〇しかし、「最高責任者」が責任を取らない。本当に奇怪な国の仲間入りである。これもまた一事が万事で社会全般に行き渡るであろう、すでに行き渡っているのかもしれぬが、しかしこれで「倫理だ」、「道徳だ」、「国民を守る」などと言って誰が納得するというのか?「何が起こっても」この調子であることを肝に銘じるべきであろう。この期に及んで「責任を感じている」などと言ってみても示しがつくはずがない。「謝罪」、「責任を感じている」で済むのならやったもの勝ち「法」はいらない。
3/29
〇「佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問」、その内容たるや案の定というところである。これで民主主義国家の根幹を揺るがす平成最大の「事件」は幕が引かれるどころか、逆に幕開けとなった。やがて拡大、深化することであろう。万が一そうでないなら全体主義国家の幕開けである。また、その危機感がないのならもうすでに全体主義国家への傾斜の中に頭がかすめ取られている。
丸川珠代と佐川宣寿のやりとり、あまりにも見え見えで三流テレビドラマでもここまではやらないというレベル、国会でよく恥ずかしげもなくこんななめ切ったことができるものだとオツムの構造を疑っている。これもまた十八番の「印象操作」のつもりか、劇場であれば「金かえせ!」の声、稽古場であれば灰皿が数個飛んでくるところである。
サルも驚くサル芝居、三文芝居どころか一文芝居で国民を欺くとはふていヤカラと言うべきか、これで完全に馬脚を露した。司法も当てにならなければ国民が裁くだけのこと。それが民主主義というものである。彼らの取り繕い方とは裏腹にとことん国民を馬鹿にしているということがよくわかる。
3/27-29
〇敢えて言うまでもなく、民主主義というのは国民各自が作っていくという気概なしでは成り立ちようがないのである。是々非々などどこ吹く風の快刀乱麻、即断即決に心地よさを感じ始めたら民主主義の危険領域である。「ねじれ」もよし、「ころころ変わるも」よし、それが民主主義であるという気概が国民の側になければすぐに全体主義国家の誕生である。
3/25
〇シンゾウ・アベもそろそろトランプに解任されるか。そんな「悪しき冗談」のようなことがごく自然に思われてしまうご時世だから薄気味悪くもあり、気持ちの落ち着く暇もない。世間ではいつの間にか「アベ一強」などと為す術もないかのごとく、一方ではこれ幸いとばかりに痴れ者の乱痴気騒ぎが続いていたが、因果応報、自業自得の理はそのまま現れるものである。現在の経緯については何の不思議もない。要するに、邪道は邪道、一時しのぎはできても剥落は避けられない。
〇言ってみれば、この政権は日本会議と創価学会という二つのカルトの連合体でもある。「〇〇懇談会」という軽いノリでお綺麗な題目を拠り所にしていくつもの組織すなわち単なる集票マシーンを増殖させているのである。彼らの言う「地元住民」、「市民」とは軽重問わずカルトの信者を指しているので「一般市民」の心情とは乖離しざるを得ないということになる。この「領域」では、信じる者も救われないのである。
このカルトの連合体が憲法をいじっているのであるからその目論見は明白。
※因みに、本来の仏教哲学のようなものは別であり、また神道は飽くまで民族宗教で「コア」な部分が希薄なので権力とはつながりやすいものである。平田篤胤などはその典型。
※これについてはまた長くなるのでここではさける。(このことについては以前このサイトでも取り上げている)
3/22
〇「感情の劣化」とは、すなわち知性の劣化である。知性と感性は不即不離、知性というものの中にすでに感性は含まれている。したがって、感じ方もその知性によって大きく違ってくる。「自分の」感性を手放しで信用して、感情をのほうずの状態にしておけば「人間」そのものの衰退、劣化は避けられない。要するに、「感情の劣化」とは「人間」として極めてしだらな縮小で、拡大・展開に向かうことは決してないということである。
3/18
「人々」のこのような傾向、状態を誰がほくそえんでいるか、敢えて言うまでもないこと。
〇まともに責任も取れない「トップ」といわれている者たち、何をやっても他人事でいられる「指導者」たちに、こんな者たちに「導かれて」どこに行く気なのか?少なくとも、99%の者たちのことなど全く眼中にないことだけは確かなのである。いかに人々を利用するか、騙すかが最大の関心事でであって、辛うじて出てくるものといえば画餅と綺麗事以外は出しようにも何もない。何をしても責任転嫁、だから異様に軽いのである。彼らは人を欺くためなら事も無げに何でもするだろう。そして、こういう者に限って「道徳」、「倫理」などという言葉をしかつめらしくよく遣うものである。
3/16
〇後始末もできないものに手を出すな!まるで悪ガキを諭すような気持になるというレベルである。言うまでもなく原発である。現在もなお収束のめども立たず、事故継続中で何兆円かけてもその効果のほどは不明なのである。放射性物質の半減期なども人間の「浅知恵」の埒外にあることを考えれば汚染土壌の拡大は避けられないであろう。この「悪ガキ」は自分の所でも満足に処理をできないものを海外で売りつけようとしたのである。さらには再稼働である。今度事故が起これば、もはや手の施しようがあるまい。これは悪魔に身も心も捧げた者の所業と言わざるを得ない。これこそが「美しい日本」を破壊する張本人なのである。
議会制民主主義の根幹を冒涜、蹂躙し、それこそ「美しい日本」をことごとく破壊しようとした者たち、公文書偽造などで済むと思っては困る。共謀罪こそ相応しいであろう。彼らのヘラヘラとした弁解、説明、謝罪は不要、やったことがすべてである。
ギロチンは自ら作ったギロチンで首を落とされた。
3/14
〇しかし、これほど破廉恥な政権も前代未聞である。全く責任の取れない、取る気もない者がその場しのぎ説明にもなっていないことを繰り返す。それもごまかしと虚偽ばかりである。あったこともないことにする、こんなことが許されるのなら法律も憲法もいらないだろう。彼らが「憲法論議」、「改憲」などとはとんでもないこと、100年早い。
公文書偽造どころか彼らが共謀罪の第1号となることも考え得ることである。どちらにしても民主政治の根幹にかかわる問題で「謝罪」、「努力」、「信頼回復」などということで済まされることではない。
3/12
〇テレビの中でも、TBS報道特集(土曜日5:30ー)などは見応えがある。金平茂紀、日下部正樹などのスタンスもいいし、問題のとらえ方も明確である。これからも大いに期待できるジャーナリストである。「政府広報官」、「お達者クラブ」ばかりで、ジャーナリストと言い得る者がほとんどいなくなっている現状ではなおさらである。
「あったこともないことにしてしまう、また、ないこともあったことにしてしまう」ことに対して果敢に立ち向かう者がいなくなってしまっては、すべては闇に閉ざされてしまい、たとえ「陽はまた昇った」としてもそこには未来に向けて育む価値あるものは何も誕生しないというのが現状である。危うい希望的観測にしがみつくことは身の破滅なのである。すでに日本の国土の一部(福島県の一部)は現在なお事故進行中で収束の見込みはまったく立たないということである。
3/10
〇テレビつければ、どこもかしこもヒステリックな笑いで満ち満ちている。「何でも笑わにゃ損、損」とばかりの取りつかれたような笑いである。これは「やば」である。騒々しいだけで何もないが、ダークサイドの引きつった嘲弄だけは見え隠れしている。すなわち、「思う壺」にはまっているのである。
〇「働き方改革」ではない。飽くまで「働かせ方改革」である。その実態を隠す手口は相変わらず安手で陳腐なのであるが、手を変え品を変え「ねずみ講」のごとく際限もなく繰り返される。よくもまあ飽きもせずやる方も、騙される方も。三流の詐欺師に騙され続ければ騙される方も三流であろう。
〇「公文書偽造」さもありなんである。創造力はないが単純作業を正確にこなすことは一流といわれる日本の官僚が誤字、訂正などあり得ないことと元官僚も言っている通りで、これは国家的犯罪と言われても仕方あるまい。やがて白黒ははっきりするはず。しかし、次から次へと、何度でも言うが、恥ずかしくないのか。その恥知らず具合は日本人離れしていると思われる。それが日本についてわかったような知ったようなことを言うものだから胸糞が悪くなるのである。
〇ある日、禅僧が「無の境地になると、鳥もとまる」などと得意げに言っていたが、それはじっとしていただけの話であろう。それでは「鳥がとまった」といつ「感じた」のか?明恵なども樹上坐禅をしているが、鳥がとまったことを「無の境地」と結び付けたか?なおいまだしの感しきりである。
3/3
〇狂っている、確かに狂っている、この政権はほんとうに狂っている。それだけは100%間違いない。そのことだけは歴史に残るであろう。「人間」のあらゆる領域から逸脱しているのである。倫理観の全く欠如した者たちの「言うこと」などにいちいちまともに耳を傾けている方が馬鹿をみるだけであるが、すべてが糊塗、ねつ造、すり替えの焼き増しとは。まともな神経の持ち主ならその様見て、「恥ずかしくないのかね?」と聞きたくなるのも当然であろう。
2/28ー3/1
〇羽生結弦と宇野昌磨選は日本の運動選手には珍しく自分の言葉で自分について語れる選手でもある。そこには媚びも、手垢のついたお仕着せの表現もない。
〇「裁量労働制の拡大」、すなわちブラック企業の拡大、合法化である。こんなものを簡単に通せば自ら自分の首に縄をかけるようなものである。後は縄を引っ張られても、足を引っ張られても何も言うことさえできなくなるのである。「自由な」強制労働収容所に入れられたようなものである。これで利するのは誰なのか、どこなのかということはわかり切ったこと。働く者たちはいいように使われるだけで決して一つとして利するものはない。時間と賃金の大泥棒の詐術、欺罔である。
2018 2/24