126.「絆」ではない。必要なのは「連帯」である。

  どこを見ても、何かというと「絆」、などという言葉が出てくるが、どこか胡散臭い言葉である。絆とは、動物をつなぎ止める綱のことでもあり、絶つにしのびない恩愛、離れがたい情実などの意味もあるが、「ほだし」、すなわち手かせ足かせ、自由を束縛するものでもある。この「絆」という言葉で、一体何を括ろうとしたのか。この言葉の意味するものが、多くの行為主体の真意と少なからず離反するから、違和感以上のものを感じるのである。要は、物事を成し遂げるために結び付く「連帯」という言葉で充分であり、それが一番適切である。なぜ、恩愛だの、情実などという粘着性のあるコンセプトを忍び込ませる言葉を敢えて遣うのか。手かせ足かせ、つなぎとめる綱ともなるものをうまく包み隠し、それがあたかも人間の原初的なあるべき姿とでも言いたそうである。しかし、それは明らかに違う、むしろ、人間を隷従させるための美辞として遣われ、「玉砕」という言葉に限りなく近い。「絆」という言葉が、下意識で必然的にため込む愚かしい幻想は際限もなく、回りが速い。

 

                                   2020 9/18

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