118.つれづれに一言で片付ければ(6)ー13件ー

〇トラスターなどの嘘発見器にでもかけたいような人間ばかりであるが、かければすぐに針が振り切れるだろうと思われる。それは見ていてもよくわかる。これでは証人喚問しかない。それを拒否することは自ら嘘を認めることでもある。それにしても首相以下、和泉洋人補佐官、加戸守行前愛媛県知事、山本幸三、等々、ウソで塗り固めるしか生き延びられないとはみっともない情けない人生である。

「記憶にありません」、「記録にありません」こんな嘘を言い続けて国税庁長官、これは国民にとっても最悪である。地位を得るとはいかに恥知らずになるかということでもあるということを確認しておくべきであろう。

                                      7/25

〇テレビは限られたもの以外はめったに見ないが、たまたま放置されたテレビからけたたましい声とともに飛び出してくるお笑い芸人、タレントのバライティ番組は、狂気の沙汰そのもので、精神病棟を彷彿とさせる。何がおかしいのか始終笑っている「笑い」は、笑いというより「引きつり」に近いもので、さしたる理由もなく所在なさゆえに群がる中毒患者を相手にしているようだ。チャンネルを変えれば、今度は何もかもアニメ化してしまう吹き替え版の外国映画。視聴率だけを考えているにしてもポイントがズレ過ぎている。                      

                                                                                                                                                7/22

〇支持率低下、これも至極当然。むしろ遅すぎる低下であろう。ここまで悪臭腐臭ふんぷんではもう手が付けられまい。すでに腐っているのであるから何をどのようにしようと腐る一方で、悪臭は常に漏れ出し、決して元に戻ることはない。この期に及んでこれである。みっともないの一言。主権者も彼らのことは決して忘れずに二度と登場させないことである。国民のためにならぬ腐臭ばかりが鼻につく何がベテランなのかわからぬような「ベテラン議員」、軽佻浮薄な者などは税金の無駄。

 

〇「いちいち確認しない」、「すべての資料は破棄した」、「記憶にありません」など、これは、国民の疑問といってもよい質疑に対する答弁であった。世の中これで通るのか?

 

〇「煮え湯を飲まされても」、「喉が焼けても耐えられる」と言ったという為政者に対して「偉いな」という反応、何気ない異常さに驚きあきれる。師匠同様、言葉だけに酔っている節もあるが、それは平然と嘘もつけるということである。敢えて言えば、そのような場合は、耐えること自体が異常で、自死するか辞めるのが正常な行為である。

                                                                                                                             7/14

〇認知症の方々を相手に成り立っているような政党が偉そうなことを言うなというところであろう。

ベストメンバー(?)で、原点(?)に立ち戻る、共に不可能。そういう問題ではない。

 

〇差別主義、差別主義者とは余程自分自身に自信が持てないのであろう。他者をおとしめ、差別することでしか自分自身を確認もできず、浮かび上がれないのであるから何とも情けない。己自身から何一つ展開できないのである。ヒステリックになればなるほどお里も知れるというところであろうか。

                                                                                                                             7/13

〇オレオレ作家にオレオレ首相、オレオレ大臣、オレオレタレント、オレオレ元知事、オレオレ評論家、「オレオレ」と際限がない、大したこともない己に陶酔気味でどこにでもしゃしゃり出てくるその様は「オレオレ詐欺」の「変形特殊詐欺」「オレ様詐欺」とさしたる違いもないが、己のことはまるで見えぬのか、見て見ぬ振りの強欲さである。

 

〇九州の豪雨災害に対する政府の対応を見ても、彼らはほんとうに日本人なのかと思われる。何と言ってみても、実際にやっていることはとても自国民を大切にしているとは到底思われれないのである。一事が万事、こんな者たちに任せておいたらとんでもないことになるだろう。彼らは日本人どころか果たして「人間」としての最低限の条件すら持ち合わせているかどうか疑わしい。

 一方では、天皇はその務めを粛々と果たしながら、国民に対する気遣いも示している。

7月12日、政権関係者は被災地入りしたらしいが、私利私欲以外は何から何まで、やることなすことすべてパフォーマンスというおぞましさ。

 

〇いまだに、「陰謀論」などいう言葉で括って何か言った気になっている御仁が実に多い。確かに何の根拠も論拠もない面白半分、耳目を集めるためのみに作り上げられたようなものもあろう。しかし、そのような真実とはかけ離れたものも含めて、本質的に人間は天使にも悪魔にもなる、すなわち何でもあり得るのが人間の「営み」の実情でもある。いわんや権力闘争の歴史の流れの中で「陰謀」など日常茶飯事で
あろう。そのようなことには目をそらし自説に「都合のよいこと」だけを拾い集めて構築しても全体像は見えてこない。「陰謀論」などという言葉を敢えて遣う者たちの世界観は並べて平坦で皮相的である。この言葉を耳にするたびに、脂ぎった者が何を柄にもなく、かまとと、生娘のようなことを言っているのかと思われてしまうのである。

                              ー2017 7/4ー

 〇「侍の精神」を説いた後に「弱いものをいじめたり殺したりすることは絶対に許せません。弱きを助けるのは人類普遍の価値。人間フェアでなければならないと思います」と「強硬派」だか「右派の論客」だか知らぬが、以前日本テレビ系のキャスターをしていた桜井何某があたかも正義の使者気取りで言っていたが、彼女は安倍政権の擁護者でもある。そのことと弱きを助け強きをくじく「正義」の「侍精神」とどのようにつながっているのか、まったく整合性がないどころか真逆ことをやっているのが安倍政権であろう。そして、「現代版『菊と刀』」などというコピーの怪しげな「日本人論」を「展開する」ケント何某、この一連の流れは「日本会議」というフィルターを置いてあぶり出すと「内容」、「相関関係」とともに「金の流れ」もよく見えてくるものがある。すなわちどちらも底が割れているのである。

 

〇防衛相の「普通では考えられない軽さ」、これは何も防衛相に限ることではない。周知のとおり、名前も顔も出てくるだけで不快感しかもたらさぬ御仁の御一党様一同すべてに共通することである。彼らに命を捧げる人々とは、自分の命の重さもまともに計れずに死に至るのであろう。果たして、思慮の軽重だけの問題なのか。これも人間の測り知れない「愚かさ」の一つである。

 

〇この期に及んで、「一点の曇りもない」などと言う為政者。もはや精神を病んでいるとしか言いようがない。それは、一点の曇りもなく真っ黒なのである。やはり精神病棟そのものである。

 

                                                                                                                   2017 6/27ー

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