「ある日、その時」 (5) 2010年12月15日~

 


109. ある夫婦からの便り


久ぶりに上京して、1週間ばかり都内を見て回り帰ったある夫婦から便りが来た。自分たちが行ったところを書き綴ったものであったが、その中に、帰りがけに友人宅の近くの神社でよく見かける猫があまりに自分の家に遊びに来る猫に似ており、つい猫の缶詰を買い慣れてきたその猫にやっていると、「何をしているのですか」と聞かれ、猫の糞で困っているので餌をやるのはやめてくれと言われたらしい。そして、そのことで折角の神社のいい風情と心地よさが一瞬にして消し飛んでしまったと言っていた。

 「猫の糞で困っている」ことにどのような正当な理由があったにしても、神社で猫を追っ払って、箒で猫を叩いている様子などを思い浮かべると興ざめで、この神社なからましかばと覚えしかである。夫婦の気持ちが壊されたことはよくわかる。猫はその餌などを食べなくとも鼠を捕って食べたり、どちらにしても生き物である以上どこかに糞はするのである。餌をもらう場所と糞をする場所との因果関係も不明である。

 私が以前教師をやっていた時に、普段遅刻することのなかった生徒がその友達と一緒に遅刻したことがあった。教室に入ってくるなり「すみません、公園で猫が弱って倒れていたので餌をやっていましたので・・・」と言った。私はその時、謝ることはない君達はいいことをした、とだけ言って彼らを席に着かせた。

 糞害、フンガイだと大騒ぎする人々にも一理はあるだろう。しかし、「害虫のいない小鳥と蝶が飛び交う街」作りをしているのではないか。害虫も糞もなければ小鳥たちは存在し得ないのである。去勢された家猫ばかりでは通りには一匹の猫もいなくなってしまう。そんな風景が想像できるだろうか。そこには異常繁殖した鼠が我が物顔で歩いていることだろう。人間の目先の浅知恵とはこんなものである。

 子供たちが野良猫に餌をやっている、傍らで黙って見守りながら糞の後始末をする。それが「大人」の役割でもあろうし、「大人」というものである。子供はよく大人の動きを見ている、そして、大人の感情はそのまま子供に伝わる。程よい、大切な情緒が育たないのもそうした細やかな世界との関わり、積み重ねが欠如しているからとも言える。

 

                                                       2011 1/14

 


108.「立ち止まって考えよう国民会議」の趣旨に賛同する


 「週刊朝日」(1/21)の「意見広告」に載っていた「立ち止まって考えよう国民会議」の趣旨には賛同できる。

 この趣旨内容は私がブログなどで1年半近く言ってきたことと相通じるものがあり、方向もほぼ同じであろうと思われる。このような会が真の「市民」を一人でも多く育てていくことを期待している。

 私は匿名のツイッター、ブログの無責任な内容については、かなり否定的な検証をするか破棄してしまうかのどちらかで、基本的にはまったく信用していないので、この会の趣旨でもある姓名の「公表」を前提とした「『自立した個人の責任』を明確にする集まり」というところについても共感がもてる。

 

                                                  2011 1/13


107.タイガーマスクの喜捨


 つまらない社会分析は不要。最初にタイガーマスク(伊達直人)と名乗る者が一歩を踏み出し、喜捨(寄付)したこと、このこと自体が重要な意味を持っている。そして、今後こうした「喜捨の文化」がまた復活することを期待したい。これは今年最高の出来事、最高の賞に値するだろう。

 今の「内閣」が「無閣(ナイカク)である以上何も期待することはできない。「無いもの」に向かって何を言ってみたところでそれは「無」である。そんなこととは関わりなく「一歩を踏み出した」「伊達直人」その行為そのものが何ものにも換え難い。「喜捨の文化」は昔からあったが、絶えて久しい。このような文化が再び甦ることを祈りたい。

                                                                                                                                     2011 1/12

                                                       ため息に笑みが零れた夜


106.「倒された」ガブリエル・ギフォード


 アリゾナに住んでいたある日本人によると、下院議員ガブリエル・ギフォード(民主党)は穏健派として、まともなことを言う議員として知られていたということである。そして、「移民法」(アリゾナでは移民が証明書を持っていなかっただけで逮捕される)と戦って中間選挙で当選とある。これに対して共和党支持者、Tea Party支持者の反撃は当然あったであろう。そして、どちらかの支持者の中に狂信者(銃乱射の犯人は22歳の男)がいても不思議ではない。実際、このアリゾナ州では彼女以外はすべて共和党議員である。さらに、この州はアメリカの中でも銃規制が非常に緩慢なところで、犯人の男も去年11月に簡単に小型の連射銃を手に入れている。そのような状況の中で以前にもアリゾナ大学で教授3人が軍出身の学生に大学内部で射殺される事件が起きている。そして、今ではアリゾナ大学のドアのすべてには銃持込禁止のマークが貼ってあるという。

 中間選挙当選の経緯などを見ても、彼女が「移民法」に対して何らかの改正を試みて、移民たちの票が彼女に流れたことは納得できるが、ツイッター、ブログなどの中には「ギフォード議員は銃規制に反対し、不法移民の取り締まり強化を唱えていたことでも知られている云々」とか、「ギフォード議員は民主党所属ではあるが、いわゆるリベラルではなく、市民の銃所持権や違法移民取り締まりといった比較的保守的政策を支持している。云々」などと、あたかもそれが客観的事実のように伝えているものもあるが、それではなぜこのようなテロをうけたのか、要するに、これらの発言は今回の事件は共和党、Tea Partyとはまったく無関係な者の単なる精神に支障をきたした者の犯行と言いたいらしい。少なくともそのような方向に持っていこうとする意図が見える。

 実際、ギフォード議員は共和党支持者、tea party支持者からポスターをはがされたりかなりの妨害を受けていた上に、tea party支持者が推す共和党候補を僅差で抑えたという経緯がある。さらに、アリゾナ州はすきあらば議員を暗殺しようとする人が数多くいる土地柄でもあるという。そうしたことから孤軍奮闘する彼女の姿は浮かび上げてはくるが、先ほどのツイッター、ブログの主張からはかけ離れてくる、もしその主張の通りなら他のすべての共和党員、tea partyの主張ともほぼ同一で孤立も、狙われる必要もないからである。それでも狙われるとするなら、反オバマ路線の同一線上にある人種問題が絡んでくる。因みに、彼女の夫はパイロットで海軍大佐、現在NASAの宇宙飛行士であるという。

 彼女がいる病院には市民がろうそくを持って集まり賛美歌を歌っているという。アメリカの「良心」とも言える彼女の回復を祈りたい。

 

※Tea Party(ティパーティ運動)

2009年からアメリカ合衆国で始まった保守派の政治運動である。オバマ大統領就任後に始まったことから反オバマ運動の側面も持つ。2010年の中間選挙で共和党躍進の原動力ともなったといわれている。「保守派(共和党非主流派)の草の根運動」の代名詞となっているともいわれるが、特に中心となる明確な理念、思想があるわけではなくかなりばらつきがある。反オバマということからもつながり得る「人種差別問題」、彼らは「白人優位主義者」と言われることを否定しているようだが、「集会、集会参加者の中には弁護のしようのない人種差別が見られたのは事実である」というのも頷ける。これは骨格となり得る理念、思想のない各自勝手な思い込みで集合している「集票マシン化」した反動勢力の集団である以上避けられないことであろう。何が起こっても不思議ではないが、こうした動きに距離を置いている人々の共感を得られるかどうかまったく不明。tea party のメンバーにしてみれば、ガブリエル議員のテロ事件で反tea party感情が高まることだけは避けたいところであろう。

 しかし、その狂信的ともいえる扇動的行為がもたらしたテロに対してはもはや釈明の余地はない。その責任は否応無く取らざるを得ないし、距離を置く「中間層」はこの事件で確実にに離れるだろう。また、このテロに対する世界的評価も同様であろう。誰が見ても、自国の民主主義を崩壊させるようなテロの扇動を平然と行っておいて、「民主主義国家」、「自由の国、アメリカ」はないと思うのは当然である。世界的視点からも、これではテロを断ずる資格なしと見えるだろう。この「tea party」の行く末、限界はもう見えている。この「共和党の突撃隊」は共和党によって何らかの形で切られるだろう。

 

※2002年 10月28日 アリゾナ大学構内で女性教授3人が射殺された。

 

                                                                                                                 2011 1/11、1/13 1部加筆

 

 

                                                                                               


105.テレビ報道の嘘と誘導


 もう今更マスコミの欺瞞構造とファッショ化した検察については言うつもりもない。それらについてはジャーナリストの魚住昭、田中良紹なども具体的に指摘しているところでもある。しかし、性懲りもなく巧妙に繰り返されているその様を見ていると、つい何度でも言いたくなってしまうと言うより上下左右壁面に攻められて精神的息苦しさを感じるのである。それらを無視しようと思えばできないこともないが、この俗世間に身を置いている限りその息苦しさは如何ともし難いものがある。彼らにいくら問いただしたところでそれが組織である以上、たとえ非を認めたとしても急停止も、方向転換もできない。彼ら自身も余程の馬鹿でない限り、その凋落を肌で感じているだろうが、それでも隙あらば非を訴える者を単なる視点の相違程度の領域に留め、自らの立場をさらに強固なものにすべく保身に全身全霊を費やさざるを得ないのが現状であろう。

 そのような負のスパイラル的状況の中で、彼らはまた蠢動を開始した。もちろん舞台は政治であるが、私の習い性となってしまった演出者的視点で観ているとあまりも見え透いた安手の構成・演出に腹立たしさがこみ上げてくる。こんな三文芝居をいつまで続ける気なのかと思うが、そんな三文芝居を営々と今まで作り続けてきたのがテレビを中心としたマスメディアである。

 はっきり言えば、この程度の「演出」、「切り取り」で納得してしまう、または反応してしまう者達とはやはり愚かである。その愚かさ具合を充分知り尽くしてやっている方はさらに罪があるのは確かで、それは「認知症」の人間を「認知症」と認定せず弄んでいるようなものである。

 最近、よくテレビに画像に出てくる「政治家」などは、<官僚機構+マスメディア>によってキャスティングされた彼らにとって一番都合のいい人間と言うほどの意味でしかなく、すなわち彼らの傀儡ということである。今、彼らが何を執拗に取り上げるかを見れば<官僚機構+マスメディア>のシナリオは明確になる。

 しかし、既得権益を死守したい気持ちもよく分かる。せっかく築いてきた「おいしい部分」を壊されてなるものかと思うのは聖人でない限り当然のことであろう。既得権益に限らず、当初より成立自体に内部矛盾を内包しているものは、そうでないものが果たして歴史的に存在したかどうか思い当たらないが、その矛盾がある時から複合的要因で増殖し始めていつの間にやら手の付けられぬ末期症状となって本体そのものが崩壊して行くということは言ってみればよくあることでもある。しかし、その期に及んでさらに瓦解寸前のものを建て直し、維持させようとすることは、虚偽、デマゴーグも厭わなくなる方向に進むざるを得なくなる。それはその渦中の者がとても個的に止められる作業ではない。糊塗、糊塗の連続、でっち上げは日常茶飯事となる。もし、そこでテレビを観る側に「テレビには正しい報道は存在しない、それは不可能なことである。」したがって、飽くまでひとつの報道はひとつの見解として読み解くという認識が成り立っていなければ、それらの報道の虚偽には弱者を騙してその保険金を騙し取るに等しい罪深さがある。

 現状の画一的な報道内容の虚偽は、おおよそ報道の自由などとは懸け離れた統制であろう。明らかに民主主義国家の報道ではあり得ないことだけは事実である。もしそれが統制ではないというのなら自由な報道のあり方について再度明解な釈明が必要であろう。今、改めて「正しい報道」をせよとは言わない、「報道の自由」をきちんと実践しなさいと言わざるを得ない状況にあることだけは確かなのである。

 深いため息ですべてを収めたいとは思うが、なかなか儘ならぬのが世の常か。

                                                   2011 1/10   


104.折に触れて・・・


 折に触れて、書き連ねて、はや1年半。

 私はジャーナリストでもなく、特に社会面に関してはその時々に感じたままを誰に気兼ねすることもなく自由に書いてきたつもりであるが、たまたま検証資料として取り寄せた書籍の中に、田中良詔氏の2005年に出版された書籍があった。それは、事実に即してジャーナリストの視点で明解に論じられた内容の本であった。その中で、この間私が書いてきたことと著者が収斂させる方向が、期せずして符合していることを確認できたことは大いに参考になった。そして、このようなジャーナリストがまだ存在していることにほっとする思いがあった。もちろん、他にも真にジャーナリストと呼びうる人々はいるし、実際に確認もされている。

 しかし、このメディアの「イカサマ」について指摘した本が書かれたのは数年前になるが、いまだにまんまとその手に乗る人々とは一体何者なのか?やはり見れども見えずか。

 

                                                     2011  1/7


103. 改めて「視聴率」とは?「世論調査」とは?


 日本の視聴率調査は、1962年に設立したビデオリサーチという会社が「独占的に」行っている業務である。3種類の調査方法があるが、「無作為」に抽出した家庭に視聴覚集計専用の機械をTV側に設置し、その家庭が発信するデータを集計して「割り出した」数値である。調査員によって行われる場合もあるようだが「無作為」なので具体的には不明。少なくとも私の周辺では聞いたこともない。この「無作為」というのはクセモノでどうとでも言えるのである。それについては、最近でも「無作為」で選ばれた者達の検察審議会について問題になったことがある。

 そして、視聴率調査を「独占的」に行うこの会社の相関関係、利害関係は以下のとおり。

この会社の主な株主

株式会社TBS、日本テレビ放送網株式会社、株式会社フジ・メディア・ホールディングス、株式会社テレビ朝日、株式会社テレビ東京、株式会社毎日放送、読売テレビ放送株式会社、株式会社電通、株式会社博報堂、etc.

 

 以上のことは、世論調査についても敷衍できる。アメリカには「複数」の世論調査の専門会社があり、その正確さに会社の信用のすべてをかけて行っている。このように専門の世論調査会社が「複数存在」する国と、わが国のような新聞社、テレビ局のやっつけ仕事のような世論調査とは根本的にその精度が違うのである、精度が違うだけではない、いくらでも捏造できるのである。もともと「わが国の新聞とテレビには捏造報道の伝統がある」と言われているくらいである(その例は枚挙に暇がない)。また、新聞社の世論調査担当者が「新聞社の世論調査で分かるのはトレンドだけ」と言っていることからも、正確な世論などが反映されていないことは誰の眼にも明らかなことなのである。

 頻繁に行われる世論調査は、その頻度に比例して精度は落ちてくるのが実情である。現在は一頃の10分1の予算で下請けにやらせている上に、その頻度が増せばどういうことになるか、当然最低必要な「金」も出ない「やっつけ仕事」は度を越してくる。その作業は固定電話にしかかけられないシステムでの電話応対のみである。手っ取り早く「当局」が必要とする回答だけを導き出すのは彼らにとってはお手のもの、それが中心の世論調査と言ってもよいのである。

 やはり日本の大手マスメディアにはジャーナリズムは存在しないと言ってよいだろう。それは、言ってみれば、「既得権益側」と「政府」、もう少し正確に言えば、アメリカの権力機構の下でいつの間にかその中枢に位置するようになった「検察」、そして「既得権益擁護の政府」、それらの「広報機関」とも言えるようなものである。そう思って見れば逆によくものが見えてくる。彼らが執拗に強調することで、何にが彼らにとって都合の悪いことなのか、何をすり替えようとしているのかが分かり、、繰り返し流す映像で彼らが何をアピールし、何を排除しようとしているのかが知れる。微妙に数値を置き換える作業、さり気なく削除している箇所などもすべてが同様の手口で、彼らが提示するその逆の部分に、彼らが隠したい都合の悪い、「隠された真実」が存在する。それこそが問題の中核で、それが彼らには一番の脅威なのである。それを丁寧に吟味すれば、金と権力を死守しようとする彼らがどこに持って行こうとしているのかが見えてくる。しかし、権力と金まみれの者達が「政治と金」というお題目を芸もなく唱え続けて一体何をしようというのか、何を排除しようとしているのか。それはもはや小沢一郎一個人の問題では収まらない、民主主義の要の部分を排除しようとしているのである。これでは政治は単なる愚者達の危険なお「マツリ」騒ぎである。実に悲惨な滑稽さである。彼らに共通して言えることことは国のこと、国民のことなどはまったく眼中になく、最大の関心事は彼等自身にとって都合のいい国の在り様と国民統制である。そのことをゆめゆめ忘れてはならない。

                                                      2011  1/4 

 


102. 「笑えて、悲しくて、感動させる」? 


 モーパッサンではないが、大方の読者、観客というものは「慰めてくれ」、「楽しませてくれ」、「笑わせてくれ」、「悲しませてくれ」、「感動させてくれ」などと要求するものである。しかし、少数の選ばれし者達だけが「あなたの気質に応じて、一番よくあなたに適している表現の仕方で、何か美しいものを作ってください。」と要求する。そして、「創り手」はそれを試みて成功するか失敗するか、ただそれだけのことに過ぎないが、その成否についても大方の読者や観客と選り抜きの者達とは反応が同質ではない。

 あらゆる文化的営為の「大衆化路線」、言ってみれば大方の人々の要求を取り込んだ方向というものはどちらにしても「内容」そのものを希薄にさせることを免れ得ない。そして、それはやがて形骸化の道を歩み、文化的営為そのものに堕落を招き寄せることになる。少なくとも、その堕落をさらに増長させる方向で加担してしまうか否かで、その「作り手」の「真価」も問われることになろう。

 しかしまあ、テレビに出ている「タレント」集団、「怪物ランド」あれは一体何なのか、無芸無能、意味不明の楽屋落ちの連発、いまだにその実体がよくつかめない「落伍者」の群れである。テレビは互助会、救済センターなのかと思えてしまうが、無理やり見せられる方はたまったものではない。

  しかし、そのようなテレビ番組の中でも極僅かではあるが企画の面白さなどが見られるものもある。いつだったか海外のCMをいくつか紹介していたが、そのセンスの良さ、面白さ、エネルギーの強さは日本のCMとは比較にならない。そのCMの格差がそのまま現在の世界と日本の格差と言ってもよいくらいである。決して日本人にセンスがない訳ではない。以前はあったなどとも敢えて言うつもりはない。ただ、いくら元気を装っても日本のすべてが衰微しているのである。残念ながらそれが否定し難い実情でもあろう。

 

                                                        2011    1/3


101. 4000年前のブログ


 ー今日は誰に話しかけたらよいのかー

 「今日は誰に話しかけたらよいのか。兄弟はわるい。今日の友人たちは愛らしくない。今日は誰に話しかけたらよいのか。人々は貪欲だ。誰もかれもが隣人のものをぬすむ。今日は誰に話しかけたらよいのか。優しさは消えうせた。すべての人々は傲慢だ。今日は誰に話しかけたらよいのか。満足げな顔色をしているものは悪人で、善人はどこでも相手にされない。今日は誰に話しかけたらよいのか。何人も過去のことを忘れ、善をほどこした人に善をむくいようとするものもいない。今日は誰に話しかけたらよいのか。人々の顔は見えない。誰もが面をふせて、同胞をまともに見ようともしない」

 これは、実は4000年以上も前に「生にあきたものの自己の心との対話」と題してパピルス(葦の茎から製した一種の紙)に記されていたものである。しかし、何気なくブログに書き込まれていたらそのまま現在のブログとしておさまってしまう「内容」である。

                                                 

                                                          2011  1/2    


100.  2011年元旦 年賀状


  私は、元旦から年賀状を書く。

毎年、賀状を戴く方の中に、ある著名な声優さんがいるが、

その賀状の中に、

「長らえて さても傘寿の 綱渡り」とあった。

もうそのようなお年になられたのかと思うと、星霜の過ぎ行く様にただ驚くばかりである。

私は、その賀状に対して傘寿を祝いながら、「初日の出 傘寿米寿と 綱渡り」 と返した。

 「綱渡り」とはN氏らしい表現で、其処から伝わってくるお元気な様子を思い浮かべて思わず微笑んでしまった。しかし、私には今や、すべての老若男女が否応なく「綱渡り」を強いられていると思えてならないのである。もちろん、生きることこと自体が本来「綱渡り」であることは確かであるが、そのような認識が個的に充分成り立っていれば「足もと」を「照顧」することで、ある程度のバランスを維持できるのではないかと思われるが、しかし、実情は半ば強引に訳も分からず後ろから押し出されるように綱の上に立たされ、「足もと」など見る間もなく足を踏み外し、落下して行く者達があまりにも多過ぎるということである。それでは一体「誰が」あたかも安全な方向であるかのごとくの錯覚を人々に起こさせ「綱の上に」導き、押し出しているのか、それをじっくりと冷静に見極めることも同時に必要なのではないかと思っている。

 思いつくままのたとえで言えば、少子高齢化社会、人口の減少などは今更驚くべき問題でもあるまい。当然の帰結で、それは取りも直さず、衰退の証でもある。この国の施政はすべに渡って常に「渇に臨みて井を穿つ」という「後手施政」なのである。どうしてそうなるか今更言うまでもないことであろう。もしそれが分からないというのであればそれはとても「市民」などとは言えない、単なる訳の分からぬ「人々」ということになってしまう。

 私も幸運にも「綱渡り」を始めて久しいが、やはり普通の感覚、判断力を持っている人間であれば、かくのごとき祖国に身を捨つる甲斐ありやと思うのが至極当然であろうと思われる。正確に言えば、それは祖国ではない施政そのものである。

 

※脚下照顧 

足もとを見よという意味で、いたずらに外に向かって「真理」を追い求めることをせず、まず自己自身を明解にさせよ、明らかにせよという程の意味である。

                                                2011年 元旦


99. 12月 劇作家ピール・ノットと会う


 彼は少々疲れ気味であったが、すぐにいつもの笑顔を見せた。最近のフランスの演劇事情などについても話しながら、食事をしているといつしかパリにいる時のピエール・ノットに戻っていた。彼の著作の電子書籍化なども含め話を進めていると、あなたは舞台の演出をやめたのかと聞くので、私は、やめた訳ではないがよりよい作品を創るために妥協をしたくないだけであると応えた。そして、来年、日本で演出する自分の芝居を観に来るかと聞くので、私は、あなたの演出はパリで観ているので観に行かないかもしれないということを伝えた。他にも理由があることは彼も知っているので、それ以上のことは言わなかった。

 その時、私は30年程前のニコラ・バタイユが日本人俳優を使った舞台を思い返していた。バタイユには独特のメソードがあったが、それでも日本人俳優は感情の程よい制御が出来ず、思ったようなテンポも出ず、シャープさ、滑らかさにおいてフランスの舞台とは質的に「別物」になっていた。メソードが確立されていて、稽古日数も確保されていてもその調子である。もし「メソード」が共通認識としてない場合、フランス流「振り付け」に対してどこまで日本人俳優が内的に埋められるのか、それをするにはやはり創造的集団の「共通言語」としての「メソード」が徹底されていなくてはならないであろう。そうでない限り、それはばらばらな単なる質の悪いギィニョール(人形)芝居に終わってしまう可能性がある。もしそうしたフランス流「振り付け」の演出の方向でやるのであれば、私にはまず日本人俳優の「作られた」顔の表情は必要ないので、仮面劇となるだろう。

 

 いつパリに来るのかとピエールが言う。できれば来年と言ったが日取りは決めていない。

翌日、ピエールからメールが来た。

 Vos présences  votre générosité  votre attention  vos sourires font d’un parisien perdu dans Tokyo

l’un des hommes les plus heureux  sur la terre.

 

東京では失われてしまったパリジャンとは私のことか・・・ 

ありがとう ピエール・ノット

またパリで会いましょう、マリーによろしく。

                                                  2010 12/29    

 

 


98. 2010年度報道の功労賞


〇「週間朝日」

 検察報道に始まり終始一貫、圧力に屈することなく本来のジャーナリスト精神の在り方を示すと同時に、誠実な姿勢で問題提起をし続けた。

〇「日刊ゲンダイ」

「小沢問題」に関係する様々な政治情勢を日々的確に、具体的に国民の側に立って提示し続けた。

 残念ながら、それ以外のすべての報道は横並び一列で言論統制下の内容と変わらず、ジャーナリズムなどとはとても言えない代物であった。そのほとんどが論を重ねれば重ねるほど胡散臭く、見るべきものはなかった。ジャーナリズムは因循姑息な方法では成り立ち得えない、常に検証されてしかるべきものであろう。

 

                                                2010  12/28


97.悲劇の女王 ブエナビスタ


 有馬記念で2位となったが、やはり誰が見てもブエナビスタは最強馬であろう。あの位置取りから追い上げて同着と言ってもよい写真判定の2位である。騎手も前回の「日本の判定基準」を気にしてか、誰にも文句の言えない位置から追い上げようとしたのであろう。それでも勝てる馬だという思いがあったのは確かである。それはよく分かるが、「慎重」になり過ぎた。しかし、それは騎手にも馬にも責任はない。因みに今回の有馬記念は1位2位 3位まで外国人騎手である。

 前回のジャパンカップのブエナビスタ降着については、いくらもっともらしいことを言われても多くの競馬ファンには「すっきり」しないものが残ったのは事実である。そして、今回の写真判定である。今回については前回ほどの問題はなかったにせよ、前回のことが尾を引いているのは明らかなことで、このようなことは様々な形で波及する。現実的には、経済効果にも大きな影響が出てくるだろうし、それだけではないブエナビスタを悲劇の女王に「してしまった」ことは多くの人々の意識面に暗い影を落とし、マイナス方向のベクトルが強くなるのは否めないだろう。

 それにしても、あの状態でペルーサを4位につける安藤勝己騎手はやはりすごいと私の競馬好きの友人は言っていた。そして、彼だけが唯一世界に通用する頭と腕を持っている日本人騎手であるとも言っていた。

 

                                                             2010 12/26


96.心地よい符合と先取り


  今年1年分の私のブログなど(原稿用紙500枚前後)を読み返してみて、私が、ジャーナリスト、評論家、作家、学者として認める人々と見解が符合していたこと、むしろ2,3週間、場合によっては1か月、1年程度も先取りしていた見解もあったことを再確認できたことは、少なくとも今年1年、自分自身はまだ「死んではいなかった」ということの「証」にもなって心地よかった。

 私が先取りして「比較的自由に」書けるのは、「自由」な立場にいるからに過ぎないが、「奇異でないようなものの見方というものは、虚偽である。」ということを今一度かみ締める勇気が必要であろう。

                                                2010 12/25    


95.師走


師走、かくあることぞ有り難き

月影に目を移せば

傍らに猫をりしこと忘れぬ

・・・・・

つくづく人の世を眺むる間に

命絶えぬるとも

そをもてよしとす。

 

                                        2010年師走 某日 寒き夜半に記す


94. 三文役者と政治屋と


  両者は血縁関係があるのではないかと思える程実に良く似ている。いっぱしの口をきくがそれ程の内容もなく、状況次第でいかようにも変節する。簡単に言えば信用できない存在である。自分の都合の良いように自分のことは棚に上げ、でっち上げ脚色、解釈する。これだけ臆面もなくよくできるものであると思うが、それが彼らの彼らたる所以なのであろう。もはや彼らにはスタンス、理念などは概念としも存在していないのである。彼らに巻き込まれないように距離を置いていても、そのあまりの数の多さに回避するのが困難な状態である。まともに「政治家」と言い得る者が「天然記念物的存在」になっている今、「役者」などと言い得る者に出会うことも「奇跡」に近くなっている。本来、「役者」も「政治家」も、「詐欺師」ではない。もし、天才的詐欺師が「役者」として、または「政治家」として存在し得るなら、それは「狂気」としてしか存在しない。それに乗せられる者も「現実的」ではないという意味ではやはり狂っているのである。

 まともな「政治家」、「役者」が成り立ち得る「機」がこのような状況の中では「醸造」されにくいのかもしれない。それに加えて下降一途の大手マスメディア、芸能関係ならまだしも報道関係で内容の歪曲、増幅、矮小化はお手のものであっては困る、と言うよりそれは犯罪的行為でもあろう。視聴率、発行部数を上げることに躍起となっているのだろうが、だからますます衰退すると言うことを思い知った方がいい。この先いくら既得権益にしがみついたとしても、やがては崩壊しざるを得ないのである。既得権益にしがみつくこと自体が世界の大きな「うねり」に逆らっていることになるからである。今言えるのは、せいぜいその「うねり」の目算だけでも誤らないでほしいとしか言えない。それ程、閉塞的で悲惨な状況である。

 そして、ここにきて裸眼で観られる3Dテレビの登場である。技術開発者には悪いが、そのようなテレビで観る内容のものが果たしてテレビで放映されているのかということである。おそらくDVDなどの外部ソフト専用のテレビになるのであろう。もしこのようなテレビで今あるテレビ番組(内容)を毎日見せられたら発狂する者が現れても不思議ではない。ニュース報道など見せられたら尚更であろう、思わず手が出たり、吐き気をもよおすものも現れるのではないかと思われる。私のところでは、転居時に買った薄いテレビが放置されたまま、黒板のように埃をかぶっている。

 4Dテレビが出たら買うつもりであるが、その必要もあるまい、その頃には私はもはや存在しない。

 

                                                      2010 12/23

 

                                                   


93. あまりの月の美しさに


 佇んでいると、風が体を通り過ぎて行く

言の葉も軽やかに私の中を流れて往く

Le vent  se lève ・・・   il faut tenter de vivre ・・・・・

訳したくはない。

風が私の中を通り過ぎて往く・・・ああ、生きなくては・・・・・

 

                                              2010 12/22  月夜に

 


92. 寂しき街


 私の住んでいる周辺の商店街も例年になく閑散としている。以前はもっと活気があったがその面影すらない。師走らしき音も光もない。2か月振りに会った人も、そのあまりの変わりように駅を間違えたかと思いましたと言っていたが、その人自身も2か月程で随分と痩せてしまった。一人で2,3人分をこなさなくてはならず、仕事がかなりハードになっているらしい。部下を自殺させてしまったと悩んでいた人も今はもういない。

 帰宅時には、駅の周辺から商店街に通じるどの通りも足早に通り過ぎる人ばかりであるが、その人通りも以前からすると少なくなってきている。商店街を離れて住宅街の方に行くと、そこでは12月らしく点滅球が広範囲に渡って飾り付けられているところがまだ何箇所かはある。夜半ともなると、月影の中で音もなく明滅する飾り付けだけが其処彼処で浮いて見える。

 寂しき街は貧しき街、変容を余儀なくされていることだけは確かであろう。再生するのか滅び行くのか、それすら定かではないが、このままでは滅び去るより仕方あるまい。

 

                                                     2010  12/21

 


91.スタジオ パーティー


 12月18日、スタジオパティー(スタジオ・エルアイレ)を行った。例年行っているものではあるが、一般的な「忘年会」ではない。ここのところ毎年パワーアップされてくるように感じる。各自が持ち寄ったものを食べ、語り、飲み、踊る(フラメンコ)パーティーであるが、その一つ一つが実に凝っている。楽しめる。2時間の予定がいつの間にか4時間になってしまった。今年も終わろうとしているが、このような「場」の高揚感を味わえる瞬間とは何ものにも換え難いものがある。こうした事を通して1年を締めくくることができることは幸いであると思っている。今の日本の事情を考えると尚更である。

 

 帰宅後、メールに私の舞台にも出演した役者の急逝を伝えるメッセージが入っていた。3週間程前、彼の元気な姿を舞台上で観たばかりである。12月17日朝、死去とあった。何があったか分からぬが、つくづく一期一会、老少不定を感じる。

 

                                                    2010 12/19


90. 過去を忘れる必要はない  (再)


 忘れようとするからまた愚かなことを繰り返すのである。過去を忘れようとすればするほど過去は追って来る。そして、過去は「文脈」を離れて増幅され、自分を追い越す。そのような事態は今、自分自身が前に向かっていない、閉塞状態であることの証でしかない。さらに一歩を歩もうとしている者の前では、見るも「無残な」過去も、「栄光」の過去もともに徐々に溶解し、分解され再構成されてくる。それでも「過去の声」は聞こえるが、もうすでに聞こえ方が違う。そこでは過去の「文脈」からもぎ取られた「単語」だけが勝手に独り歩きをすることも、それによって自らが呪縛されることもない。

 師走の夜、ジングルベルではなく、どこからともなく「過去なんて忘れなよ」の歌詞が流れてきたのでつい・・・

 

                                                           2010    12/17

 



※90の文章途中から78まで、同一箇所がどういう訳か消えてしまうので現在調査中。この箇所の文章消失は2度目である。以下が消失箇所。原版はあるのでいつでも再生可能。<随時再生加筆>

<調査結果>一項目の許容量を超えたため同一個所が消失。



89. 夏草や兵どもが糞袴(くそばかま)    (再)          2010 12/16


 

 「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句を卑しめるつもりも、茶化すつもりもない。ただ、戦そのものはどのような「正義」があろうともそのようなことはお構えなしに凄惨を極めるものである。「凄惨を極める」などというと、どこかその凄まじさだけが強調されるが、それだけではその戦場の生々しさを伝えることはできない。実際、私はそのような映像、映画を観たことがない。もちろん戦場に居合わせてこともないが、どれもこれもきれい過ぎるのである。戦場の生き地獄を体験した兵士は、戦場には「正義」はない、生き死にを懸けた、ただの殺し合いだと言う。そして、生還した今、精神に支障をきたしている。それが普通の「人間」であろう。その通りであろうと思う。戦場には「人間」の「思い」など微塵もない。あるのは果てしのない憎悪と殺し合いだけである。その場で戦う兵どもに夢などはない、あるのは目前の生き死にだけである。国取りに果てしない欲望をたぎらせているのは、高みにいる極一部の者達だけであろう。

 糞袴(くそばかま)とは、歴史書にも出てくる生々しい表現である。敗走する兵が恐怖のあまり糞を袴の間から垂れ流しながら逃げる様を言ったものである。戦闘とは常にいつ終わるかも分からぬ24時間の戦闘である。自分の都合のいい時だけ戦うことなどできない。食事、睡眠、用足し、そんなことなどとは無関係である。奇襲、不意打ちは日常茶飯事、どんな武者であろうが、24時間隙なく構えていることなどできることではないが、それを余儀なくさせられるのが戦場である。出陣する前に、まさか自分が糞袴で死に行くとは想像だにしないだろう。しかし、戦場ではそれは誰にでも起こり得ることなのである。

 「夢の跡」とは、野望と憎悪と糞袴の跡でもある。そこにロマンはない。

                                                   2010  12/16


88.<物語り>を拒絶する    (再)                                               2010  12/15


  ある演劇の案内に、<さあ、人生に物語を取り戻そう!>というコピーがあったが、「誰一人、生活が筋のある物語に変わってしまうことの不幸に気がつかないらしい」という阿部公房の悲痛な叫びが甦ってきた。「残されているのは、物語という檻の中を、熊のように往ったり来たりすることだけである。」

 「どこかの馬鹿が、またせっせと小説などを書いている。とんでもない話だ。息をひそめた囁きや。しのび足が求めているものは、むしろ物語から人生をとりもどすための処方箋・・・」そして、「いっそ、この物語という檻の悲惨さを、ぶちまけてしまったらどうだろう。」と思うのは私も同様、この一見平易な演劇のコピーを素直に受け取れないのは、見飽きた<檻>にまた戻されるのではないかという感覚と、それでは一体どのような<物語>を取り戻せるというのか、という反発が同時に起こった所為だろう。

 このコピーの上には、さらに<人生に物語を描くのが困難な現代こそ・・・>とあった。果たしてそうなのか?もうすでに人生に貧相な<物語>を作り上げてしまっていて、敢えて自らそこから身動きできなくしてしまっているのではないか。そうであるなら、そのような人々が求める<物語>とはさらに<心地よく>自身を縛る<筋>であろう。それはやはり不幸なことである。

                                                  2010  12/15

 


<以下87ー78は許容量オバーの為ーある日、その時ー(4)に移動>


87.ツイッターの無意味さ                                                 2010   12/14


 86. ワンワードポリティクスから阿Qポリティクス         2010  12/13


 85. 怪人鉄面皮                                                              2010  12/10



84. 奇妙な風景                                                                2010 12/8



83. 平田オリザと鈴木忠志の対談                                  2010 12/6



82.蘇東坡の「朱竹」                    2010 12/5



81.Wikileaks(ウィキリークス)は本来のジャーナリストの姿      2010 12/1



80.世界に通用しない日本の「ジャッジ」                 2010   11/29



79.「戒厳令の夜」                              2010   11/22



78.安直さに潜む危うさ                           2010  11/21


         

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