98.「外連」(けれん)の演出家

 いつだったか忘れたが「外連」の演出家が死んだ。日本では「世界のニナガワ」などと言われていたが、少なくともパリで知れ渡っている「演出家」といえば寺山修司くらいである。日本では何かというとすぐ「世界の〇〇」などと形容したがるが、根本的に周縁国という意識が常につきまとっているのであろう。どちらにしても田舎臭く野暮で粋ではない。いつからこんなダサイ感覚が蔓延してしまったのであろうかと思っている。そうでなくとも本当の意味での自身のなさ、自恃の念の欠如は至る所で見られるから猶更である。                      

 今、政治レベルのパフォーマンスでも「世界のAbe」を作り上げようとしているが、その実態たるやあまりにもお粗末で空疎である。税金を湯水のごとく使い、各国の首脳と握手しているツーショットを撮るためにだけ行われた外連の外交といってもよい。それは、3流のコラージュを見ているようでもある。要するに、意味不明の筋違い、あるものを手当たり次第にくっつけただけというべきか。外連の外交、外連の政治とは、すなわち外道の外交、外道の政治ということである。要するに「世界のAbe」の内実は外道の政治であったということである。しかし、このAbeの姿を否定しつつも、そこに自分自身の姿を見ている者もいることであろう。いわんや、肯定する者はその姿にエールさえ送りかねない。それが問題なのである。過去と対峙しながら前進する者と過去をただ引きずっている者との違いである。

 「外連」と「異化」は本質的に違うが、商業ベースは「外連」とは相性がいい。「異化」は内在するそのラジカルな面がコマーシャルベースには乗りにくいのである。

  「外連」に慣らされた者は「外連」を喜び、「外連」を追い求めれる。そして、それが「本体」、「本質」であるように錯覚するのである。そこでは想像力を喚起させる「もの」、「こと」がほとんどないといってよい。むしろ、「外連」とは想像力を阻害する要因でもある。口をあんぐり開けて待ち望むだけの者たちに「外連」を提供し続けた者たち、実のところ、「世界のニナガワ」と「世界のAbe」との間にはさしたる違いはない。「歌は世につれ世は歌につれ」、世の流れと不可分な「歌」を作った者たちの責任は大きいのである。見過ぎ世過ぎは草の種にもかかわらず、見過ぎ世過ぎ戦時中は軍歌を作り、戦後はシャンソン風の明るい作詞作曲などを手掛けた何でも食らう者たちを決して「たくましい」とは言わぬ、単なる「無思慮」「無恥」なだけのことである。「たくましい」と言い得るのは飽くまで「受け手」の側であって発信者ではない。発信者にはそれなりの責任があるということである。口から出まかせの見過ぎ世過ぎの者たちに飽きもせず踊らされていては狂い死にするしかあるまい。

                                    <続く>

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