲滅させるどころかイスラム世界全体を敵に回したことになる。ビンラディンは飽くまでもイスラム教徒なのである。それについての米高官の「引き取り手がなかった」などという釈明がどこまで通用するのか。それ以外の見方にも無理がある。近々、火の手は上がるであろうが、「信仰者」と傭兵の戦いで、どのような最新鋭の兵器を持ってしても最終的に傭兵が勝利することはない。

 ビンラディン「殺害」で歓声を上げている余りにも単純で愚かしいアメリカ国民には微塵の共感も持ち得ない。そして、また多くの血が流されるのである。これでは亡くなった者達も浮かばれまい。

 オバマが暗殺されない理由がよく分かる。既得権益側の白人の言うがままの成り上がり傀儡政権で、黒人の階層を完全に裏切っているからである。オバマは単なる黒い帝国主義者であった。                                                

                                                                                                                                                2011 5/3

 なぜそうなったか、一つにはオバマが2期目を射程に入れた時点で、保守共和党の「オバマはイスラム教徒」、「オバマは反戦運動家でホンネはアメリカを守る気はない」などのキャンペーンを何としても封殺する必要があったからである。それが今回のビンラディン殺害である。まんまと軍需産業に後押しされた共和党とその過激な突撃隊「ティーパティー」の謀計にはまったと言うよりはなるべくしてなったと言うべきなのであろう。

 オバマが自己の無実を証明したかのように、ビラディン殺害を伝えた時、マスメディアが「一般市民」の歓喜のごとく取り上げている跳ね上がった共和党支持者以外は、何かある種の「異様さ」を感じたのは否めない事実であろう。ノーベル賞審査委員会はオバマに授与した「平和賞」を剥奪するべきである。それはオリンピックのメダリストも不正があれば後日メダルを剥奪されるのと同様である。そうでないと多くの人々はますます混乱することになるだろう。もっとも「ノーベル平和賞」などがその程度のものと認識している人々にとってはどうということもないことではある。しかし、 今になって、アメリカがこれはイスラム世界に対する攻撃ではないなどと弁明したところでもはや虚しいことだとどうして気がつかないのか。もうすでにアメリカは全イスラム世界を敵に回しているのである。ビンラディンのイスラム教に反する屈辱的な葬り方に対してイスラム圏のすべての者が表向きはどう言おうと反米感情を持つのは当然のことであろう。今更何を言っても遅いのである。無防備の者を最新鋭の武装集団が奇襲して、殺害、その上相手の「武将」の死を辱める。たとえどのような戦闘であろうと後味の悪い誇れる戦いではないのは事実。アメリカは大きな禍根を残してしまった。

                                                          5/4 


153.瞬時によぎる振幅(3)ーこの項は別枠として同時進行ー


〇「日本沈没」、「日本滅亡」などと言われて久しいが、それがさらに現実的なものとして差し迫ってきているというのが昨今の実感である。この国がそれを選び取っているのだから如何ともし難い。

〇俗に言う三大新聞社説の低俗さ加減

 その確証・根拠のないものをあたかも既成の事実であるがごとくにしたり顔で展開するその「お話」にはすべてに渡ってひとつひとつ引っ掛かる。こんなものを読んで分かったような気になっている者達の気が知れないのである。これでは世界の情況分析を根本的に見間違うことになるだろう。今、そのすべてを具体的に取り上げ逐一検証したら一社の社説についてでさえ恐ろしく長い文章となってしまうのでここでは避ける。

〇震災によって日本科学未来館の天井も崩落した。日本の科学未来を象徴しているかのような出来事である。この地震大国日本で天井の崩落は想定されたものではなかったようだ。私には「想定外」などという言葉が通用すること自体がいまだに解せぬ。世が世なら「想定外」は自己の無能と同時にそのまま死を意味した。そして、その国は滅んだのである。この言葉を平然と発する一本線が抜け落ちているような御仁達には「想定外」とは命と引き換えだということが分かっていないらしい。もし、その「想定外」が「想定内」だとするなら、それは万死に値し、亡国の徒ということになる。                                                                                                            

                                                                                                                                                       (5/6)

〇「アメリカは何様のつもりでいるのか」、「堕落した官僚ども」、「地に堕ちた大マスコミ」、これは巷でよく耳にする言葉である。もっともである。アメリカは世界の「正義」だとでも思っているようであるが、いつかその鼻っ柱をへし折られる時がやってくるのであろう。少なくともアメリカの隷属国家である今のままの日本ではそれに加担することすらできまい。日本の官僚組織については、もはや根底からひっくり返すことでしか、日本が真に前に歩みだすことはあり得ないのであろう。そして大マスコミ、彼らが地に堕ちているなどということは今に始まったことではないが、その常軌を逸している様にはもはや呆れ返ってものが言えない。

 

〇ビンラディン殺害についてコロコロ変わるアメリカの講釈・釈明で、アメリカがイスラム世界からの反発に対して動揺していることが見えてくる。ビンラディン殺害に関してアメリカは何とでも都合のよいようにでっち上げることは可能である。どちらにしても加害者側の見解だけを鵜呑みにするのは「普通」ではない。それをそのまま取るか、どこまで検証・推理するかで世界情勢の解読に生じてくる誤謬の度合いが違ってくる。

〇最近よく耳にする「罪もない一般市民を巻き込んで云々」、「罪もない」などと形容詞までつくと「一般市民」などがあたかも「純真」、「純粋」の代名詞のように思われるがそうではない。常に何らかの形でどこかに関係して、それに拠って立っていている以上「純真」、「純粋」ではあり得ないのである。私自身はテロを認めるわけにはいかない世界に生きてはいるが、「一般市民」という「特別な領域」があるわけでもなく、罪があるかないか知らぬがそのような「在り方」自体が実は世界中どこにも存在しないということをあらためて確認しておいた方がよいだろう。したがって、戦場であれば非戦闘員を巻き込むことはあっても「罪もない一般市民」というものが意味するものを巻き込むという事態は起こり得ないと見るべきである。

〇死人に口なし、殺害者の言いたい放題である。ビンラディン殺害についてアメリカの講釈は飽くまで殺害者側の一方的な講釈に過ぎない。その内容をそのまま事実であるがごとくに載せる無能な「新聞屋」さん達は今やまったく無意味な存在に成り果ててしまった。ビンラディン殺害について、裁判にかけるべきだという意見があるようだが、それはアメリカの実情を知らな過ぎる理想主義的原則論で、ビンラディンを「裁く」ほどアメリカの刑事司法文化は成熟もしていないというのがアメリカの情況に精通した識者の見解でもある。現に、ビラディン殺害で歓喜する保守派共和党支持者、共和党極右の「ティーパーティー」グループの様を見ていてもその単細胞加減には呆れ返ってしまうが、それがアメリカの実情である。やはり、アメリカは最初からビンラディンを裁判にかけるつもりなどなく、ビンラディン抹殺が最大目的であったと見るべきであろう。ビンラディンは、ブッシュと言うよりはブッシュをバックアップしていた巨大利権組織の罠を明確に把握していた可能性もある。そうだとすればこれは完全な口封じと、さらなる挑発でもあろう。

                                                                                                                                         (5/5)

〇政権のサポーター朝日、毎日、読売、テレビ、これらは政権マスメディアで、まったくジャーナリズムではありえないことを肝に銘じて読み取るべきである。 

〇原発推進を中心的に担ってきた渡部恒三よ、いつまで三文芝居を続けるつもりなのか。そんなどさ回りの三文芝居が通用する時代は終焉した。あなたは国民を騙した国家的犯罪者なのである。潔く去るなり、責任を取るべきである。あなたを見ていると、放火しておいて火事場で逃げ惑う人々の様子を見て講釈を垂れている放火魔を彷彿とさせる。こんな政治屋を事あるごとに登場させたテレビなども同罪である。

 

                                                                                                                                             (5/4) 

〇これぞまさに明晰な状況分析と的確な判断をした指導者・社長の一例であろう。

「2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、弊社福島県育成牧場分場が被災に遭いました。幸いにも管理馬・社員に怪我はありませんでしたが、その後の度重なる余震や、食糧・水・ガソリン等の入手が困難な状況、そして、福島原発から69kmの位置にありましたので、放射能の恐怖にさらされてしまいました。政府の発表にも疑問を感じ、弊社はいち早く避難をすることを決断し、3月19日までに競争馬100頭・従業員30名とその家族の移動を完了しました。ー後略ー。  株式会社 吉澤ステーブル 代表取締役 吉澤克己」

                                                                                                                                                       (5/3)


152. Non pas un murmure mais un fait  et


 Même maintenant l’argent recueilli pour une oeuvre de charité n’a pas été donné à la région ravagée.(Fukusima)

Pourquoi est-ce que la distribution de l’argent pour les sinistrés est en retard ?

Maintenant le gouvernement participe à la distribution de l’argent recuilli pour une oeuvre de charité.

Et  beaucoup de gens ont la méfiance dans le mouvement du gouvernement.

La matière radioactive est toujours versée dans la mer.Ce n’est pas un problème de Japon mais un problème dans le monde.

Je crois que le désastre de centrale électrique nucléaire Fukusima a tourné en  site de l’expérience d’un désastre de centrale électrique nucléaire commode pour les Etas-Unis.

Il n’y a pas d’homme politique au Japon. politiciens partout    C’est une honte!

En tout cas il faut s’en tirer tant bien que mal aussitôt  que possible

                                                                                                                                                                           

                                                                                                                                       2011 5/1                                                                       


 151.放射性物質は垂れ流し、義援金はいまだ配分されず。前代未聞の無策政府に何の動きも見せない議員とジャーナリズムを放棄した大マスメディア。


 こんな時だから事を荒立てず様子を見ようなどと言っている場合ではない。少なくともそのようなことで何かができる政府ではない。それは有能な指導者がいる場合に限るが、この政府はちょっと見れば分かるがムチャクチャなのである。今に始まったことではないが、この国がいかにずる賢い無価値な者達によって牛耳られてきたかがよく分かる。要するに彼らは二枚舌の亡国の徒に過ぎなかったのである。

 福島県はもはやその美しい大地と海を取り戻すことは決してない。そして、その山の幸や海の幸も以前のように味わうことはできない。そのことを明確に把握して置かないと、亡国の輩の無思慮な行為によって残された大地さえも侵されかねない。こうしている間にも時々刻々放射能汚染は進んでいるのである。生存の危機に瀕している。福島県民は立ち上がるべきである。そして、言うべきことを徹底的に言うことである。あなた方には第一義的にその権利がある。

 世界の日本国民に対する褒め言葉は、その多くは良くも悪くもその国の為政者の思惑を反映している。問題が起きても実におとなしく、何度も変更される国の間違った指示にも従順に従う、彼らにとっても御し易い最高の民に見えるのであろう。したがって、その褒め言葉をそのまま賞賛の意味だけで捉えることには問題があるというのは言わずもがなで、一方では「普通なら」抗議するのが当然であるにも拘わらずよくぞおとなしく「羊」のようにしているものだという驚きと不可解さの入り混じっていた思いがある。

 議員諸君よ、大マスメディアよ、あなた方の存在意義はもはやない。これほどまでに地に堕ちた姿をまざまざと見ることになろうとは、歴史に残る、記すべき失墜である。そうでなければこの国は世界でも稀に見る忌まわしき「秘境」ということになる。

 裏で蠢く、アメリカの意のままである森派の諸君と官僚と、それに操られ右往左往している菅とその周辺、それでは「政策決定が場当たり」になり、「誰が決定しているのかが明らかではない」というのも当然であろう。そこには独立国家日本の姿はどこにも見えない。今や実質的にはアメリカの属国なのであろう。このまま行けばその内にアメリカの州の一部になることであろう。アメリカ合衆国東洋州日本。それでもいいのか、悪いのか?それが問題であろう。

                                                                     20111  4/30


150.おかしな話、おかしな論理


 原発推進派の都知事石原慎太郎が、さすがに息苦しくなったのであろうか、何日か前に自動販売機を撤去して、パチンコ屋をなくせば原発1基分位の節電をできると言い出した。それに対して蓮舫が、それで生活している人達もいるので云々などと言ったそうだが、それで何か言ったつもりになっているのことが不可解。私は石原の政治的スタンスからは真っ向から対立するが、自動販売機とパチンコ屋に対する問題提起は理解できる。むしろそれに対して「それで生活している人もいるので簡単に切り捨てることはできない。」などと言っていること自体に大きな問題があると思っている。人間は常に間違える、だから間違った方向に進んでいると思ったら思い切って軌道修正しなければならなくなる時が必ず来る。その時点で、それで生活している人がいるから云々では済まされないのである。具体的には違う受け皿をきちんと設けて業種を切り替えてもらうということである。「そこで生活している人がいるから切捨てられない」式の話では、必要とされない危険な原発も「そこで生活している人達がいる」から作り続けることになる。ミサイルも、原爆も「それで生活している人達がいるから」切り捨てられないということになってしまう。今後、自動販売機やパチンコ屋などのあってもなくてもいいような「無駄」な電力消費でさらに原発を必要とするような事態になるのであればそれは絶対に避けるべきなのである。

チェルノブイリの現状を見ても、「悪魔」に加担したその代償は余りにも大き過ぎる。我々はまだまだ電流も放射性物質も食することはできないのである。

 日本では、原発を推進してきた渡部恒三という厚顔無恥な「政治屋」が国会でぬけぬけと福島県民に対して同情の意を表する三文芝居を演じたようだが、さもありなんである。この男も「悪魔」に加担した男である。テレビにもよく顔を出した男であるが、今までテレビに登場した者達はほとんどが「悪魔」に加担した者達である。すなわち、テレビそのものが「悪魔」に加担しているということである。

                                                             2011 4/29


 


※節電はまずテレビから、そして身も心もリフレッシュ、ライフスタイルをシフトさせる絶好のチャンス

テレビ、新聞に絡め取られず、見ざる、聞かざる、思うところを主張する。それでいいのだ。


149.<振り切れた針が戻らなかった時>


※何を言ってみても、どのようなもっともらしき言説を展開したところで原発は悪魔の誘いということに変わりはない、人間ごときに御せる代物ではないのである。原発推進派とは悪魔の手先と成り果てた亡者の群れのことである。一旦彼らに身を委ねたらもはや世界に未来はない。後は廃墟を待つだけである。原発が世界の趨勢なら世界の滅亡は不可避なことなのであろう。それを回避するには悪魔と手を切る方向で具体的な方策を探るより仕方あるまい。

※節電はまずテレビから、呪縛から解放され、ライフスタイルをシフトさせる絶好のチャンスである。報道を分かりやすく伝える番組ほど胡散臭いものはない。そのほとんどは分かりやすく歪曲、捏造されているので細心の注意が必要。まんまと引っかかれば、毒の糖衣錠を飲まされるか、自殺も明日はわが身ということになる。

※「三大新聞」不買の勧め、買って読んでは彼らの手の内。現政府と一体化している彼らの言説にジャーナリズムは存在せず、単なる政府の宣伝広報紙で,真の情報源には決してなり得ない。そんなものは買って読む価値はない。取り敢えず彼らを封じ込めるには徹底した不買行為であろう。見ざる、聞かざる、そして正当な権利を主張する。見せられるのも、聞かされるのも嘘であったならどこまでその真偽を正せるか、もし正すことができないのなら残された正当な権利のみを拠り所に判断すべきである。もっともらしい詐欺師の論理に取り込まれたら命は危うい。「御用」と名の付く者達、「御用ジャーナリスト」「御用キャスター」etcそれは国民を騙す犯罪者の別名なのである。

※義援金は政府絡みの日赤、ユニセフは避けて、できれば被災地の状況を見て信用できる地元の組織にピンポイントで直接渡したほうが早いかもしれない。(何に使うつもりなのか、いまだに義援金は配分されていない。)政府は被災地のことなどはほとんど考えていないと見るべきで、たとえ考えていたとしても政治利用の手段としてのみである。こんな為政者に命を預けなくてはならない国民は悲惨である。

 ※復興支援と増税を絡める謀計

 増税だ、馬鹿も休み休み言え!馬鹿に付ける薬はないが、この際、放射性物質を封じ込めるコンクリートで固めるしか放射性物質の対応と呼応したような愚かしい動きを封じる方法はなさそうである。

 

 

                                                        2011 4/29



 148.チェルノブイリのレベル以下、以上の愚かな論議


 福島原発事故をチェルノブイリ原発事故と比較しての論議が多いようであるが、比較にはならないと思っている。すべての「科学的データ」と称されているもの自体が旧ソ連体制の隠蔽体質の中でのものでしかないにも拘わらずそれを基本ベースにさももっともらしい「論理展開」をしているものがほとんどで、まったく信用に足りるものではない。※今回の福島原発事故が初めて世界の視座に晒されて正確なデータを提示できる、日本にとっては悲劇的ではあっても、世界にとっては貴重なデータとなるのである。したがって、この福島原発事故は今後の展開次第ではチェルノブイリを遥かに上回るものともなり得るし、まったく予断を許さないと言うのが実情なのである。福島原発事故がチェルノブイリ以上などとはデマだとかそうじゃないと言ったところで、そのようなことはまったく無意味な論議なのである。そして、今までのあるかないか分からないような乏しい「科学的」データをいくら漁ったところで何をも言い尽くせないことを思い知るべきである。日本は,この「悪魔の科学」を御し得る程の技量も哲学をも持ち合わせてはいない。いまだに商人(あきんど)の論理だけでは成り立ち得ないことがまったく分かっていないのである。しかし、それが日本のすべてであり、それが現在の結果である。そして今、1000年単位でも取り返しが出来ないことが着実に進行しているのである。日本滅亡が具体的に目前に迫っている時に、原発に関連してそれで生活している人々もいるのだからでは済まされないのである。そのようなことはもはや単なる寝言戯言の類に過ぎないと言わざるを得ない。業種をシフトすべきなのである。

※原子炉内部の事故究明はもちろんのこと、今後30年程度の期間で徹底的な追跡調査をすれば放射線量と癌との関係も今までにない明解なデータを得ることができる。世界最大の原発保有国アメリカは千載一遇の好機とばかりに日本以上に調査を徹底的に行っていることであろう。あらゆる面での科学的根拠となり得るデータ収集を行っているはずである。 

                                                  2011  4/26 


147.老いたるは皆かしこかり この国に身を滅ぼすものすべて若人


 これは与謝野晶子の夫でもあり歌人でもあった与謝野鉄幹の歌である。なぜこのような歌を取り上げたか、すでに変節漢としてもその名を世間にとどろかせている与謝野馨の言動があまりに無恥で情けないので与謝野鉄幹、晶子の末裔などという血縁関係なるものがまったく無意味で何の関係もないものだという極当たり前のことに今更ながら感じ入ってしまったからである。具体的には、福島原発事故に関して与謝野馨は関係していたことについても、事故以後の現在においても何らの反省も謝罪すらしようとはしない。今も多くの原発作業員が劣悪な条件下で何時終わるとも知れない「戦い」を強いられているにも拘わらずである。そして、今もって声高にそのその「正当性」のみを唱える戦時中の狂信集団の頭目のような者達がいるが、与謝野馨も同類であろう。鉄幹に白刃もて迫られても不思議ではない人物である。

 原発関係者には以前より「原発教」とも言いうる何か根本理念の希薄な新興宗教のような「匂い」がするのを払拭することができなかったが(この点に関しては小泉政権時の「国立大学の独立法人化」にも関係してくるのでここでは詳細は避ける)、先月、原子力学会元会長らが「建言書」で、原発が安全だと言い続けたことの間違いを認め、被曝覚悟で30km圏内の1万5000箇所の放射線量測定に動き出したということである。そのメンバーのひとり放射線管理の専門家・柴田徳思(69歳、東京大学名誉教授)の曰く「この測定には若い者を行かせるわけにはいかない。自分達のような年寄りや、教授連中が行く。」これこそが指導者たるもの、または導き手でもあった知識人の最も重要な腹の括り方である。今、彼らの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい輩が余りに多過ぎる。因みに、文化省の線量調査は計測地点が少な過ぎて不十分。

 

                                                                                                                                2011 4/20


146. 突然、文明が滅びる時  2011 3・11ー


われわれ人間は

多くの生けるものたちに

生かされている

牛に生かされ

魚に生かされ

草木に生かされ

時には猫に、犬に、小鳥たちに

こんな当たり前のことが

忘れさられる時

人間は人間の境涯を

忘れ去っている

そして、ある時、突然

文明を支えていた利器が

隆盛を極めた文明を滅ぼす

過去にも「誇らしい」文明があった

しかし、ある時突然姿を消した

今、文明が消え行く予感がする

そして予感は実感となって

立ち現れた

 

偽り人の巧みな言葉に頷くな

汝の言葉で真実を語れ

幇間のごとき言葉など

もはや誰の心にも届きはせぬ

 

なぎ倒された花々よ よみがえれ

土に返るには早すぎる

花の重みに耐え 起き上がれ

偽りの人の 巧みな歌に頷くな

大地の声を聞け、自らの心に問いかけよ

何が大切なのか、何が心安きことか

偽りの人は 須らく遍く(すべからくあまねく)亡者

その旗印は「欲望」と言う名の「希望」

その「希望」に光が射すことは決してない

 

                                                 2011  4/17

 

 


145.マッドサイエンティストとマッドマーチャントと


 今回の原発事故で日本にどれ位のマッドサイエンティストがいるのか具体的に判明したと同時にマッドマーチャントがいかに様々な組織と絡み付いているのかも明確になり、その全体像がより一層浮き彫りにされた。マッドポリティシアンについては今更言うまでもない。今後は原発推進派、反原発派を問わず世界の明確な「論理」に晒されることになるのは明らかで、単なる利害関係でしかない愚かな感情論、詭弁などは今までのようには通用しなくなるだろう。

 最近、日本原子力安全・保安院が福島第一原発事故の国際評価尺度を「レベル7」に引き上げたが、IAEAはチェルノブイリとは比較対象にはならないと強調して、レベル引き上げにに疑問を呈した。これは今までの経緯を見ても本来なら逆であろう。たとえIAEAがレベル7に引き上げっても、様々な「影響」を考えて日本側はレベル5を固持したのではないか、もし、実質的に「レベル7」であるなら日本側がIAEAに正確なデータを提示していなかったことになる。

 いずれにしても、福島第一原発事故以後、我々は何十年いや死ぬまで意識するしないに拘わらず喉もとに切っ先を突きつけられたまま生き続けるより仕方がなくなってしまったのである。その影響は日本全国に波及して行くことだろう。そこで出て来るであろう楽観的見解、能天気な思わせぶりな「ご意見」はすべて思い込みによるイルージョンか嘘であると思った方がよい。甘い言葉が常に犯罪的行為を秘めているのは何時の世も変わらぬことで、どこぞの好好爺のような「御用」学者、ジャーナリスト、評論家の「迷調子」を取りとめもなく流しているテレビなどと同調していたらそれこそ思考回路は寸断され、焦げ付き、機能しないまま朽ち果てるより他あるまい。

 したり顔の学者諸氏の「ご意見」は、ほとんどその科学的根拠として提示されたデータでさえも疑問点が多く、どうしてその程度のことを科学的根拠として展開、結論付けられるのかが不明なのである。さらに言えば科学的根拠として提示された多くのデータそのものがある領域の確率でしかないにも拘わらずそれを根拠に絶対命題のごとく言い切る。そのこと自体が非科学的なのである。絶対に「安全」、これはまったく根拠のない非科学的な言辞であると同時に「人間」の傲慢さをよく表している。私に言わせれば単なる阿呆なのである。

 今、思いついたままに言えば、放射線とがん細胞の関係がよく取り沙汰されるが、そもそもがん細胞自体も完全に解明されている訳ではない。がん細胞の病理学的分析などと言っても、要するにがん細胞の形態上に類似点を見出しているに過ぎないので見逃している場合も大いにあり得るということである。放射線についても、その放射線量、その照射時間も不明瞭のまま、さらに、未知な領域にあるがん細胞発生との因果関係を的確に把握することなどは不可能と言ってよいだろう。しかし、放射線が細胞に多大の影響を与えることは事実で、放射線量が高くなれば細胞の癌化は明確に捉えられるだろう。ただ100ミリシーベルト程度の放射線量では100人に1人か2人にがん発生が見られるなどとは言っても、そこでは何人かの者が見逃されている可能性は否定できない。またこのようなデータには経過時間が抜け落ちていて、3年後には10人、5年後には20人になっている可能性もあるのであるが、その調査はなされていない。実際このような追跡調査を正確に行うことは不可能に近いのである。そして、放射線の影響はがん細胞だけではない、奇形、奇病など言われているものにも関係しているが、それについてもまだまだ不明な部分が多い。現在、一般的に科学的根拠と言いながら、語り得ぬことまで敷衍していることに気付いていない者、若しくは気付いていても敢えてそれを詭弁で糊塗する者達があまりに多過ぎる。厳密な意味で果たして科学的根拠足り得るものが存在し得るのか。今、改めてそれを問いたい。

  真実は常に隠されているの。なぜなら、そこに人間の取り留めのない欲望があるから。

                                               2011  4/12

 

 

 

 


 144.被災地の方々へ捧げる ー鎮魂歌ー


荒れ果てし わが故郷

奪い去られし 爪あとだけの

街並みは 涙こらえて佇めば

回り始める 走馬灯

悲しみは夕陽に向かい船を出す

軋む(きしむ)想いは揺れ揺られ

軋む(きしむ)音にも涙がこぼれ

ああ、過ぎ去りし日々よ

去り行きて戻らなかった人々よ

漕ぎ続け 漕ぎ続け

漕ぎ続け どこまでも

そしていつかは あなたのもとへ

 

※福島は私の亡き母の生まれ故郷でもあり、会津藩士の流れを受け継ぐ祖父は村長をしていた。彼らが今の福島の惨状を見たらと何と言うだろうか。村民から慕われた義人であり武人であった祖父は少なくともこの福島の現状に黙ってはいなかったであろう。 

                                                                               2011 4/11


143.瞬時によぎる振幅 (2)ーこの項は別枠として同時進行ー


〇総じて、なぜテレビには見るべきものもなく、何から何まで白々しいのか、それは小賢しく、ずる賢い嘘ばかりであるからである。もし彼らが目の前にいたら何を言い出すか分からない。若き日には、愚かしくも灰皿をテレビに投げつけブラウン管を壊してしまったこともあったが。今、落ち着いて見ていられるのは競馬の実況と案内者の登場しない風景くらいであろうか。心を徒に千々に乱すものには近づかぬ方が賢明なのであろう。(5/2)

〇テレビは知らず知らずの内に脳髄を破壊し、思考を寸断させ、愚かしいイルージョンに誘い、見る者を意のままに操り(見る者にもよるが)真の自由に恐怖感を抱かせ、みすぼらしい空間に閉じ込める。それが人生というのであればそれもよかろう。しかし、それが無味乾燥な生ける屍の人生であることに間違いはない。実に哀れである。                                                (4/29)

〇政府の巧妙な増税戦略、国民はまた騙されるのか?復興支援と彼らの増税戦略とはまったく関係ないと見るべきである。彼らの誘導尋問は徹底的に拒否しなくてはならない。これ以上騙されてどうするのか?ここに至っては「こころ優しき日本人」はいまだ目覚めぬ秘境の民と同義語となってしまう。そして、その多くは滅び行く絶滅品種である。                                                                                  (4/27)

〇地に堕ちた「朝日新聞」、こんな新聞を読んで納得している者達がいるとは!日本もあわれ狂っている。冷静さを完全に欠いている。この新聞のどこにジャーナリズムが存在するというのか。他紙も大同小異であるが、特に「朝日新聞」は狂った内閣と歩調を合わせて日本を崖っぷちに持って行こうとしている。菅は完全に狂っているマッドポリティシアンの典型である。もはや強引にでも引きずり降ろすか、封じ込めるしか手はあるまい。

※現在の朝日新聞の幹部、記者、論説委員は全部チェックしておく必要がある。「増税会議」に出席している元朝日新聞論説委員・高成田享・仙台大学教授なども要注意である。       (4/26)

〇節電はまずテレビから、そして身も心もリフレッシュ。ライフスタイルをシフトさせる絶好のチャンス。

(政府、東電の末端広報機関の流すものを観ていてどこが面白いのか、不可解。百害あって一利なし。)

〇東京都知事をはじめ原発推進派の諸君には目先の欲望に走って日本沈没の時期を早めることのないようにくれぐれもお願いしたい。もうすでに1万年単位で福島原発周辺は元に戻ることはことはないのであるから。

〇節電で街に適度な闇が戻りほっとしている。今までが明る過ぎたのである。もはやこれ以上電力は必要あるまい。これで充分である。軽薄な電飾の世界も終焉の時を迎えた、パチンコ屋も自動販売機もなければさらに快適である。 テレビも同様で、民放などは金を貰っても観たくはないものがほとんどである。愚民政策の名残か、国民を完全になめている。

                                                      (4/23+)                                                                                                                                                         

〇自称東電新入女性社員

ネット上で東電擁護をぶち上げ、騒動を起こしている者がいるようだが、実際にこのような社員はいるであろう。東電はどんな阿呆でも関係者のコネで入れるところでもある。当然この手の内部意識を知る意味では格好の手合いが登場してくる。この女社員はネット上で「電気を使えるのは誰のおかげですか?文句あるなら電気使うな!」、「普通の人は東電頑張れと応援してくれてます。」、「批判する人は自分で原発に行けばいいんじゃないですか!」などと言っているらしい。言っている内容、知能レベルは小・中学生以下で、やはりコネで入ったような漢字の読めないテレビ局社員と同レベルであろう。私はこれを愉快犯の仕業とは思わない。これは東電の根本的なところにある意識であると思っている。どのように平身低頭して謝罪しても変わらない意識である。それがたまたま押さえのきかない、単細胞の者の口からもれたに過ぎないが、それを粉砕し、彼らを完膚無きまでに切るにはまず我々自身のスタンスをライフスタイルをも検証し、切り取らなくてはならない。我々自身に、肉を切らせて骨を切るくらいの気概がなければ彼らの薄笑いは当分続くだろう。

  簡単なことで、要は必要以上の利便性を追求しないことである。電力会社の戦略以外の何ものでもない「オール電化」など愚の骨頂なのである。それはあらゆる分野で言えることで、単一性を志向した時点で事が起これば「全滅」することが容易に起こり得るということである。現に電気が使えなければもうそれで終わりであろう。

                                                          (4/25)

〇「ひとつになろう日本」?どのようにひとつになるのか?訳の分かったような分からぬようなこの手の標語は危険でもあり、一体何を言いたいのか不明な言辞の典型の一つでもある。試しに、この意味を人々に聞いてみればいい、おそらく各自ばらばらであろう。それが結果的に現政府とひとつになることなら、そうしたいと思っている人達はほとんどいないであろうし、たとえいたとしてもそれは極稀な人々である。(4/22)

〇「1人じゃない」、嘘をつけ。今まで何人の者達が一人で息絶えたのか。瓦礫の中から足だけを天空に差し出している遺体の前で、野ざらしの前で「1人じゃない」と言っているようなもの。,いつまでも政府広報の「お手伝い」のようなことはせず、政府などとは関係なく各自が、各集団が出来ることを精一杯すればいいだけのこと。義捐金、支援金などもできれば政府が介入している日赤、ユニセフなどは避けて確実に、出来るだけ早く被災者の所に届く確実な組織を捜すべきであろう。  (4/20)

〇大手3大新聞の内容は単なる特定機関の広報の類で見るべきものはないが、最近は週刊雑誌がジャーナリズムの本道に戻りつつある。たとえば、「週刊現代」、「週刊ポスト」etc 少し前は(特に「小沢問題」の関連記事)これらの雑誌の記事内容もほとんど見るべきものがなかったが特に大震災以後記事内容が変わってきている。3大新聞、その系列新聞、テレビなどではもはやまったく期待できなくなった1歩も2歩も踏み込んだ、切り込の鋭い本来のジャーナリズムをそれらの雑誌記者達には期待したい。また期待できると思っている。ジャーナリスト魂をどこまで燃焼させるか、それが勝負であろう。                                    (4/19)

〇東電への抗議行動が毎日のようになされて、逮捕者まで出ていると言うのにテレビ報道などはまったくなされず、どこか白々しい変に明るい話ばかりで埋めつくされている。これはやはり異常である。大手1社(東電)に独占されればこうなることはわかり切っている事である。もはや報道の自由など画餅で、特定組織、若しくは政府広報であると思って見ていた方がよい。ほとんどは狭い視野での社会の極一部の切り取りだけで、重要なことは報道されないと見るべき。そうしないと選択を誤る。  (4/19)

〇Les marchands fous ruinent ce pays. Ils n’ont pas une capacité de diriger une crise.

Dans ce cas les marchands sont les personnes impliquées dans une centrale électrique nucléaire.

Les marchands fous  les scientifiques fous  les politiciens fous  Ce pays sera ruiné par eux.

Et maintenant  ce pays ne tient qu’à un fil.

                                                                                                                                                (4/18)

〇東電・政府の茶坊主たち

様々な分野から限りなく現れる東電・政府の茶坊主たち、こんなに茶坊主どもが群がっているいるとは思わなかった。余程美味しかったのであろう。何を言おうが、何をしようがすべては商人(あきんど)の腹積もり次第。どちらにしても茶坊主も走狗もその行く末は同じであろう。                                                       (4/17)

〇もはや政府の発表することなどほとんどの者が信用してはいないと言った方がよかろう。国の認定基準値、暫定基準値などと言ってはみてもそれがまったく当てにはならないことは多くの者が知っていることである、自らの責任で出来る限り調べ、考えて行動しなくてはならない時にきている。知らない、分からないでは済まされない、そんなことをしていては命がいくらあっても足らなくなってきている。情報不足は否めないが、原発被災地周辺の住民がいまだに原発が終息して我が家に帰れると思っているようだが、もはや帰ることなどできないのである。それは死地に赴くようなものである。新たな土地を見出すしかない、それが現状である。それを否定し得る科学的根拠など皆無に等しいのである。もし、そのような者がいるとしたらそれは詐欺師である。

                                                                                                                                                

〇腹括ることもできぬ者達が会議ばかりをして言うこと為すこと痴れ者のごとく。「様々な意見を聞いて」いる内に被災者は見殺しにされているのが現状である。この恥知らず者たちによってこの国は滅びるのだろう。現内閣、菅、枝野、岡田、千谷、その他、そして東電社長清水正孝の傲慢不遜な態度は万死に値するが、それを許しているのも政府の腰抜け達の所業である。彼らを決して許してはならない。彼らを許すことはこの国を将来を閉ざすことになる。目先の「あめ」に絶対に手を出してはならない。何としても彼らの策略を殲滅させなくてはならない。

〇自動販売機の撤廃、パチンコ店の節電に賛成する。この程度で原発の供給分を補えるのであればこれ以上原発を増やすこともなく、大いに結構なことである。個人にのみ節電を強いるのではなく、こうした電力消費の多いあってもなくてもいいような余計なものを真っ先に節電、撤廃するべきである。日本は今、憂慮すべき危急存亡の事態に立たされている。個人のライフスタイルの検証もさることながら、該当する会社、関係者は違う業種にシフトすることを考えたほうが賢明である。都知事はどんどん推し進めるべき、ついでに無駄な電力消費の典型である民放の2つ3つも潰してもらいたい。

〇また「希望」の安売りが始まった。

それは「希望」と言う名の「欲望」である。それもほんの一握りの者達の取り止めもない欲望である。その欲望のために犠牲を強いられるのはまた「国民」なのである。

〇マッドポリティシアン ーこのような政府は不要、増税などとんでもないことであるー

 被災地で活躍する民間レベルの支援活動には目を見張るものがある。もちろん、消防、自衛官達の活躍もある。しかし一体、政府は何をしたというのか。いざとなれば民間、海外の協力頼り、被災地の人々は1か月も経つというのにいまだに食事も満足に食べられず悲惨な難民状態である。さらに義捐金も行き渡らず滞ったまま、何のための義捐金なのか。「一丸となってがんばる」?何を言っているのか!一番がんばらなくてはならないところがやるべきこともせず。被災地の人々を見捨てているのであろう。

 つくづくこのような政府はない方がよいと思われる。税金など取る資格のない政府である。増税などとんでもないことである。

〇国民の苦渋に満ちたしたたかな選択?

選挙前(知事選)、巷に溢れる声は投票すべき人がいないということと、民主党に対する嫌悪感である。ここまで露骨にことごとく国民の期待を裏切った政党は前代未聞であろう。今回のこの結果は自民党が返り咲いたということではなく、多くの場合単に他にいなかったと言うことに過ぎないだろう。実質的には、この国の政体は官僚独裁機構と言った方がよいようなもので、自民であろうが、民主であろうがその機構そのものに切り込める政治家がいない限り、巧妙度の競い合いだけで国民に対する姿勢は結局のところ朝三暮四である。どちらに転んでも国民は今までのようにただ口を開けて待っているだけでは済まなくなる。

 しかし、今回の都知事選、今までにも況して投票すべき候補者がいなかった。これだけ、原発事故が世界的規模で問題になっている時に、原発推進派の旗手のような存在が「大差」で当選するとはまったく解せないものがあるが、そうかと言って他の候補者がいくら脱原発,反原発を唱えてみてもその実効性はほとんど期待できない。むしろ原発推進派である「機を見るに敏」な石原慎太郎がメルトダウンのカウントダウンの中で今までの原発推進を如何にソフトランディングさせるかを見た方がその責任を取らせる意味でも「面白い」のかもしれない。もし、そこまで読んでいるのならしたたかな選択とも言えるが、実はそうではあるまい、まだまだ民主主義政治などというものには程遠いと言わざるを得ない。

                                                                                                                                         (4/11)

〇原発「安全」キャンペーンに使われるアニメの不気味さ

それは一言で言えば「人殺し」を「ポワ」と置き換えるに似て、限りなく軽いことからくる薄気味悪さである。それは目に見えない、質量すら感知しえない放射能と同様に、何のリアクションも、手応えすら感じ得ないない「殺し」の不気味さである。

 

〇天皇の被災地訪問

収束の見通しは立たずとも、政府がやるべきことをして国民もある程度の納得ができている時に天皇が被災地訪問をするのでれば人心の慰撫としても効果は見込めるのであろうが、政府に対する不満が右肩上がりに膨れ上がっている時に天皇を登場させるとは、政府による天皇の政治的利用がここまできたかという思いがした。政治的不手際を天皇の「存在」で補完しようとする稚拙な作為が透けて見えてすべてが逆効果であった。この一点を見てもこの政府の底を知らぬ恥知らずな振る舞いが留まることを知らないことがよく分かる。これもいつか見た光景ではあったが今は異質であろう。

〇変動時に見える風景

 あまり見たいものではないが、このような時期には人の醜悪な部分と同時にその真価、ほんものかニセモノかがはっきりと見えてくるものである。実際にもうかなりの個人、組織の実態が明るみに出され明確になってきた。見えてくる時にはいやでも見えてくるものだというのが昨今の実感である。

〇人が嘘にて生きる世に

 世の中が右往左往している内に、国会ではネットを監視、チェックする法律を成立させている。風評被害、デマなどを防ぐためなどともっともらしいことを言ってはいるが、やっていることはどこぞの国と同様で、要するに言論統制、監視である。そうであるなら国民の側も国に対する監視をさらに強固なものにすればいいだけのことである。風評被害などを前面に押し出して、その統制、監視について国民の納得の得られるような方向に持って行くつもりなのであろうが、そもそも風評被害などは政府が正確な情報を流し、きちんと対応していればある程度抑えられたのである。それを怠った結果が現在の風評被害である。言ってみれば政府が起こした風評被害とも言えるのである。ある「御用演劇人」がそれに関連して、デマの怖さについて関東大震災時のデマで多くの人々が殺された例を挙げていたが、そのデマを流したのは実は官憲であったという説もあることを知っておくべきであろう。国民の知らぬ間に着々と事を進めている政治家不在の「民主体制」はどこに行くつもりなのか。言論統制、監視を強める政体とはどちらにしても民主制からはかけ離れてくる。この国はやはり実質的に独裁的官僚主義国家と言った方が一番適当なのかもしれない。そうであるから「ウィクリークス」的な動きになり得るネット上の交信を必要以上に警戒しているのである。しかし、この「世界的動き」はもはやどのようなことをしても止めることはできないことを知るべきであろう

 〇「御用演劇人」とは

「御用学者」、「御用評論家」、「御用ジャーナリスト」がいるように演劇界にも「御用演劇人」がいる。「御用学者」達が研究費欲しさに東電、政府に尻尾を振り、その隠蔽工作に加担するように、「お国」の文化行政と「足並み」揃えて、経済的援助を受ける一方で、いつしか「お国」の広告塔、もしくはその尖兵、走狗と成り果てる演劇人のことを「御用演劇人」と言う。多くは製作費が充分に確保されているので、その程度はできて当たり前という作業がほとんどでそれ以上ではない。

                                                2011  4/7ー4/8ー 4/10


142.「計画停電」という戦略


 「計画停電」なるものが、政府、東電、原発関連諸機関による戦略であることは今更言うまでもないことであろう。彼らは国民にきちんと丁寧に通知するこもなく、一方的にかつ必要以上に勝手に電源をつけたり消したりしているというのが実情に近いと思える。なぜそのようなことをするのか、それは明白であろう。国民に国策の一環である原発がなくなるとこういうことになると思い知らせなくてはならないからである。しかし、それはやりすぎると抗議行動を起こさせることにもなりかねない、そうかと言ってやらなければ、今度は原発などなくても済むものだと思われてしまう。その兼ね合いを考えながら、つけたり消したりしているという方が現実的には理解しやすい。なぜなら供給電力不足ということが今もって具体的に見えてこないからである。それについては今実施しているような規模の「計画停電」が本当に必要なのかという意見もあり、また今やっているような大掛かりな停電を国民に強いることなくほんの僅かな節電で事足りるという実例を示したものもあり、供給電力が足らないという数値が計算上合わないという意見もあるのである。確かにある量の供給電力が突然なくなったのは事実で、不足分を何とかしようとすることも分かるが、問題はどのような不足分が生じたのか、またその補完作業自体の内容である。そして、今度は夏場に向けて供給電力不足が生じることが叫ばれているが、それは必然的にやはり原発がないとクーラーさえも使えないと思い込ませる操作ともなる。このことですでに原発事故が夏になっても収束しないということが暗に示されたことになるが、それだけでは済まないということはもはや周知の事実であろう。巧妙なマインドコントロール数々、やはり彼らが日本全土を死地と化す亡国の輩であったとは。

                                                    

                                                     2011 4/6


 141.国家的犯罪から世界的犯罪へ


 福島原発事故の初動のミスから始まり、現在(4/4)までの経緯を見ていてもまったく人災以外の何ものでもないにも拘わらず東電、政府はその放射線量については「直ちに人体に影響を与える放射線量ではない」などと未だに能天気なことを言い続けている。しかし、着実に「最悪の事態」に突き進んでいるのは明らかであろう。仮にその寸前で抑えられたにしても長時間に海洋に流出した放射性物質は計り知れない量で、三陸海岸沖にある寒流と暖流がぶつかる潮目という魚の宝庫とも言える領域はもはや存亡の危機に瀕している。それどころではない今や確実に放射性物質は世界の海に拡散しているのである。東電、政府、原子力安全委員会は検出された数値に対して人体に影響する数値ではなく海洋に出れば薄まるなどと言っていたが、放射性物質が継続的に流出した場合、自然界の生命体の中でその数値がどのように加算されて行くか、蓋然的な数値さえ提示できず、それとも敢えてしようとしないのか、もしできないというのであるなら「安全」であることに明確な科学的根拠がないということになり、「1年間食べ続けても0.6ミリシーベルト以下で許容範囲内」などという一見具体的でありながら現実的ではない机上の数値で片付ける訳にはいかなくなる。どのような魚をどの位の量を食べるかも明示されないまま、ペットでもあるまし「1年間同じものを食べ続けても」などと言ってみても現実的には意味のないことなのである。どちらにしても、風評被害ではなく実害として、日本の魚の宝庫に点在した漁港は壊滅的打撃を受けるか消滅し、いずれ日本の食卓から次第に魚の姿は消えて行くことだけは確かであろう。それだけではない、世界の漁港にもかなりの被害が出てくることは必至で、さらに原発事故に対する今までの政府、東電、原子力委委員会の対応が明確に世界にさらけ出されれば、その時点で日本へのエールは憎悪に変質しているだろう。今、世界は自国の「安全」を維持するためにも、なす術もなくうろたえる日本国政府に協力しざるを得ない。このまま放置されたらその被害は世界規模で拡大して、それに伴う損失も計り知れないものとなるからである。その内に、東電、政府、原子力安全委員会の国家的犯罪とも言える行為は世界的犯罪行為として追及されることになるだろうが、その時には、それまでの隠蔽工作もすべて白日の下にさらされ、日本の測定基準値は世界基準とは違うなどと、狂信集団の戯言のようなことは言ってはいられなくなる。

                           

                                              2011  4/5


140.専門家という盲(めしい)


 今更、敢えて書くほどのことでもないが、このところ否応なく目に入ることが多いのでついまた書き出してしまった。

 専門家、学者と称する者達の意見、見解を聞いていても腑に落ちるということなどはとんとなくなってしまった。むしろ疑問点ばかりが増えていく。なぜそういうことになるのか、学者のレベルの問題はさておき、一つには専門家、学者と言われる者達が多くの「知識」を持っていることでかえって一瞬たりとも留まらぬ現実そのものを「在るがまま」に把握し切れないということ、そして持っている「知識」そのものが「創造的に、あるいは想像的に機能しなくなるか、逆に「知識」それ自体が疎外する方向に働くからであろう。そして、そのようなことに振り回されているだけというのがどうも実情のように思える。そして、彼らが「これは個人的な意見ですが」と条件付きで話す内容に辛うじてその「息遣い」を感じる程度である。もう一つは、現在この種の者達が一番多いのだが、「御用学者」と言われる人々である。たとえば今回の原発事故でもその安全性だけを強調するためにだけいるような存在である。彼らが拠って立ているところが「産官学」路線であるからその見解は聞くまでもなく、「真理」などは二の次、「産官」のためなら根拠のないことでも平然と「作り上げて」しまうような、肩書きはあっても果たして学者と言えるかどうかも不明な者達である。このようなことについては枚挙に暇がないが、原発関係の記事の中からたまたま手にしたものを取り上げてを見ると、プルト二ウムは過度に恐れる必要はないという前原子力安全委員会専門官の武田邦彦(中部大学)の一見客観的かつ科学的な言説があるが、今その疑問点を探ってみよう。「今まで原爆工場事故や末期がん患者への実験投与など、10以上の集団被曝事例を多くの科学者が研究しましたが、軽度のプルトニウム被曝で発がんしたと科学的に判断された例はありません」この文章で彼が言いたいことは、さまざまな実験をしてきても軽度のプルトニウムの被ばくで発がんしたと科学的に判断された例はないということだけである。それではその疑問点とは、まず「末期がん患者の実験投与」とは具体的に何をしたのか? 「10以上の集団被曝例」10以上とは実際に何名の被爆者を対象としたのか? そして、10程度の事例で何が結論づけられたというのか? 多くの科学者とはどのような科学者か?「軽度のプルトニウム被曝」とはどのくらいの線量か、その数値は、またその照射時間はどのくらいで設定されるのか。さらに、がん細胞の実体そのものががまだ不明瞭にも関わらず、どうして「プルトニウムの被曝で発がんしたと科学的に判断された例はない」と言い切れるのか?その「科学的判断」とはどのような判断か、具体的に示してもらいたい。まだまだあるが、ここではここまでにして置く、わずかこれだけの文章でこうである。この教授には原発の付近に住んでもらい、プルトニウムは体内に取り込まれても99.5%以上が便などとして排出されると言っているのであるから「健康を害さない程度に」プルトニウムを飲んで戴こう。それが身を持って証明することである。体内に残った0.5%のプルトニュームが気になるところだが、それについては何の説明もしていない。一時が万事なのである。

 ※武田邦彦(中部大学) 「御用学者」から国民の側の視点にシフトしたようだが、完全には抜け切ってはいない。まだ軸足は原子力推進派にある。その言説には上記のような不明な言辞も多く、論点のすり替えなどもみられる。因みに、彼は東大教養学部基礎科学科卒で原子力工学の専門ではないが、原子力関係で「教授」の肩書きを持つ者はすべて「御用学者」であると見てよい。なぜなら現状では「御用学者」と言う在り方でしか、どのように優秀でも「教授」にはなれないからである。テレビに出て来る教授などはすべてこの類で、現状認識が欠如している「安全信仰」派である。武田邦彦ですらテレビ出演依頼がないということであるからいかにテレビが無益なものかが分かる。 

                                                   2011  4/4

 

 


139.瞬時によぎる「振幅」 (1) ーこの項は別枠として同時進行ー


〇「原発教」と言う名の金に群がる狂信集団

 福島原発事故以来、政府並びに原子力発電所の関連諸機関とその「ご利益」に与る「学者」、「専門家」などの「御託」はとても聞いていられるものではなかった。これは世間にまかり通っている「学者」、「専門家」とはいかにいかがわしい存在であるかを多くの人々に見せ付けたと言ってもよい。今こそ、誠実な学者諸氏は声を大にして現在の在りのままの真実を告げない限り、その存在意義自体が問われることになろう。

〇「ひとつになろう日本」? もっともらしいが、軽佻浮薄の偽善者の響きがする。「ひとつになる」ということがどいうことなのか、それで何か言ったつもりになるのではなく、現実的にそれが何を意味するのかもう少し考えるべきであろう。そして、その標語のもとに行われるキャンペーンがやるべきこともやらない政府の民間頼みを増長させ、正当化するだけのことであってはならないし、またそれが当然抗議されてしかるべき内容を封殺する方向に働くのであればさらに問題が出て来る。

〇それでも原発の「安全神話」にしがみつく者達よ

米倉弘昌(日本経団連)、石原慎太郎(都知事)、そして、有象無象のテレビ「学者」達・・

 あなた方が原発の周囲半径30キロメートルに住居を構えるのであれば信用もしよう。そうでなければ日本原子力研究開発機構が1993年に作ったPRアニメのようにプルトニウムを飲んでその安全を証明するのが筋であろう。話はそれからである。「安全」と言っているのであるからそれくらいのことは容易であろう。そうでなければ今まで嘘をつき通してきたということになる。少なくとも原発の「安全」を訴える者、推進派は、その家族も含め半径30キロ圏内に住むか、プルトニウムを飲むか、それくらいのことはしてもらわないともはや話は先に進まないのである。それ以外に何を言っても、本来なら説得力もなく、嘲笑されるのが落ちなのである。しかし、「利」のために四六時中何とか相手を丸め込むことだけを考えている者達である。次にどのような手を打ってくるか、騙されるな路傍の草の花々。

 (原子力PRアニメについては、日刊ゲンダイ4/4  より)

 

〇菅の被災地視察は、これは「歴史に残る」大災害と記念撮影をしたいという一心の表れであろう。この男が「歴史に残る」という修飾語を遣ってこの「大災害」を語った時、この男の顔にはある種の「歓び」さえ仄見えた。これは歴史に名を残すためであるなら何でもするという「歪んだ人格」形成の道を選んでしまった者達共通の劣悪極まりない回復不能な根源的「心情」である。例えばアドルフ・ヒットラー、ハインリッヒ・ヒムラー・・・・etcサダム・フセイン・・etc・・・。しかし少し前にも、ヒットラーの「我が闘争」を偉人伝だと思って小学生の子供に買って与えていたという馬鹿な母親がいたが、それもまた愚かしい現実の一面である。そう思わせたのも実はマスメディアなのである。今考えられる最善の方法は、彼らを忌まわしき無様な標本の一部として、冷徹に「明確な形」として残すに留めるべきで、不用意に歴史に登場させることは避けねばならないだろう。

〇政府広報のような「がんばれ、日本」、タレント、役者、etc揃いも揃って君達には言われたくないという者達ばかり。海外のエールなら分かるが日本人が「がんばれ、日本」ではないだろう、「がんばるぞ日本」、「助けるぞ、日本」であろう。一体どこにいるつもりなのか。こういう者達にとってはおそらく火の粉が飛んできても「対岸の火事」なのであろう。「買いだめはやめて」と言う前に、「正確な情報」をきちん伝えるべきなのである。政府の落ち度を国民の協調性のない「エゴ」にすり替え攻め立てる陳腐な手法はもう止めた方がいい。「官民一体」となって?「官」は助かるはずの多くの人々を見殺しにしただけであろう。今以て義捐金の配分さえ決まっていないと言うのに何を「視察」するのか。そんな事は国として打つ手をすべてやってからのことであろう。やるべきこともせず政治的駆け引きに明け暮れ、ここらでひとつ「視察」でもと言う程度のこの変節漢の所業は大方の国民にはすでに読まれてはいるが、それにしても真底恥知らずな人間とはこういう人間のことを言うのであろう。こうした政府の動きを見るにつけ本当に義捐金は被災地のために使われるのかという声さえ聞こえてくるのが今の実情である。要するに、何から何まで信用されていないのである。 

〇絶対「安全」だと言い続けて、原発事故が起これば後始末もできず、右往左往の狼狽振り。その挙句に「どうしてよいか分からない」,これはもう万死に値することでもあろう。時折、登場してくる「学者」の解説も、その存在意義と同様に何とも虚しい。菅直人、斑目春樹、石原慎太郎、その他の関係者(原子力安全委員会など)は国家的犯罪者であろう。徹底的に糾弾されてしかるべき者達である。因みに、日本原子力委員会はIAEAの見解を否定しているが、これも信用できない。彼らは日本向けと海外向けに、いとも容易く報告内容を使い分けることなど朝飯前である。今までの経過を見ればどちらを信用すべきかは分かり切ったことであろう。なぜ政府はIAEAの指摘を無視して避難、退避圏内を広げないのか、それをすると避難民が膨れ上がり金がかかるからである。人の命の「保障」より金の心配である。官僚達のそろばん勘定に合わせた言動で、それ以外の根拠はほとんどないと言ってよい。モニタリングをしながら何を検討しているのかも不明である。、また何人もの死者が出るのをモニタリングしてからの話なのであろう。

  3月30日になって東電は原子炉を廃炉にする方針を発表、今頃廃炉にすることを決定するということはまだ使う気でいたのかと思うと空恐ろしいことである。だからアメリカの初動の協力を拒否したのである。アメリカでも問題視されていた欠陥原子炉を安く購入して危機管理もろくにせず「安全」と言い続けて地域住民を騙してきた罪は極めて重い。

〇「専門家」を含めて様々な選択肢を検討して、ある段階で政治判断をする。もっともらしい政府の「ご意見」であるが、これではすべてが後手になるのは当然で、何をやっても勝算はない。因みに政府が言う「専門家」とは多くの場合、「官僚」であると思って間違いない。何をやるにも「官僚」と相談する政治家不在の独裁的官僚政治であることをここで改めて確認するべきであろう。

〇3月28日、ようやく海外の医療活動(イスラエル)が開始された。それまでにもすでに何か国から申し出があったが、日本の医師免許がないという理由で活動させなかった。因循姑息な「官僚」の介入である。彼らはその間に何人死のうが知ったことではないのである。

〇「自主避難」、これもこの国のというより「官僚」の「せこさ」を如実に物語る対応である。自己の判断、責任で避難してくれということで、それについては後はどうなっても、たとえ死んでも知りませんということである。この「国」とはこんな「国」だったのである。身を捨つる祖国はありやである。国民は思い知るべしである。

〇被災者はおにぎり1個で耐えているというのに、毎回テレビに出て来る枝野、並びに政府関係者は日増しに肥え太り、被災時と何ら進展のない無意味な虚しい記者会見を繰り返している。何を質問しても結局モニタリングして検討しているということで終わってしまうのである。おそらく彼らは日本沈没の直前までモニタリングをしているのであろう。こんな輩と付き合っていたら体がいくつあっても足りない。彼らは、この忌々しき一大事にまったくやつれる気色も、やせる様子もない,けだし不可思議である。「精一杯やっている」、「命懸けで」、「努力している」などとは言ってはいるが、なぜかすべてが空々しくリアリティをまったく感じさせないのは、その肉付きのよさ、血色のよさである。これでは、この一大事に菅、仙谷やらとまた飲みながら食いたい放題やっているのだろうと勘ぐられても仕方あるまい。少なくとも保安院の方は相変わらずの訳の分からぬ報告をしているが、日ごとに顔が黒くなってきて、「原発焼け」かと思わせる妙な不気味さがある。それにしても東電、安全保安院のていたらくは想像を絶するひどいものであった。

〇原発に対して山火事の消火並みのことしか思いつかない「専門家」、「学者」諸氏。それでもまったく手に負えないのが現状であろう。完全に確実に収束させる手段も持たず、効果的方法を聞かれても答えることと言えば、結局のところ「水をかけ続ける」ことくらい、そして、その後に出てきた「アイデア」たるや、原子炉周辺を放射性物質が飛散しないよう布で覆う、さらには樹脂で固める、その内に神主でも登場して来るのではないかと思われる有様である。また一方ではこの期に及んでなお「千年に一度の大災害」云々とその「安全性」について言い訳がましいことを言い続ける往生際の悪い詐欺師の集団がいるが、彼らはもはや亡国の輩、国家的犯罪者でしかない。

 初動ミス、そして原子炉に冷却水を注いでいるポンプ車の燃料切れによる中断、放射性物質の測定値の計算ミス、呆れ返る程の幼稚なミスの連続、もはや危機管理がどうのこうのというレベルではなく、まったく話にならない状態である。その内に作業員も逃げ出すであろうから、後の作業は原発推進派にやってもらうしかあるまい。「絶対安全」と言い切ったのである、それこそ命を懸けてやってもらいたいものであるが、こういう輩に限って我先に遠隔地の逃げ出しているのである。今後マスメディアにはこういう輩の追跡調査を徹底的にやってもらいたいものである。

 こんな状態のままいつまで空中に、海洋に放射性物質を垂れ流しているつもりなのか。これではその内に世界中から損害賠償を迫られることにもなりかねないだろう。もうすでにレイキャビク(アイスランド)で海水から放射性物質が検出されているということである。やがてサンフランシスコ、ロサンゼルスにも至るであろうし、さらに広範囲に世界の海に広がって行くことであろう。世界では「直ちに影響がない」、「飲み続けなければ影響がない」、などの詭弁は通用しない。

 海外の日本の原発事故に対する協力も、実のところ、そのあまりのひどい日本の対応に見ていられなくなってのことであろう。これは日本だけの問題では済まなくなってくるからである。何ともみっともない、情けない姿である。世界に、国民に,おんぶに抱っこの要介護国家、自分で始末もできないものに手を出すな!

                                     2011 \ 3/30 \ /  3/31 / \ 4/1 /4/2ー


138.野田秀樹が「アエラ」表紙に抗議したそうだが・・・


 時々「アエラ」はチェックしていたが、今まで野田秀樹が「アエラ」に連載していることも知らなかった。「アエラ」の表紙が風評被害を広めると批判された問題を受けて「アエラ」の連載を降りるということである。改めてその「東京よ、冷静になれ」と題した連載ものに目を通したが、逆に野田の拠って立っている姿勢、立ち位置が明解に見えてきた。そもそも「冷静になれ」などとは官房長官の枝野などや大手マスメディア、テレビなどが福島原発事故当初から繰り返し言ってきたことである。東電、保安院、政府などの不明瞭な対応、「正確な情報」も流さず、ただ、「冷静になれ」などとはとんでもないことである。これはさらに正確に言えば「おとなしくしていろ」ということに近い。野田はチェーンメール、ツイッターにかなり煩わされているらしく、それは古いデマゴーク以外の何ものでもないと言っている、確かにそれらには問題点もあるが、ただその「決め付け方」からは野田の立ち位置が明らかに既得権益側(この場合東電、原発関連諸機関など)にいることが見えてくる。さらにマスメディアなどが何度となく図解入りで解説している放射線量と人体の影響をそのまま援用して、その「安全性」について述べながら、その報道について「冷静さを欠く報道の在り方」、「安易に恐怖心を煽るだけの姿勢」などと言っているが、それではいつ「正確な冷静」な報道なるものが存在したのか、正確な事実報道がいつ成し得たというのか。また、そのような報道の在り方が「悪い方向に導くもの」とも言っているが、その「悪い方向」とは具体的にどのような「方向」なのか。「反原発」のことを言っているのか?

 やはり、野田は自らも言っているように、能天気なものを書いていた方がよかろう。このようなことを書き出すとすべてにおいて隙だらけで根本的な姿勢が透けて見えて白ける。

                                              2011 3/29


137.日刊ゲンダイ1面ー5面について


 この日刊紙の1ー5面はよく取材して的確に焦点を絞って、時には荒々しい言葉を連ねるが、その内容には共感できるものが多くあり、執筆者も面白い。ただ、時折、折角の内容を台無しにする見出しがあるのが残念である。例えば、「赤い仙谷」、「市民運動上がりの青二才」(菅のこと)、これは逆効果で、むしろ褒め過ぎであろう。そもそもが「赤い」、「市民運動上がり」などの形容詞がすでにかび臭い死語である。仙谷などはどちらかと言えば「黒い」ほうだろうが、まあそれではインパクトがないだけの話であろう。それから「市民運動上がり」、これには実際に市民運動をしている者達は離れるのではないか。もっともこの日刊紙の読者にはそのような類の人間はいないのかも知れない。どちらにしても、赤くても黒くても、市民運動上がりだろが、役者くずれであろうが、物書きくずれであろうが、そんなことは関係ない、要するに政治的センスがあるかないかというだけの話である。「赤い仙谷」、「市民運動上がりの青二才」、これだけ見ていると戦争直後の「右翼」の機関紙を見ているようであるが、もはや「右翼」、「左翼」なども死語となってしまった。そのような片隅に追いやられてしまった湿った言葉を遣うよりもっと斬新な言葉で切り込むことを期待したい。

 

                                                 2011 3/27

 

 


136.Au sujet d’un accident de centrale électrique nucléaire


 Le gouvernement japonais montre encore seulement l’attitude imprècise à l’accident de centrale électrique nucléaire.La politique de Japon est substantiellement la politique par les bureaucrates.Par conséquent  le jugement politique qui doit être hâté est aussi  en retard parce que un politicien est la marionnete de bureaucrtes.Et puis la plupart des cadres qui appartient à l’organisation d’énergie nucléaire sont des bureaucrates précédentes .

 Maintenant encore il peut voir partout la dissimulation.Naturellement l’information exact n’est pas passée.

Les savants deviennent comme un négociant et ne disent pas la vérité.

Et il ne peut pas comprendre tout ce que les employés de TEPCO ont dit.

Ils négligent ses devoirs.Même maintenant  TEPCO n’a pas mesuré la matière radioactive d’une région du refuge. 

(TEPCO est la compagnie d’électricié qui possède  la centrale électrique nucléaire.)

Ce ministère est complètement incompétent et a trahi des gens dans toutes les significations.

 Et ce premier ministre est un traître sans précédent. Je ne pense pas qu’il soit normal.

Malgré tout le grand mass média ne critique pas ce ministère parce qu’il ne poursuit pas les droits acquis et intérêts du grand mass média. qui fait problème.

                                                                                       

                                                                                                              Suite au prochain numéro

                                                                                                                    2011 3/27           

 

                           

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