「ある日、その時」(66)7月29日ー

<掲載内容>

729.「科学的特性マップ」とは、すなわち「亡国マップ」730.最近、よくわかること 731.「内閣人事局」732.「承認欲求」ということ 733.史上最低の大統領と首相と 734.KKKの幹部の言うことと 735.「分断の時代」?736.自己顕示欲という痛々しい様相

                                  <複製・転載厳禁>



736.自己顕示欲という痛々しい様相


金の亡者、権力の亡者などもしかり、執念に取りつかれて亡者の領域まで行ってしまった者たちの動きは共通している。自己顕示欲なども度が過ぎて、自己顕示そのものが執念化してしまったのではないかと思われるような人物をよく見かけることがある。その言動のほとんどが自己顕示欲を根拠としているとしか思えない内容であることからもこの欲望の根の深さも推察できる。彼らは自己顕示欲そのものによって自己を喪失しているのである。したがって、その見方、感じ方も実のところ肥大化した自己顕示欲そのものよって変形、変質させられているのであるが、本人にあまり明確な意識はない。やがて四六時中本来の自己とは乖離した自己に振り回されることになり、自らの死すら自己顕示欲に奉仕させるところまでくると、もはや手の施しようがない。見ていても痛々しいものがあるが、詰まるところ自業自得なのである。前にも取り上げた「承認欲求」も自己顕示欲と相乗作用を起こしやすく、いつの間にかとんでもないところに「自己」は運ばれているものである。さらに厄介なのは大した内容でもない「こと」、「もの」に酔い痴れさえして、敢えて「急流」に飲み込まれて行くことである。

                             2017 8/25


735.「分断の時代」?


 なぜ「分断」なのか?なぜそのような言葉で括るのか、それで何か言い当ててつもりになっているとするなら根本的なスタンスを疑わざるを得ない。それはあたかも誰かにあるいは何者かに分断されているようなニュアンスさえ感じさせるが、それでは「分断」以前にどのような「統一」されたものがあったというのか。「分断」という言葉が、何か第三者的な、歴史の枠外で高みの見物をしているようなあり得ない「位置」を提示するから不適切なのである。「分断」ではない「対立」というべきなのである。今なお綿々と「対立」が続いているということに過ぎない。「分断の時代」などという言葉で曖昧に世界を括るのは危険でさえある。それは飽くまで「対立」なのである。それは常に「統合」を志向しざるを得ない「対立」でもある。そして、さらに高次の「統合」が求められるという展開の基本的常態の一様相であるに過ぎない。「分断の時代」などというはあまりにも皮相的でさらに世界情勢を曖昧化させる方向にしか役立たない極めて不明瞭な表現である。こんなことを言い出した者の頭の中が透けて見えるようだ。言葉を置き換えることでさらに物事が深化し、新たな展開につながるのならよいが、これはむしろ逆であろう。

                                2017 8/20


734.KKKの幹部の言うことと


米国で人種差別で問題を起こした白人至上主義集団KKKの幹部が、トランプ大統領が望んでいることをしているまでのことなどと言っていたが、確かにトランプは彼らを刺激、扇動するようなことを言っていた。これは安倍に対する籠池の言動、さらには障碍者施設で発生した大量殺傷事件の容疑者が殺害は国のための行為で、「安倍晋三様」に伝えてほしい旨が書かれたものを衆議院議長公邸に届けたということも彷彿とさせる。要するに、実質的に種をまいているのはトランプであり安倍なのである。元凶である彼らのその場限りの大衆受けする空疎なワードの連鎖にたやすく取り込まれるのは決まって浅薄な単細胞的な貧困層であるが、山師の類もまた多い。そして、彼らに取り込まれた者たちはいつしか「突撃隊」のような役割をすることで自らの存在理由を見出そうとするが、その結果次第、あるいは状況次第ではたやすく切り捨てられるのが常なのである。ツイッターなどを見ていてもその内容から貧困層のものであろうと思われるものはかなりある。その多くはやはり「突撃隊」予備軍のようなものである。

2017 8/15


733.史上最低の、大統領と首相と


 史上最低の、大統領と首相と、そして狂った北の窮鼠と。史上最低というのは史上最悪でもある。これだけ重なると何が起こっても不思議ではないが、トリガーを引けば、すなわち「ボタン」を押せばその時がすべての最期の始まりであることは確実である。「戦争は現地で起きる。大勢死ぬとしても向こうで死ぬ。こちら(米国)で死ぬわけではない」とトランプは言ったそうであるが、こういう見方は何も彼だけではなく基本的に彼らの中にあるといってもいい。ただし、今後の起こり得る戦争、それも「北の窮鼠」との戦争は、ICBM,核弾頭付き弾道ミサイル、などを持っていなかったフセイン、カダフィーなどとの戦闘とは根本的に違う。米本土が直接狙われる可能性があるということである。その前に潰してしまえということであれば、窮鼠が何をするか、韓国、日本の被害は想像を絶するものとなることは確かであろう。「軍産複合体」にとっては、好ましい方向でもあろうが、今回は同時に終焉を迎えることにもなり得る。「軍産複合体」の「狂人」を仕立てておいて刈るという今までの常套パターンも通用しなくなってきている。戦争などはどのようなことを言ってみても愚者の所業なのである。「守る」、「防ぐ」などと言ってはいてもいつしか「攻撃」に移行しているのが現実の常である。戦争が人間の無限の愚かしさの証左であることについては敢えてここで言う必要もあるまい。日本には「平和ボケしたタカ派」と「平和ボケしたハト派」しかいないというのも難点ではあるが、一番危険なのは「平和ボケしたタカ派」の言動である。それは軍産複合体と容易にリンクする。要するに、戦争屋の太鼓持ち、野太鼓の類で、彼らは言うだけで制御などはまったくできない。その怪しげな言うだけの正論とやらに乗せられれば命はいくつあっても足りないということになる。もっとも「着飾った」無駄死がお望みなら話は別である。

戦争屋 : 先生、また最近、平和主義が幅をきかせてきましたね、何とかうまい具合にそういう偏った風潮ひっくりかえせませんか。

先生:   平和主義が偏っていることをわ
からせればいいだけのこと。「ガラパゴス平和主義」なんてのもあったが、まあ考えてみよう。どこを刺激すれば効果が上がるかやってみましょう。

 こんなやりとりが、それこそ至る所で行われているだろうことはよくわかる。

                                2017 8/12

                                                              、


732.「承認欲求」ということ


 誰かに認めてもらいたいという欲求、願望は大なり小なり誰でもが持っている「欲望」でもあろう。大なり小なりというのはそれなりに幅があるということでもある。中には他者の「承認」がそのまま自己の存在理由のような人間もいれば、他者の思惑などどこ吹く風のように見せることができる者までと様々である。例えば、「SNS」などの売り文句でもある「友達を輪を広げよう」式の「安易なつながり」には、当初から様々な問題を感じていたので私はそのようなシステム自体に距離を置いていたが、案の定「SNS」などが持っている「承認欲求」ともいうべき一種の「罠」に自らハマって身動きが付かなくなっている者たちが後を絶たないようである。それが現在様々な問題ともなっているが、私に言わせれば、すべてが安易過ぎるということでしかない。「思い込み」、「安手の自己愛、自己顕示」、「友達の輪」、「絆」等々、それらが「視聴率」のように数値化もされ、あたかも現実に「実体化されたもの」として現実の自分自身に帰ってきていると錯覚する。そもそも、そこに「何かある」と思うことが幻想なのである。実は何もないに等しいと言ってもいいくらいである。これは以前にも書いたが、そこで実質的に利する者とは当事者ではなく情報管理者とそれを「商売」にしている者たちだけである。そのようなことを充分承知の上で行う、しっかりと自恃の念を持っている者であるなら「承認欲求の罠」などにハマることもなく自由自在な境地は常に確保されるはずである。要するに、いちいち他人に同意を求めるのではなく冷静に「自分の位置」で自分自身を見つめることができればそれでよいのである。そうであれば意見、見解の違い、共有などは照合の内に底が見えてくる。そこでは、人に言いくるめられることもなければ、逆に言いくるめることもない。

                                2017 8/7


731.「内閣人事局」


 内閣人事局を発足させたのは稲田朋美で、菅義偉と組んで実現させたものということである。これは内閣に官僚の生殺与奪の権限を与えたようなものである。官僚が命乞いするように虚言を吐くのも避けられない現実の一面である。「政治家が人事をやってはいけない。」(福田康夫元首相)、それも質の悪い政治家なら尚の事であろう。このような事態がやはり「国家の破壊に近づいている」と危惧されるところである。

 内閣人事局の強化も、日本の政治を官僚主導から政治主導に変えるためにアメリカの制度を「マネ」したものだが、あくまで「マネ」だけで、政治任用に関しても議会のチェックが健全に働かない日本では行政機関の独立性は保たれないのである。そこでは国民不在の「忖度」だけがまかり通ることになる。

 三権分立とは言うまでもなく、国民の政治的自由を保障するためのものであるが、この政権はまったくすべてが逆行しているのである。だから「国家の破壊」に向かっていると言われるのである。

やがては沈む 泥船の 行方知らずも 沈むさまさえ  見届けんとす

泥船に乘った者たちの最後の微笑みである。

                                   2017 8/3


730.最近、よくわかること


 最近、よくわかるというか、身を切りるように思い知らされることは、やはり人間の愚かさが無限であるということである。愚行はありとあらゆる手段で粉飾されるのが常である。空疎な言葉、虚言にわらにもすがる思いで飛びつくのもわからないでもないが、そこには実のところ何もない。しかし、その営為、所業でもたらされる弊害は計り知れず、それこそ無限大に拡散し、「人間」の終焉を近づける。そして、今すでに「人間」は終わっていると解釈する方が楽なくらいである。

                                    2017 8/1


729.「科学的特性マップ」とは、すなわち「亡国マップ」


 経済産業省資源エネルギー庁が作り、発表している「科学的特性マップ」を見て少なからず薄気味悪さを感じた人は多いことであろう。それが普通というものである。科学的特性マップ公表用サイトには、「原子力発電に伴って発生する『高レベル放射性廃棄物』は、将来世代に負担を先送りしないよう、現世代の責任で、地下深くの安定した岩盤に埋没する(=地層処分する)必要がある。」とある。原子力発電を続ける限り日本全国に「高レベル放射性廃棄物」が埋められることになるのである。放射性物質についても地殻変動についても、そのエネルギーは人知をはるかに超えている。どのような専門家であろうと、それについては結論を出せないのが実情である。地震大国の小さな島国に原発以外に、高レベル放射性廃棄物の地層処分である。地殻変動で異常隆起が起こり地層処分された高レベル放射性廃棄物が地表に押し出されたらどうするのか。人知をはるかに超えているとはそういうことなのである。

 将来世代に負担をかけないというのであれば、即刻止めて、廃棄物の量を最小限に抑えて地層処分というのがしかるべき現実的な方法であろう。再稼働などとはとんでもない、それを推し進める者とはどのようなことを言ってみても、後は野となれ山となれの亡国の徒であるという誹りは免れない。

                                   2017 7/29

アーカイブ
TOP