108.「風に吹かれて」、「風立ちぬ」・・・

 風に吹かれて・・・、風立ちぬ・・・などなど、そんな言葉を紡ぎ出している時、一体どのような風が吹いていたのか?あるいはイメージしていたのか?と思うことがある。まさか身を突き刺すような北風ではあるまい。そんな風の中では「歌う」どころか「生きよう」などと改めて奮起される思いなど一瞬たりとも去来することはあるまい。そのような「風に吹かれて」出てくるものといえば、自分の置かれた位置、あり方に対する呪詛に近い反芻だけか、そうでなければ自身の生命力に託した挑戦的な気迫だけであろう。だから、聞きたくなるのである、君が吹かれていた風は?と、それは西風かそれとも東風なのか?そんなことはどうでもよいこと一陣の風にひらめきのようなものを感じただけなのであると言われれれば、それはそれまでのことであるが、私は学生時代からそこら辺に何か「生ぬるさ」を感じて、その手の歌も詩も小説に対してもあまり接することはなかった。しかし、人生には妙な巡り合わせもあるもので、その「生ぬるい」ものに接する機会ができて、というよりそれこそ風に流されていつのまにかそのような事態になって、その生ぬるい世界を自分の中に取り込んでみようということになった。その時初めて「一般社会」で自分の「好き」なものとして一応通るものが形作られたような気がする。それは飽くまで自分自身にとって拒否するほどのものではない、嫌いではないという程度でしかないものなのである。

 

                                2017 1/25

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