2006年5月、私はスペインの片田舎(へレス)にいた。観光地でもあるセヴィーリャ、マドリッドは僅かに散策した程度である。今、この片田舎の街を毎日散策している異邦人は私だけである。日本人も、欧米人の観光客もほとんど見かけない。この場所も2か月前までは日本人、欧米人でごったがえしていたのだと思うが、私には町おこしのための一連の行事というものにはあまり興味がない。今、ここは実に静かである。ほんとうに人が住んでいるのかと思うようなところがいくつもある。崩れ落ちた石の塀の様相、そこにじっとしていると、いつとはなしに古人の呟きが聞こえてくる。
スペインに着いた当初は、フラメンコのアーティスト達に会ったり、次回の出演交渉などを進めたりしていた。そして、それも一段落した頃、他の仕事の関係で別に通訳を頼んでいたのだが、その通訳とセヴィーリャの老舗と言われるタブラオ(フラメンコをやっている店)に行くことになった。やはり、観光地である。欧米人が、それも年配の欧米人が多い。フラメンコショウーが始まって15分もしないうちに私は通訳にもう店を出ると言いだした。通訳は心配そうに私に聞いた。「よくないですか?」私は「こんなフラメンコを観にわざわざスペインまで来たのではない」と言った。通訳はすぐ動き出したので、私もその後について外にでたが、通訳がなかなか外に出てこない。心配して入口のそばまで行くと、その通訳は出てくるなり「半分も観てないのだから、入場料を半分返せと言ってやりました。」と言う。いくらスペイン人と結婚して20年以上スペインに住んでいるとはいえよくそこまで言えるものだなと感心していると、彼女は「主人にも言われるんです、君はスペイン人よりすごいって」そう言いながら笑った。その後も、彼女はほんとうに親身になってよくやってくれた。しかし、私が帰国して8か月後、音楽院に通っている息子の成長を楽しみにしていた彼女は急死した。 「池田さん、何があったの?」
過去の遺物の中で辛うじて息づいている町、へレスは寂れた町である。しかし、私にはどこか居心地がよい。そして、静かな「何もない」この町の路地の片隅にフラメンコは佇んでいた。
その後、仕事の関係でフランスには行く機会があったが、スペインには行っていない。もう今年で3年になる。スペイン人アーティストにもいつ来るのかと聞かれるが、仕事に追われてなかなか行けなかった。今年はフランスの劇作家にも誘われているので10月頃フランスからスペインに入るつもりである。
2009年3月
Qurido amigo
Buscando mi vida
Yo avanzo siempre
Hasta cuando la muerte me recibirà
(M ·Hirayama)