56.根本的なことが問われている時に

 根本的なことが問われてい時に、すべてが皮相的領域で滑っているにも拘らずあたかも核心部分を突いているかのような世の動きを見ていると滑稽でさえある。

 「そんなことはわかっている」というを言葉をよく見聞きするが、わかっていてできないのはわかっていないのである。根本的なことは一見「単純」そうにみえるが、その「極意」をつかむのは並のことではない。要するにそれがつかみ切れていないから何度でも愚かしいことを繰り返し、「わかっていても」できないということになる。すなわち、わかっていないのである。これだけ言葉が溢れかえっている中で真実を言い当てている言葉を一つでも本当の意味で「理解」し得るならすべては読み解けるはずである。それができないのはやはり皮相部分で右往左往しているだけとしか言いようがない。それではたとえ何万もの情報を集めても蓄積・統合されることもなく、やがてはごみの山を築くだけであろう。「理解する」とは換言すれば「腹をくくる」ことができるか否かということでもある。

 

                                                                                                                                                                                          2015 6/3

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