121.真実を知ろうともしない「病」

 すべては真実を知ろうともしないことからきていると思われる。メディアの問題にしても、要するに受け手が真実を求めていないというところもある。なぜ、本当のことを知ろうとしないのか、真実などどうでもよいというスタンス、見解、敢えてフェイクとファクト境目をぼやかして、それをよしとするような姿勢、それらは煎じ詰めれば、すでに終わっているポスト構造主義、ポストモダンの「遺物」、「遺品」の中によく見かけられるが、もはやそのような腐臭を放ち始めた残滓などは跡形もなく早く消し去るのが自然であろう。今までのそのような思考傾向、展開があらゆる領域で「人間である」ことをさりげなく壊し続けてきたのである。誤った使用方法、展開の結果でもある。それが今の現状の要因であることは否定しようもないことである。しかし、そうなることは当初から充分に想定されていたことなのである。

 現状を見れば、さらに目を凝らして「現実」を見れば、自ずとわかることである。しかし、実際に現実を見ている者、現実が見えている者はほんのわずかである。現実を見ていないから、何から何まであまりにも無残なのであるが、無残であることも認知できまい。もし、今後新たな出発があり得るのなら、厳しくともまず真実を知ろうとするスタンスを取れるかどうかで決まるだろう。

 「真実を知ろうともしない病」が、不治の病にならないことを願う。それは無痛の人間崩壊で、気が付いた時にはもはや全く動きが取れなくなってしまっているということにもなる。

 

                                  2020 3/22

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