108.「火焔の王」の愚かしい匿名レビューについて(amazon)

 匿名ではあってもきちんととらえている者もあれば、よくこの程度のリテラシーでレビューを書く気になるなと思われるようなものまで、様々である。前回の「メッセージ」にも書いたが、インターネットは「嘘八百を少ない労力で世に流布させてしまうもっとも安易な手段」であることを明確に押さえておく必要があるのである。発信地がはっきりしないということは恐ろしいことでもある。知ったかぶって言えば言うほどその人間の無知をさらけ出してしまっていることが見抜ける人ばかりではなく、それに振り回されてしまう人々もいるということである。それを承知の上で確信犯的にやっている者もいるのである。

 さて、その愚かしい匿名レビュー(柘榴家)であるが、「一代ズレたまま思い込みひどく浅く云々」の御仁の思い込みもかなりひどいものがある。そもそもきちんと本を読んでいないのである。読めないと言った方がいいのかもしれない。そのリテラシーのなさ、すなわち知性が欠損している者が、一般的にはなじみのない言葉を使いまわし、もっともらしいことを言っているが、そのすべてが本が読めていないことの証左となってしまっているのに、そのことすら気が付いていないのである。言ってしまえば、小さく凝り固まってしがみつき、それも展開の余地のないところで巣くって朽ち果てるしかない能のない者たちである。誰がそんな世界に興味をもつ。知ったかぶって偉そうにレビューを書いているが、「タタラを韓国語で「豊」と述べられているが、韓国語はハングルで漢字じゃないでしょ?」とくる、中高生じゃあるまい、ここに至ってはもうお話にならない。ハングルは1446年以降、ここで問題になっている時代はいつなのか。一笑に付すべき内容でもあったが、前回(107)との関係もあり、再度確認すべき匿名性を使った危うい日本の文化状況を見据えるためにも取り上げた。

 amazonの二つの匿名レビュー、図らずも、反知性と知性の見事な対比ともなっている。一方は知的好奇心のかけらもない、能力的にも問題のある、閉塞的で因循姑息な典型、もう一方は、知的営為に対する賛同。しかし、アマゾンもよくこんな反知性の無茶苦茶なレビューを載せるものである。これは無内容な意図的な暴力である。悪意に満ちたデマと言ってもよい。匿名レヴューなどにはこの種の輩が常に潜入していることを肝に銘じておいた方がよいだろう。

 

                                    2019 7/25

※後日、百田何某の本について、具体的に細部にわたって批判したレビューがいつの間にか削除されていたということが載っていた。これは、実際にそのような操作をしているということの証左でもあろう。もっとも、良識も知性もある人々というのはアマゾンなどには頼らず、あるレベル以上の本屋に直接行くようである。

 

アーカイブ
TOP