96.ゼームス坂の智恵子

「それからひと時 昔山巓(さんてん)でしたような深呼吸を一つして あなたの機関はそれなり止まった」。時折、死の想念が過ると必ずといってよいほどこの智恵子の最期の姿が過去の片隅で鮮明に浮かび上がってくる。それはとても過去のものとして置いておけない程生々しい。

 待ちわびたレモンのトパアズいろの香気に一瞬甦る意識、もとの智恵子となった微笑み、生涯の愛を一瞬にかたむけた智恵子は、やがて光太郎とレモンの地平から去って逝く。

 すでに心が「二つに裂けて脱落した」光太郎にとって、「鬩(げき)として二人をつつむ此の天地と一つとなった」心境でこの「レモン哀歌」を作ったのであろう。

 今はないゼームス坂病院が智恵子終焉の地である。その跡地付近には「レモン哀歌」を刻んだ詩碑があり、今でもレモンが供えられている。

 

                                                                                                                           2016 4/30

 

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