担当するクリエイティブディレクターの、タレントを豚に見立てるという提案で問題が起きているようであるが、具体的に豚に見立ててどうするつもりなのかは知らぬが、テレビの低俗CMなら頻繁に見られる光景でもある。このディレクターは電通のコピーライター出身で、然もありなんと思う反面、相当行き詰まっているなと思われる。実際、コロナ禍で五輪が行われるかどうかも危ぶまれ、なおかつ、多くの者が五輪開催から引いてしまっている中で無観客の可能性もある。これだけマイナス要因が多い中で、何をどう「演出」するのか?復興五輪などという空虚なコンセプトで打ち上げれば、「しらけ鳥」も群れを成して飛び回り、その内全天空を埋め尽くし、その鳴き声ですべてはかき消されてしまうのではないかとさえ思われる。復興五輪などという御旗を掲げ、五輪開閉会の進行をすべてレ二・リーフェンシュタールのような者に託したかったのであろうが、そんなことは「森羅万象の長」でもない限り、一介の権力者ごときには到底叶わぬこと。もう、すべては終わっているが、戦時中と同様、止めるに止められないというところであろう。どちらにしても、やがて結論は出る。
因みに、豚に見立てられてしまったタレントのコメントは、周囲のスタッフもしっかりしているのであろうが、見事。自我意識もしっかり成長している。これなら海外に行っても通用するであろう。
さらに付け加えれば、電通のコピーライターなどは、人々が現実を直視することから、いかに遠ざけるか、そのために幻想を現実に巧みに練り込め、種々雑多な幻影を作り出してきたのである。言ってみれば、安手のアヘンのような言葉を操ってきた者たちでもある。実際、一度でも、さりげなく人々が目覚めるような言葉を紡ぎ出したことがあるのかということである。近頃は、コピーライターのような作家が多いが、コピーライターと作家は根幹部分で全く異質である。イミテーションゴールドに慣れてしまっていては、ゴールドの輝きは感知できまい。彼らは、奇を衒う、耳目を驚かすことだけが「演出」ではないことを「知らない」のである。
2020 3/20
※レ二・リーフェンシュタール:ヒットラーお気に入りの映画監督、女優。