それはまた「噂のような批評」、「批評のような噂」でもある。一頃、「大新聞」の演劇批評でもイニシャルだけで本名を書かない者があったが、無責任極まりないものが多かったので問題になり、一時本名で書くようになったが、その後のことは新聞をあまり読まないので知らない。「大新聞」でもその調子であった。それが最近では匿名のブログなどで、演劇、映画について「個人的な感想」、「覚書」などと称しつつ、点数をつけ、読者まで募っている始末である。誰でもどのような感想を持とうがそれは自由であるし、後はそれを受け取る側のリテラシーの問題でもあるが、「『匿名性』を使って、あやふやなものを、いつまでも創っている、日本の文化状況」そのものが問題なのである。なぜ実名で発信しないのか、実名で発信することもなく、あることないこと言いたい放題、知ったかぶって伝播させてしまう怖さも知らなくてはなるまい。インターネットは「嘘八百を少ない労力で世に流布してしまうもっとも安易な手段」だからである。
現状は演劇などに限らず、実名の出ているどのような「評論」ですら自分の目で確かめる、時には自分の目すら洗い直すくらいの強靭さを持っていないと「とんでもない所」に持っていかれてしまうことになるということである。
「発信地がはっきりしない、これは恐ろしいことである」、その人間のリテラシーにもよるが、それは確かである。
概して、マインドコントロールを警戒している割には匿名人間のもっともらしい言説にまんまと載せられていることに気づかないというのが日常茶飯事でもあるからである。ただし、匿名者の言説でも検証、確認できたものに関しては別である。
※このようなことは10年前にも取り上げたのであるが、今改めて再確認しざるを得なくなったのである。
2019 7/24