今では見上げる人もいなくなってしまった「TOKYO 2020」の旗が妙な音を立て翻っている。虚しい音とはこれほどまでに味気ないものであったのかと改めて思い知らされる。「マスク 2020」とでもした方がピッタリの街の風情である。
旗が発する奇妙な音の合間を縫って、今でも「批判ばかりしていても仕方がない」などというもっともらしい言葉が聞こえてくる。このような時期、事態に直面すると必ず登場する「決まり文句」でもあるが、実は極めて陳腐である。これだけでその発信元の位置がすぐに特定できてしまうのである。身近なところでもよくあることであろう、イエスマンばかりを集めた組織の行く末のお粗末さは枚挙にいとまがないのである。要するに、正当な批判、すなわち人間として当然の思考回路を持ち合わせているか否かは、その後の展開に重要な意味を持ってくるということである。「批判ばかりしていても仕方がない」ということで、何となくわかった気になり、その挙句「巻き込まれ」「絡め取られ」、現実が見えなくなってしまう、あるいは見ようともしなくなってしまうのである。そういう意味で、それは現実を見えなくさせる、考えなくさせる手法の一つともいえる。今、一番現実を見てほしくないところはどこなのか、それは敢えて言うまでもないことである。「批判ばかりしていても仕方がない」、こんなことを言い出すようでは、その時点で先は見えているのである。
本来、批判的精神は常に創造的なものなのである。
2020 5/25