トランプ札は切りもなく、トランペットは吹くばかり云々とはカテゴリ「五叉路」で遣った文言の一部であるが、トランプのペットとまで呼ばれている御仁は今後何を「吹く」というのであろうか。吹くものも尽きて、執拗に繰り返される言葉の言い換えであたかも新たなことをやっているように見せかけるが、世界を飛び回った挙句のツーショットばかりで、実質的に何をやったというのか。行く先々で血税をバラマキ、諸手の挙げ具合も尻尾の振りようも尋常ではない。現に武器の買い付け以外一歩として着実に先に進むものもないようである。その様は外面ばかりよい家族のことなど刹那も顧みない放蕩オヤジのごとくである。「平和憲法」の扱い方ひとつにしても、世界に対して確たる位置を確立できるチャンスをわざわざ自ら放棄して「汚辱」の中に身を置き、軍産複合体の渦に巻き込まれてしまった。改憲については、いかにその正当性を述べ立てようが、それは大なり小なり「汚辱」に満ちている。特に現在「自主憲法」などと言う者たちに「自主憲法」を作らせたらどうなるか。とんでもないことになるのは火を見るより明らかで、加計、森友問題でも実証済みであろう。合成写真のような宗教思想を信奉する「迷妄集団」がバックアップする集団と軍産複合体が再び一体化したら今度は戦前回帰どころか、その過程で日本は「実験場」となるだけであろう。それが道理というものである。実際にやっていることは、国を売っているような者が「国を守る」、「国を愛する」などとは笑止千万なのである。しかし、そんなちまちました「小ぶりなこと」より私には以前から人間が地球にはびこる悪性のウィルスのように見えてならないのである。地球もいつまでもその悪性ウィルスに付き合ってくれるとも思えない、その内にそれなりの反応をするであろうと思われるのである。無理が通れば道理引っ込むで済むと思うのは人間の浅知恵である。必ずその結果は訪れる。それが道理なのである。最近の大中小企業の致命的な信用失墜行為もその例である。
2017 11/12