110.詩人とは生き方そのもの・・・

  「詩を書いたからといって、詩人になれるわけではない。詩人とは生き方なのだ。」とジャームッシュは言っていたが、その通りであろうと思われる。どのような生き方をしているか、いかに隠そうとも生き方そのものは自ずから現れるものである。せこい生き方していれば、何をやらせてもせこいのである。要するに、一事が万事だということでもある。山師、三百の類がいくら逆立ちしても誠実な語彙など出てくるはずもなく、たとえ出てきても砂糖をまぶした泥団子が関の山、そもそも彼らが「まともなこと」などするはずもないのである。程度の差はあるにせよ、生き方そのものから絞り出される呻吟、謳歌それが詩人の在り様でもある。もし、人に「詩を書かない詩人」と言われれば、すでに存在そのものが詩人であるともいえる。生き方が問題となる以上、プロかアマかなどは問題にならない。それは哲学者、坊主なども同様で、プロの哲学者、プロの坊主などがいかに内容とそぐわないかは歴然としている。それで食えるかどうかが唯一の基準であるならゴッホ、モディリアーニも生前は食えなかったのであるからアマチュアの画家ということになるのである。さらに、日本には「売る絵は描かない」と言っていた田中一村などもいる。彼らは決して特異な存在ではない。そこにはそれなりの必然がある。

 

                                      2019 9/23

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