112.「主体性」と「想像力」の欠如がもたらすもの

  「主体性」と「想像力」の欠如がもたらすものとは、それは「人間の要」の欠落を意味する。その欠落は進行するに従って、やがて「人間ではないもの」、「非人間」、「反人間」の回路に活路見出し、「人間」の衰退、滅亡へと確実に導く。現在、その具体例には事欠かない。

 ポストモダンの蔓延は、人間からこの「主体性」と「想像力」という「人間の証」のような領域を奪い去り、乖離する方向へと進む要因にもなった。

 2019年、今までにない、これまでのコンセプトでは捉えきれない自然災害(「台風」)に直面し、一部メディアが「思わず」発しざるを得なかった「主体的に判断して」、「想像力を働かせて」とは一体どういうことなのか、ここで再確認の必要があろうと思われたのである。それまでは、「主体的」、「想像力」などという言葉は死語のような状態になっていたからなおのことである。自然災害のみならず、主体的に判断するということ、想像力を働かせることはすべての問題に対する我々の必要欠くべからざるものである。他人の言うがまま、あるいは様々な意見があるということを盾に判断停止を正当化していては、掃いて捨てるほどいる「お茶の間向け」デマゴーグも含めた、詐欺師たちの格好の餌食になるしかあるまい。彼らの臆面のなさ、さりげないすり替え技法は半端ではないのである。その手に乗っていては、命がいくつあっても足りないというより、蛇の生殺しのまま絞れるだけ絞られるだけということになる。

 各自が、すべてに関してもう少し想像力を働かせ主体的に関わっていたら、ここまで堕ちることもなかったであろうと思われる。

 

                                 2019 11/3

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