今年の賀状に「芝居は何処へ?」というのがあった。
今回のコロナ禍の当初に、シアターモリエールという劇場でクラスターが発生した。私も、何度か使ったことのある劇場なので、他人事ではなかった。その後、自主規制なども含め演劇の上演はかなり少なくなった。そのような実情も鑑みて、「芝居は何処へ?」という思いもあったのであろうと思われた。私自身は、それより以前から、演劇的、舞台的表現そのものの興味は尽きないものの、現実的諸問題を考えると、その限界性を常々思い知らされることが多かった。現在、私は劇場主でも座長でもないので、定期的に上演しなければならないという強迫観念のようなものはない。むしろ、そのような状態になることを極力避けてきたと言った方がいいだろう。
「芝居は何処へ?」を自分のこととして、答えれば、こうなる。
「芝生(しばふ)」に居ることさえままならぬ、耐えられない状況の中で、いつしか「芝居」は内に封じ込められた。ただし、それはいつでも外化することは可能である。これもまた、終生現役の別バージョンであると思っている。どちらにしても、演劇は自分ひとりで突き進み、深化させることができない世界なのである。
2021 1/2