114.つれづれに、一言で片付ければ(4)ー9件ー

〇高齢者の怒りについて、不快感を表すコメントが多いが、あまりにも手前勝手な言動は別にしてこのような社会情勢では弱者である者の不満、抗議も高まるのは当然でもあろう。精神分析などの個的な問題だけに集約するのも滑稽である。

5/16

〇「記憶にありません」、最近では詐欺師と同一視されるような言葉になってしまった。

                                   5/14

〇中川八洋も道を誤った一人であろう。宇宙工学でもやっていた方がもう少し世のためになっていたであろうと思われる。よくもまあこれだけ時事的な売れ線狙いの本を書いたものだと感心しているが、少し書いているものを読めばこの書き手がどこら辺をウロウロしているかはすぐに見えてくる。アベ批判は大方が推測し得る範囲であるが、勢い余ってか、プロパガンダ的志向が強すぎるのか あいつは北朝鮮人だから、こいつは朝鮮人とのハーフだとか、問題の核心部分とは無関係な到底普遍化できぬ事柄の提示が多すぎる。はたして本人自身が書いている内容をどこまでわかっているのか、検証、吟味しているかさえ不明である。辛うじて筑波大学名誉教授の肩書で読まれているのであろうが、そうでなくとも、つい「だから?」、「それで、何が言いたいのか?」と聞きたくなる内容である。ところどころ「もっともなところ」もあるが、総じて「観念の弄び」が多すぎる。そして大したことを言っているわけでもないのに妙にペダンチックなところも鼻につく。少なくとも研究者ならネットのおバカがやっているようなことをせずもう少し内容を深めて普遍化するべきであろう。もし「文が人なり」であるなら、この御仁が作ったロケットなどは蛇行ばかりしてはたして飛ぶかどうか、それすら危ぶまれる。

2017 5/12ー

〇どこかで聞いたこのある題名も知らない曲で、ふいと口ずさんでしまった。面白いものである。最後がかなり変調気味で上がっていた。

義もない 徳もない

花もない 実もない

そんな集まりで

何を話すか 阿漕(あこぎ)の衆は

聞けばやっぱり

義もない 徳もない

花もない 実もない

おためごかしー

                                2017 5/10                      

〇「ゲームチェンジャー」

「指向性エネルギー兵器」の開発が着々と進められているようだ。

「レールガン」、「高出力レザー兵器」、「電磁パルス兵器」等々。特に「電磁パルス兵器」などはその内に、「能動的」平和主義に立脚した「平和」を世界にもたらしたとして「ノーベル平和賞」(?)、「ノーベル『科学技術賞』」(?)を同時に受賞するのではないかとさえ思われる。コストも非常に安く、ミサイル迎撃用としても一発あたり1ドル程度というから軍需産業にとっては果たしてどうなのかとも思われる。もっとも基本的には「いたちごっこ」の無益な消耗であることに変わりはない。しかし、「人間」にとっては、その「能力」を有意義に活用し、未来をより良く展開するというただそれだけのことがとてつもなく不得手なのであろうと思われる。破壊と再興を繰り返すのが「歴史」などとしたり顔で捉えているとこの先どこまで行けるかさえ大いに疑問であるという現状を見誤る。もはや「再興」するには人知を超えている要因がさまざまなところで現れ過ぎているのである。

2017 5/4

〇「亡国内閣」というのが一番妥当であろうか。さらに言えば、「亡国千三内閣」、言っていることに千に三つも本当の事があるかどうかということである。「食」についても、「文化」についても、「経済」、「平和」、この国の誇れるものをすべてを破壊し尽くすであろう者たちである。「やっていること」すべてがそうなのである。何かにつけ「日本」「日本人」を持ち出すどこぞの痴れ者と同一レベルになることは避けたいが、この「亡国千三内閣」については、とても同じ日本人とは思えないのである。わざわざ日本のよき領域を切り崩しているのであるから、見れども見えず、「亡者」必衰の理がそこにはある。

〇禿頭(トクトウ)の バトルゲームに 桜散り 

 何を見ているのか、見れども見えずか。その一事が見えれば 万事はそれとなく知れる。

「平和ボケしたタカ派の空論」、「義」もない、「徳」もない世迷言 あるのは姑息な計算ばかり

そして、いつものように野太鼓たちと走狗作家たちは音程の狂ったラッパを吹き鳴らす

何もそれに合わせて、無理に歌う必要もない、踊る必要もない

安っぽくお膳立てされたものに 感動するな

自らが見出しえたものに心を動かせ

〇「日本会議」、おかしな名称である。世界的にも珍奇な名称であろう。アメリカで「アメリカ会議」、フランスで「フランス会議」、ドイツで「ドイツ会議」、そんな組織など存在しようがあるまい。「日本人の日本人による日本人のための会議」というのであえば多少なりともその姿が見えてくるが、それは排他的な民族主義の集団ということである。そうであるなら「日本人会議」とでもすればいいものを「日本会議」として多少なりとも普遍性を持たせようとしているのであろうが、この名称には、その組織の曖昧さ、特殊性がよくでている。その構成概要は、アメリカが第2次大戦後マフィアを利用、再構成して作り上げたという諸利権確保のために動いた新生マフィアにも似て、そのメンバーも、坊主、神主、無定見な政治屋から大中小の企業主までと階層は広範囲であるが、今のところマフィアほどの結束力はない。言ってみれば、「日本」という「お題目」でまとめられたカルト的利害融通忖度集団といったところか。その内実の一部はすでに白日の下にさらされている。今後、この「日本会議」のメンバーであるかどうかが人物評定の目安になることは否めないので、また潜行する可能性もあるだろう。

〇「敵地攻撃論」?とうとうここまで血迷ったかというところである。軍事の専門家でも「敵地攻撃論」などは「平和ボケしたタカ派の空論」と見なしている。こんな平和ボケしたような自民党のタカ派が集って検討チームを作っていること自体が危ういのである。タカ派などとは勇ましいが大方が武器産業関係者といったところであろう。こんな軍事のド素人チームが一歩間違えば取り返しのつかない破局に向けて緻密な検討もなく「恐怖の印象」だけを煽って動けば神風頼りの無謀な行動とならざるを得ない。すべては外交能力がないことの証左である。商売も駆け引きも「話し合い」も未熟過ぎてで
きないのである。こんな未成熟な者との心中は避けたい。

                                2017 4/8ー

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