これもまた大なり小なり多くの者がどこかで感じていることでもあろう。しかし、相も変わらず手を変え品を変えた「ニュースショー」「バライティーニュースショー」の類ばかりで実際に起こっている大中小の様々な出来事、それも国民が当然知っておくべき情報がほとんど伝えられていなのが実情である。自然災害、事故ですら「お茶の間ニュース」用に味付けされている。最大公約数らしき情報ですら、割り出された共通項の危うさを感じるものばかり。ちょっと締め上げられれば「政府広報」さながらの「垂れ流し」状態、政府がウソをつくはずがないでしょうと言わんばかりの対応である。それが一事が万事となればジャーナリズムの有無どころの話ではない。もはやジャーナリズム不在が常識で、政府批判の類はすべて片隅に追いやられるか排除である。追求すべき問題に対する多くの動きもカットされるか大方が修正されるか無視、ノーカット版はまったく在り様がない。それに代わって「将軍様」のゴルフ姿、外遊、勇ましい弁舌の数々が取り留めもなく流されている。とうとうここまで来てしまったのである。
「新共謀罪」は「テロ等準備罪」などとあたかも「テロ」に特化したかのような名称を遣っているが、実はその効力範囲を広げながら現在の法律でも充分できることをさらに警察がやりやすいように内容を変え、解釈次第でいかようにもなるようにしようとしているのである。この法案について、たとえ微に入り細を穿つような説明をしようとも主権者たる国民に対して行うさらなる広範囲な規制であることに何ら変わることはない。主権者の方も能天気にいつまでも寝ぼけたことを言っているようでは主権者の位置は返上して臣民となるしかあるまい。このような法案にも無関心でいられるということは、余程「臣民となる」ことが好きなのか、それが性に合っているのであろう。その実態は、本当の「自由」も知らず、むしろ「自由」を怖がっているだけで、思考停止状態のまま常に「何者か」に縛られているのが一番居心地がよいということなのかもしれない。「自由な人間」などとは無縁の徹頭徹尾「隷属志向の人間」 とでも言うべきか。
2017 5/18