85.「改憲、改憲」とかまびすしい

 「改憲、改憲」と騒々しい者たちのほとんどが「憲法『改正』」と言っているが、何が「改正」なのかまったく定かではない。少なくとも現状では、彼らに「改憲」を任せたら憲法「改正」には絶対にならないことだけは確かなのである。それらしき「美名」の下に署名活動を頻繁に行っている手を変え、品を変え、その都度名前を変える組織の署名用紙にも、何をどう改正するのかも、その方向性すら書かれていない。ただ書かれているのは「私は憲法改正に賛成します」とだけあるという。言ってしまえば、これに署名した者たちの署名用紙を「元締め」が束にしてフル活用するというパターンで、少なからず現政権に影響を与え続けている者たちのもくろむ「改憲」なのである。影響を与え続けているというより今や同体化している状態で、そのような者たちに向かって改憲の意思表示をするということは、現在ある自らの権利を敢えて放棄して、「ファシスト集団」に煮るも焼くも好きにしてくれと言っているようなものである。それでは戦死者に対しても「慰霊」、「報いる」どころか、孫、ひ孫、玄孫、まで戦死者にならえ、従えと言っているようなものであることを忘れるべきではない。それらしき雰囲気を作り出し、それに酔わせ、具体的なことには触れず、「私は憲法改正に賛成します」にサインさせ、後日、とんでもないことになるなどというのは詐欺以外の何ものでもない。それが現実になれば気付いた時にはもはや身動きがつかなくなっている。すなわち独裁政権の誕生、完成なのである。繰り返すが彼らに「改憲」を任せたら憲法は「改正」にはならず、「改悪」そのものになるということである。「日本を取り巻く安全保障環境」、「緊急事態条項」、「家族のあり方」などだけでは決してないということである。このような「提示の仕方」で「改憲」に納得しているのならもうすでに「民」なのである。そして、それは自ら「民」となることを選んだ「国民」という前代未聞の歴史的事象となろう。

 

                                    2017 11/24

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